私と彼の馴れ初め話
「いってらっしゃい」
そう言って見送った夫の背中を見つめる。
別れを惜しむように何度も振り返っては手を振ってくれる夫に対し、私もにっこりと笑顔で手を振り返した。
そう、ご覧の通り私達夫婦はまだ新婚ホヤホヤなのだ。
夫の背中が見えなくなり、家事に取り掛かり始めて私はふと彼との出会いを思い出していた。
私がまだ駆け出しで、魔法薬師の師匠と一緒に王宮に出入りをし始めた頃だった。
魔法薬師とは魔法による内外傷と呪いを専門とした薬師で、己の魔力と材料を混ぜ合わせて作るのだが、これがめっぽう難しい。
ほんの少し量が多かっただけで爆発し、ほんの少し手順を間違えただけでも全てがダメになる繊細な仕事だ。
簡単なものだけを作る兼業魔法薬師がほとんどで、師匠のように凄腕の実力を持った魔法薬師はほんの一握りの厳しい世界だった。
そんな世界に私が飛び込んだのも師匠の影響からだった。
捨てられていた赤子を管理の酷い孤児院に入れず、自らの手で育ててくれた師匠夫婦は謂わば育ての親だった。
子どもに恵まれずにずっと長い間二人で過ごしてきた師匠夫婦は私を愛情込めて育て上げてくれた。
そして、その師匠の後をついてまわり、自然と魔法薬師に興味を持ってこの世界に飛び込んだのだ。
出会った頃と変わらない長く白い顎鬚と白髪に三角帽子を被った師匠の後ろを歩いていると、ふと何かが視界の端に過ぎった気がした。
王との謁見は師匠のみが許され、私は待っている間いつも王宮の書物室で貴重な本を読み漁っていたのだが、視界の端に入ったものがとても気になった私は師匠と別れたあと、すぐに先程の場所へと戻った。
もちろん私が歩ける場所は限られているが、その庭へと続く細い道は許可された範囲内だったのでどんどん進んでいった。
まるで人気のない細い道を抜けると、王宮にしては珍しくこじんまりとした庭へと出た。
辺りを見回すと、どうやら奥のほうに誰かがぽつんと立っているようだった。
黒にも見えるほど深く濃い青色の髪。
陶器のような滑らかな肌に青い瞳。
優しげな美を持ったその人物は王弟ゼスト殿下その人だった。
あまりに身分の高い人だったので、気づかれないようにここを出ようとした私の動きはピタリと止まった。
目を悲しげに歪ませ、深いため息をついた彼のあまりの憂いを帯びた顔から目が離せなくなっていたのだ。
俗に言う一目ぼれの感情に近いものだった。
これが私にとっての彼との始めての出会いだった。
それからというもの、王宮に赴く度に彼の姿を無意識に探してしまう。
極稀に遠くで見かけたとしても、爵位も持たないただの一般人が話しかけられる訳がない。
ある時には偶々彼が廊下を通りがかったので接近のチャンスでもあったが、身分の低いものは廊下の隅に寄り、身分の高いものが通り過ぎるまで頭を下げ続けなければならない為、顔さえも見られなかった。
王宮に赴く度にため息をついて帰ってくる私に師匠夫婦は心配そうな顔をしていた。
こんな身分不相応な恋はもうやめなければ。
そう思って王宮に赴いていたある日、一人書簡室で本を読んでいる時彼に声を掛けられたのである。
突然の事に驚きすぎて頭を下げることも、言葉を返すことも出来なかった私に少し困ったように笑っていた彼の顔は今でも覚えている。
それからというもの、王宮に赴く度に彼に話しかけられるようになった。
最初は嬉しさよりも恐れ多い気持ちからとてもよそよそしくしていたが、彼の優しい態度や言葉によってだんだんと自然に話が出来るようになっていた。
彼と話をするようになって、私は益々彼の事が好きになっていた。
けれども、身分の壁はどうしても越えることは出来ない。
彼に婚約者がいるという噂話を聞いて、夢から一気に冷めた気分だった。
あぁ、それでもこうしてお話できただけ、私は幸せだったのよ。そういって自分を慰めもした。
次に王宮へ赴いた際に話しかけてくれた殿下に対して私は深々と頭を下げた。
「殿下。私はただの民でございます。殿下とお話しするには身分不相応でございます」
少しの間沈黙だった。
しかし、すぐに私の手を強く握り締めて、引きずるように歩き出した彼に私は抵抗し切れなかった。
人気のない廊下の先にあった大きな扉の中に入り、足早に寝室へと連れてこられ、ベッドへと投げ出された。
驚きのあまり声も出せない私に馬乗りになり、両手を押さえ込む彼の目は何も映していなかった。
「僕が、どれだけ君を愛しているか。どれだけ君が欲しいか。どれだけ側にいて欲しいか。どれだけ手に入れたいか。君はわかってない。わかってないんだ」
グッと顔が近づき、ベロリと頬を舐められる。
「この鼻だって。この瞳だって。この耳だって。・・・この唇だって。全て欲しい。全部。全部」
そういいながら顔中くまなく舐め続ける彼の息は荒い。
顔が離れると、彼は熱に浮かされたような顔をしていた。
けれど、その熱に反して瞳はとても寂しげに冷え切っていた。
「何度君をここに閉じ込めてしまおうと思ったか。誰かに見られている君なんて、誰かと話している君なんて見たくないんだ。そうだ。この部屋に閉じ込めておこう。そうすれば誰も君を見たり話しかけたりしない。そうだ。そうしよう」
そういっていつも帯刀していた長剣を抜く彼を見つめる。
これは、なに?彼の言葉は、どういう意味なの?
