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異世界少女と恋した兵器  作者: 独蛇夏子
異世界少女
5/22

5 消失

「これは?」

「ペンです」

「ではこれは?」

「うさぎです」


 よく出来ました、というように金髪をきっちり撫でつけて後ろで結んだ高級軍人のメイファは、満足げに微笑んだ。

 この国の言葉の習熟状態を調べる、ということで私は今日、軍部の施設に呼ばれている。

 連れてきてくれたのはロイだ。ロイは私のテストが終わるまで仕事をし、終わったら一緒に帰ってくれる予定だった。


 最近目が覚めるとロイやマイユが隣に寝ていることが多くなって、ヒヤヒヤしている。ヒヤヒヤというか、ドキドキというか。マイユはいい。ロイは一体どうした。目が覚めるといつもの無表情で「おはよう」と挨拶するだけだし。無駄にこちらが意識しているだけで馬鹿みたいに思える。

 これはメイファに相談すべきだろうか。いや、相談できるわけがない。

 

 メイファは動物や果物や文具といったアイテムの簡単なイラストが描いてあるカードをトントン、と均してまとめた。


「文法も日常会話程度なら少しずつ分かるようになったみたいですね。順調に言葉を覚えているようで安心しました。このペースでこの世界に馴染んで下さい」

「あの」

「何ですか」

「私は帰れないのでしょうか」


 メイファは赤い唇に笑みを浮かべたまま、てきぱきと言った。


「現状、帰れる方法は見つかっていません。目下研究中、というところです」

「そうですか・・・」

「帰りたいですか?」


 ええ、と頷くとメイファは表情を曇らせた。


「だとしても、きちんのこの世界には馴染んで下さい」

「どうして?」


 一瞬躊躇って、メイファははっきり言った。


「この世界にきちんと馴染まない人間は、消えてしまうからです」


 どういうこと。

 目を見開いた私に、メイファは語り始めた。


「今から百年以上前にやって来たジンロクという日本人は、その後の歴史に欠くべからぬ稲作の革新を行い、家族も持ちました」

「ロイやマイユの先祖さんですね」

「そうです。一見、ジンロクが秀でて歴史に残ったように見えますが・・・その前後にも結構、異世界人がいたはずなのです」


 メイファは深刻そうな顔をして、指を組む。

 会議室の無機質な部屋は日本のサスペンスドラマにでも出てきそうなところで、蛍光灯の明かりが室内を照らしている。窓の外にはビルばかりが見える。空間という空間が埋め尽くされているみたいだ。

 そういう背景を背負ったメイファのエナメルコートの赤は生々しく、なのに硬質なものに硬質な存在を上塗りした感覚しかなくて、東京でずっと暮らしていた私は案外そういう風景に安心している。

 赤い唇が、動く。


「異世界人が迷い込むのは昔からよくあったようです。その度、異世界人の名簿が作られます。ところが名簿に名が連ねられていた箇所に、インクと文字の跡がすっかり消えてしまっている、という謎の現象が頻繁に起こりました。最初は皆、『気のせいだろう』『名前を並べて書いていなかったのだ』と思っていたようです。しかし、ゲイロンという魔法使いの研究者が仮説を立て、恐ろしい可能性が浮かび上がってきました」


 耳が痛くなるくらい会議室は静かだ。

 時計の針がカチコチと進む音だけ妙に大きく聞こえる。


「異世界人の消失です」


 喉元に冷たいナイフの刃が当てられているような感触。


「名前が残っている者のその後を調査すると、いずれもこの世界で商売をしたり、農業をしたり、従軍したり、結婚したりしている人々でした。それは一見普通のようですが、異世界人にとってこの世界は、まったく〝自己の存在〟の根本がない世界です。単なる異国の地ではない、存在が有り得ない人たちなのです。そうした人たちが、自らの生活と居所を確立するのは実は難しい。ゲイロン氏はこう仮説を立て、『自らの存在をこの世界に根ざすことのできなかった異世界人が、この世界の営みから捻り出され、消失しているのだ』としました」


 憂うメイファの青い瞳が私を見つめる。

 喉元から胃にかけて凍り付いてしまって、気分が悪い。

 声を出そうとして、何か言いたくて、しかし喉が震えるだけで何も言えなかった。


「・・・この論文に基づき、三十年前に異世界人の迷子はすべからくこの国の国民として登録され、あらゆる支援が受けられる保護体制が確立されました。私たちが定期的に貴女に会い、この世界で生きる手段を提示し、保護しているのはその法律があるためなのです。三十年前からこの体制が導入され、名簿に忽然と空欄が出来ることがなくなりました」


