6 恋情、激昂に基づいて解放、そして空白
―――ビルの屋上をマイユと駆け回り、街を追い越して行った。
リナが攫われたのは唐突だった。
予測できなかったわけじゃない。今の軍部政府に反発を持つ者は少なからずいる。戦争が終わったとして、すべての者が納得できたわけではない。
俺たちの存在にも人々の反発が寄せられている。
だが、〝兵器〟の保護している人間に、手を出すわけがないと思われていた。そこに油断があった。
リナを攫って要求を出してきた組織は政治団体だった。これまでも現政府に対して過激な主張を繰り返していたが、表だって実行にまで移すのは初めてだった。
拠点ビルは都心の四階建て、地下四階の建物。随分と堂々としている。
俺とマイユは魔法で空気抵抗を和らげたり物質の弾みを補強しながら、跳躍力を利用して無駄なく街の上を移動した。
マイユはずっと家でゴロゴロしていたはずなのに筋肉は現役の頃と変わらないらしい。家でゴロゴロしていると俺が思っていただけで、トレーニングをしていたのかも知れない。
だとしたら、むしろ、昔は子供だったから、今の方がずっとよい状態であるはずだ。
視界に該当ビルを入れ、それが見えるビルの屋上で一旦立ち止まる。
「俺が潜り込む。おそらく地下だ」
「少し経ったら私が正面玄関から切り込む」
短くやりとりをして、俺は眼鏡をとり、上着のポケットに入れた。
そして、目的のビルに跳んで行った。
如何なるときも精神の均衡を崩すことなかれ。
奴らは、俺らが法律や軍規を一番に考えて行動する〝兵器〟だと知っている。
政府軍部の〝兵器〟が保護しているリナを攫っても、俺たちはあくまで政府軍部の管理下にある。交渉をするのはあくまで軍部政府であり、俺らが投入されるのは交渉の一部になるだろうと思っている。
だが、俺らは怒り狂っていた。
俺たちからリナを奪った輩は殺しても足りないくらいだ。
激怒し、心を乱されながらも、頭から体、指先爪先まで冷静さが漲っていた。緊張の糸が張り巡らされ、法律に従いながら完膚なきまでに敵を打ちのめし、かつリナを助けるシナリオを紡ぎ出していた。
法律を順守する、軍規に従う、軍に従う、国民を守るためだけに力を使う。
それは最も尊重せねばならない行動動機だった。
それを破るつもりはない。
だが、俺たちは解放されていた。
怒りとともに法律や軍規が焼き切れて、自分の思いで動く。
法律や軍規は自分たちの思いを実現させる規定でしかなくなった。
俺とマイユにとって確かなものは一つ。
リナ。
世界を知り、この世界で微笑むことを知っていった彼女を、俺とマイユの手でこの世界に繋ぎとめている存在を、俺たちは失うわけにはいかなかった。
跳躍した勢いをそのままに、建物の壁をすり抜けて入り込む。
俺の破壊の能力と透過の能力は、どちらも、分解する力が基本となっている。
透過能力は、壁の成分を解析し、分解し、俺も俺自身を構成している成分を分解し、人間としての一定の形を保ちながら、すり抜ける対象物の成分を分解し再構成させつつ通り抜けさせる。勿論、すり抜けた後は壁や俺自身を完璧に再構成する。
この能力はギルファロが〝兵器〟を開発していた頃、多くの子供たちが教えられ、練習した。だが、壁の中に体の一部を残して来てしまったり、途中で分解していた自分自身を壁と同化させてしまったりと、事故が絶えなかった。
正気の沙汰ではないといわれたこの能力を、使いこなし、習得したのは俺だけだ。
コンクリート、鉄筋、配管、配線、断熱材、壁紙をすり抜けてビルの四階に辿り着くと、軍部にあった図面の通り無人の倉庫室に入る。
リナがいるのはおそらく地下四階だ。破るのが難しい部屋に入れられているはず。
それを思ってまた猛烈に腹が立ってきたが、体は冷静に動き、床へ透過し落下する。
落下し、通り抜けながらその下に誰がいるのかを確認する。
武装部隊もいるようだったが、政治活動を行っている集団なので皆が皆武装しているわけではないらしい。無機質な会議室のような部屋が多いらしかった。
のんびり会議をしている連中を落下しながら眺め、せいぜい話し合いでもしていろと冷笑した。
今この瞬間、俺がビルに入り込んでいることも知らない連中。
その内、会議などしていられなくなる。
地下四階まで落下し、無人の部屋に辿り着いた。
簡易ベッドや水道のある、独房のような部屋だ。
こんな部屋をいくつも地下に持っているようでは、誘拐・脅迫をこれまでも行ってきた可能性がある。
壁をすり抜け、隣りの部屋に行くと、求めていた人物がそこにいた。
ベッドの上に座り、身を縮ませ、膝に顔を埋めているのは、リナだった。
激怒のままにここまで来て、俺は一気に心がざわめくのを感じた。
リナを取り戻したい一心でここまで来た。そのリナが目の前にいるのに、躊躇していた。
俺は〝兵器〟だ。
このビルに入り込んで、はっきり自覚する。
〝兵器〟が誰かを大切にしたいだなんて馬鹿げている。