「君が二度と逃げないように足の靭帯を切るだけだよ。大丈夫。すぐ終わるからね」
そう言っていつものように優しく微笑む彼の言葉が私の胸に重く圧し掛かってくる。
この言葉は本当なの?本当ならば私は・・・。
心の底から湧き上がって来る思いに任せて、私は叫んでいた。
「嫌よ、そんなの!」
彼の瞳に動揺が走った。
手が震えているのか、剣がガチャガチャと不快な音を鳴らしている。
「僕は、君を愛しているだけなんだ。君を愛してる。愛している。愛している。愛している!だから、ずっと一緒にいよう。ずっとずっとずっと永遠に。だから、だから!!足が動かなければ君はどこにも」
「私も、殿下を愛しています!」
遮るように私が叫ぶと今にも剣を振り下ろそうとしていた彼の動きが止まった。
「私ずっと殿下をお慕いしておりました。殿下も同じお気持ちだったなんてとっても嬉しいです!けれど、この部屋に閉じ込められるのは嫌なんです。だって殿下と町に出て人ごみの中手を繋いでデートしたり、何処かの草原でランチを一緒に食べたり、夜空を二人で見上げながらいちゃいちゃしたり、殿下と相乗りで馬に乗っていちゃいちゃしたり、こっそり殿下へのプレゼントを買って驚かせたり、海に行って追いかけっこしたり、小さな家に二人で暮らしたりしたいんです」
彼の愛している宣言から私の感情が爆発してしまい、以前から妄想していたデートプランや将来設計が口から飛び出していた。
「私、殿下と色んな所へ行って、色んなことをしたいんです。ダメですか?」
最初は驚いていた彼だったが、私のお願いのポーズ(両手を組んで上目遣い)にハッと意識を取り戻したらしく、持っていた剣を放り出して優しい笑顔を浮かべて抱きしめてくれた。
「嬉しいよ。僕も君と色んな所へ行って、色んな経験をしたい。・・・でも、僕以外の人と君が関わるのは嫌なんだ」
「もう、殿下。私が異性として愛しているのは殿下だけですよ。それをこれから長い時間を掛けて証明してみせます!」
にっこりと笑ってそっと頬を両手で包むと、ゼスト様は泣きそうな顔で笑っていた。
それから、私達は正式にお付き合いを始めた。
といっても、周りの人には言っていない。
彼からのお願いで、決着が付くまでは内緒にしておいて欲しいとの事だったので、私達は人の目から隠れてお忍びデートを楽しみまくった。
三月経った頃、師匠から王宮が混乱しているらしい話を自宅で聞いていた。
「どうやら王弟のゼスト殿下が王族を捨てるという噂が立っておるらしい」
その話に私は飲んでいた紅茶を噴出した。
「汚いぞ、アリシア。まぁ、それほど驚くことじゃ。あの方も苦労なされたからな。父親である先王は生まれてすぐに亡くなり、母親は20歳と若かった為、子と王宮を捨ててすぐに再婚したんじゃ」
優しさを具現化したような母が台拭きと新しい紅茶を持ってきてくれた。
「後ろ盾はなかったが、才能に溢れていた為だいぶいいように扱われていたからな。あの方は王族から離れたほうが幸せじゃ」
そう師匠が言った時、我が家の玄関を叩く音が聞こえた。
師匠も母も不思議そうにしている。
我が家は国境付近の森の奥深くに建っており、滅多な来客はない。
「道にでも迷ったのかの」
そういって師匠が玄関へと向かうと珍しく「ぎえ!?」と変な叫び声を上げた。
魔法に精通している師匠がまさかやられた!?等不吉なことを考えながら、玄関に向けて走りだして壁にぶつかった。
「ぐぇ!」
「あぁ、アリシア。逢いたかった」
そういって壁もといここにいるはずがないゼスト様が私を抱きしめた。
確かに先ほど話していた本人が前触れも無く玄関先に現れれば、流石の師匠だって驚くはずだ。
「僕のアリシア・・・」
「ゼスト様、逢えて嬉しい。けれどどうしてここへ?」
驚いた際に腰を痛めたのか腰を擦りながら師匠が居間に入ってきたが、抱き合っている私達を見て今度は頭が痛くなったらしい。