 それは、歴然たる『事実』なのだ。

 そうメイファは私に告げている。


「だからリナ、きちんと言葉を覚え、この世界に馴染んで下さい。いずれ帰るための一時しのぎでもいい。自分を守り、この世界の貴女の存在を確立させて下さい。」




 この世界の営みから捻り出され、消失している。


 難しい言い回しで色々言われたのに、なんとなく分かる。

 私はもともと、この世界の何処にもいない人間だった。

 その重みが石を飲みこんだみたいに私の中で主張していた。

 この世界に放り出された恐怖を、まざまざと思い出す。


 ここは本来、私がいるはずのない世界。



 迎えに来たロイは、私の顔が蒼白であるのを見て訝しく思ったようでしげしげと私の顔を見ていた。

 メイファがギルファロ語できびきびとロイに何事かを告げる。ロイは珍しく眉間に皺を寄せて、私を見下ろした。

 メイファはそんなロイの様子を眺め、目を輝かせた。そして私にこんなようなことを言った。


「彼のこと、よろしくね。彼のこんな顔見るの初めてよ」


 深い空虚感に襲われた私の心に、何故かその言葉はキラキラした雪みたいにして降りかかる。


 ちょっとぽかんとしたロイは、去りゆくメイファに敬礼して、私を眺めて思案してから、「帰りやしょう」と私の腕をとって歩き始めた。



 ギルファロ国は秋だった。こちらに来たとき、目前が夏だった私には寒すぎて、いつもマイユから長袖の服を借りている。だけどマイユはいつもタンクトップなのだ。感覚が麻痺しているのだと思う。

 道行く人は薄いコートを羽織っていたり、重ね着をしたりしている。色んな民族の人がいるから見たことのない格好をしている人もいたけれど、概ね日本にいた頃の感覚と変わらない。


 ロイは珍しく私をショッピングに連れて行った。メイファに言われたのだという。「服でも買ってあげたらどうなの」と。

 服だなんてとんでもない。私はバイトもしているし、グリフェーン兄妹に迷惑はかけたくない。

 保護だの勉強だので、全く関係のない私のために随分骨を折ってくれているのだ。


 と、辞退しようと一生懸命ギルファロ語でどう言おうか考えたけれど、ロイはロイで早速お店に入り、女の子ものの服の前で一生懸命考えているようだったので次第に言う言葉を失った。

 若い女の子がたくさんいるお店なので、庶民向けのお店なのだろう。原宿の竹下通りにある安くて可愛いショップのような雰囲気だった。そんな店で、白い制服を着、黒髪をオールバックに撫でつけて銀縁フレームの眼鏡をかけた、パリッ、パリッ、パリッという感じのロイは明らかに浮いているのに、全くそんなこと関係なさそうにひたすら服を眺め、「これかな」というように時折私に服を差し出すのである。


 どうして。

 嬉しい。


 ロイはスマートだけれど、どことなくぎこちなさ、不器用さがある人だ。

 だけどいつも純粋に人のためになるよう考えている気がする。

 何故なら、いきなりぽっと登場した私の立場を、いつも一生懸命考えてくれている。

 無表情であるところが怖くて、どう思っているかが分からないからつい臆病になるが、彼のそんな基本的なところは信じている。


 人の心の温かさって不思議だ。

 前まで、友達と馬鹿話して、同調することだけが繋がりだと思っていた。

 でも、ロイも、マイユも無表情だけどこの世界に放り出された私に優しい。システムがあるからかも知れないけれど。

 異世界人が消えてしまうことを本気で考えた魔法使いがいて、保護するシステムを作った人がいて、それを受け継ぐメイファがいて、泣いて混乱する私にどうにか状況を受け容れるようあらん限りの可能性を考えてくれた。


 今日も学校タルいや、なんて思っていた毎日が恥ずかしい。

 私、元の世界でも色んなものに支えられて、生きていた。

 今も不安でいっぱいだけれど、見えない何かに守られている。



 私が泣いているものだから、振り向いたロイが物凄い慌てて、その場でハンカチを買ってきて私にくれた。

 花の刺繍がしてあるそれはオーソドックスで、元の世界でキャラクターものばかり使っていた私にとっては趣味ではなかったけれど、とても嬉しくて「ありがとう」と涙を拭いてお礼を言った。

 ロイは相変わらず無表情だけど、背をさすっていてくれ、店の中にいる女の子たちが「何あれカップル?」と好奇の目線を向けようと構わず「どうなすった」と繰り返した。


 私は確かに彼に支えられている。


 ロイ、ありがとう。

 宝物にするよ。

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