何故だ。
何故、俺はそう思うんだ。
目まぐるしい心の混乱を抱えたまま、俺はリナの隣に座った。
見つめていると、リナがふと顔を上げて、こちらを見た。
真っ黒な無垢な瞳が、頼りなさそうに輝く。
ぼんやりした表情で、リナは俺を見ていた。
リナが見つめている俺は、一体どんなふうなのだろう。
「ロイ」
リナの目から涙が流れ、俺は悲しい気持ちになった。
泣かないでほしい。
そう思うのは何故なのだろう。
「リナ、君は戦争が怖いと言った」
「うん」
「俺はその戦争の兵器だった」
リナが目をぱちくりとさせる。
「マイユもそうだ」
リナが見ている俺たちは、一体どんな存在なのだろう。
リナが俺たちがどんなものか知ったら、どう思うのだろう。
怖がるだろうか。否定するだろうか。
俺はあろうことか、リナに答えを求めていた。
知りたかった。自分が一体何なのか。俺は〝兵器〟のはずだった。だが最近おかしいのだ。
リナと出会ってから。
俺はリナにとって怖いもののはずなのだ。
それなのに、リナを奪われたと激怒してここまで来た俺は一体何なのだ。
これは、命令を正確に再現する〝兵器〟ではない。
「俺たちは人生は半分以上戦争で、戦争に勝つことが自分と世界とを繋ぐ共通の望みだった。言うなれば俺は戦争なんだ。兵器として訓練され、その力を戦場で使った」
この思いは一体何なのか。
任務でないものに突き動かされ、ここまで走ってきて、躊躇する思いは。
素直で、面倒臭がりで、でも前を向こうとする、目の前のものを信じる優しさを持つ、可愛いリナ。
守りたくて、それでも心の奥底から、自分を否定する声が響いてくる。
「ロイは戦争じゃないよ」
間髪入れず言われたその言葉に、俺はぎょっとした。
リナは一生懸命ギルファロ語を使って、泣きながら言った。
「兵器でもない。人は戦争をするかも知れない。でも、やっぱり一人一人人間なんだよ。私感謝してるよ、ロイとマイユに出会えて。二人はとても優しいし、私のことを思いやってくれた」
俺の思考は停止した。
リナは今、何と言った?
リナが言っているのは、誰の事なのだろうか。
リナには俺とマイユが、そういうふうに見えているというのか。
「私はマイユのことが大好き。・・・ロイのことが、大好き。戦争をしたけれど、今は皆で生きようっていうこの国が結構好き。だから、消えないでいられるんだと思う。考えなしでごめん。でも私はロイのこともマイユのことも大好きで、怖くなんかないよ」
自分の中の何かがガラガラと崩れ落ちていった気がした。
そして、俺は徐々に自分が昂っていくのを感じた。
真っ白になる。
大好き。怖くなんかない。出会えてよかった。
嬉しかった。
リナは俺を好いていてくれる。今まで生きていて、これほど精神が乱れたことはないというほど、俺は興奮していた。
さっきの怒りとは別の意味で、頭の奥が焼き切れそうだ。
そして、リナの言葉に喜んでいる、俺は、自分の心のありようを感じていた。
ただの女の子を、救いたくて、繋ぎとめたくて、任務だと思いながらも、好きになってしまう。
ただの人間だった。
きっと、復興する街を歩き、楽しげにしている国民と同じ、人間。
その事実は、どこか俺の中で燻る。
でも、ここを出なくては。
大事で仕方ないものを、守るのは、自分の中で何か許し難い気持ちがありながらも、間違ってはいない気がした。
その後、俺はリナを抱えてその部屋を脱出した。
ニホンゴで何事かを思うままに叫んで部屋のドアを破壊し突破した。この手にリナを取り戻した喜びと、奪い取られた怒りとでどうしようもなく興奮していた。
荒ぶるままに破壊しまくったが、誰も殺していない。興奮していても自分の中で軍規や法律は生きていて、法律や軍規上『救出』以上の事はせず、問題になることはしないようにした。メイファ大佐が上司なのでどうにかなるだろうと思った。
一階のロビーに着くとマイユが鮮やかなさばきで武装集団を引っくり返しまくっていた。
マイユも力の加減によっては捻り込んで人間をそのまま潰し殺すことができるが、誰も殺していなかった。
ぽかーんとしているリナを見て、しまったと思った。
今の脱出劇とマイユのアクティブな回転魔法は、リナには刺激が強すぎたかも知れない。
それでも、マイユと合流してビルを脱した後、三人で抱き合って安堵し、リナは泣いて俺とマイユに抱きつき、マイユは笑った。
三人でひとつの家族のようになれた気がした。
何に変えても、手放したくないものを俺は抱えていた。
そんないいところで、ビルの周囲を包囲していた軍の中から、メイファ大佐が近寄ってきて、にっこり微笑んで言った。
「さて、貴方がたにはたーっぷり反省文と始末書と報告書を書いてもらいますからね」
総帥が異世界人対策課で大佐をやっていることを知らない政府幹部にメイファ大佐がギルティ・ファローナだとバラしてやろうかと思った。