あちこちを痛めている師匠に母がそっと寄り添っているのが視界に入った。
ゼスト様は私をもう一度力強く抱きしめると、少し距離を離して足元に跪いた。
「アリシア。君を一生愛することを誓います。僕と結婚して下さい」
「えっ」「なんと!?」「あらまぁ」三者三様の驚きを傍目にゼスト様は私の手をそっと握った。
「とても嬉しいです。けれど婚約者の方は?」
「僕は本日を持って王族から除籍されたんだ。だから一般人の僕には婚約者はいない」
「じゃあ、じゃあ!私達本当に結婚出来るのですね」
「うん。長かった。君に逢えない時間がこんなに意味のないものだったんだと改めて気がついたよ」
「ゼスト様!」
ひしと抱き合った後、ゼスト様は改めて師匠夫婦に向き合う。
「今まで用心の為とはいい、アリシアとの付き合いを隠していたことをお詫びします。しかし、私達はお互いに愛し合っています。私も王族とは縁が切れました。どうか彼女との結婚をお許し下さい」
頭を下げるゼスト様に師匠はあわあわとしていたが、フフッと母が笑った。
「一度話しませんか?私達は貴方様のことをまだ何も知らないのです」
「わかりました」
そういって食事もかねて四人で食卓を囲み、夜遅くまで様々な事を話した。
今までの苦労やらどんな生活を送っていたのか。
またはこれからどうやって生計を立てるか等、酒も入り混じりながら話し合った。
夜も遅くなったので、今夜ゼスト様は客間に泊まってもらった。
翌朝、四人で朝食をとっている時にふと、母が一言言った。
「私は貴方ならアリシアを任せられるわ。あなたはどう?」
「そうじゃな。今の勢いだけの結婚とは違うようじゃし、わしも構わんよ」
その言葉に思わず師匠夫婦の手を握り締めていた。
「ありがとうございます」
「ありがとう!師匠!お母さん!」
それから一月後、私とゼスト様は無事に結婚式をあげて、正式な夫婦となりました。
今の私たちの家は師匠夫婦宅から少し離れた場所に建てた少し大きめの家。
私は今までどおり魔法薬師としての仕事を自宅地下でこなし、ゼスト様は朝昼限定の傭兵としてこのあたりに名を轟かせている。
様々ある才能の中で剣の才能がずば抜けているらしく、それを生かした仕事をしたいと傭兵を始めたとのことだった。
そしてお仕事に向かうゼスト様を見送るのが妻の私の役目。
もう一つの役目は、朝に優しく微笑みながらベッドに押し倒してくるゼスト様をどうにか勤務時間までに身支度を整えさせるという難しい役目もある。
王族との恋、監禁宣言、身分違い等何だかんだとありましたが私達夫婦は毎日幸せに暮らしています。
おまけ
無駄に頑張って考えた設定。
世界:魔法ありのファンタジー世界
妻:アリシア
フリーの魔法薬師の一人。実力者。
師匠はフリーだが、王宮に一番頼られている凄腕魔法薬師。
愁いを帯びた夫を見てから気になりだし、話すようになって恋に落ちる。
ヤンデレ化した夫を甘えて言いくるめることが多い。
捨て子だったアリシアを師匠が育てた。
性格:少し夢見がちだが実はちゃっかりしている明るい人。
外見:栗色の少しクセ毛髪で瞳は緑。目が大きく、愛らしい顔立ち。
夫:ゼスト
常に長剣を帯刀している為騎士に見られがちだが、実は王弟。
先王が亡くなる前に産まれた子で、兄の王とは親子程歳が離れている。
母は20歳と若く、生まれてすぐに先王が亡くなったため、王宮と子を捨てて他の貴族と再婚した。
その為、他人の愛情に対して常に不安を持っている。
妻と結婚してからは王宮を離れ、凄腕の剣の腕を活かし、傭兵として朝昼限定で働いている。
性格:表面上はにこやかで穏やかにしているが、いつも寂しさと不安を持っていた。
妻に出会い、愛情を感じているが、たまに箍が外れてヤンデレ化する。
外見:少し長めの黒髪に似ているほどの深い青髪に青い瞳。細マッチョな優しい系イケメン。