対馬オメガ塔 第二回
鉄塔の真下まで来ると、整地された土地がある程度まとまってそこにあった。白い建物の壁に蛇口があるのを見つけて、それをひねってみると水が出た。
「うーん、きもちいいっ」
マリーは水でばしゃばしゃと顔を洗う。犬みたいに髪を振り、顔についた細かい髪を指で剥がしていく。すっかりお目覚めのご様子。
僕とマリーは五階建の小さな建物の際から、鉄塔を見上げる。そう、五階建の建物が小さな建物になってしまうというおかしな状況。でも、それはおかしなことじゃなかった。
「うわぁ、大きいわねぇ」
「首が痛くなるね」
「どのくらいの高さがあるのかしら……」
「赤と白の部分がそれぞれ30メートルだから、えーと……」
「1、2、3…………14、15……?」
「450メートル」
「すっごい!」
東京タワーよりも高い驚きの数字。真下から見上げると、その先端がかすんで見えるほどだった。
さて、鉄塔の足下にあるコンクリート造の小屋に入り、鉄塔の内部まで進んでいく。
「なにするのよ?」
真後ろにぴったりついてきているマリーが訊ねる。
「うーん……上ろうかな」
「はぇ?」
なんともいえない呆れたという反応。それもしかたない。だって、
「なにか目的でもあるの?」
「ないよ。おもしろそうだから上りたい」
こんなだから。
小さい頃から僕はこんな調子だった。おもしろそうならとりあえずやってみよう。お寺の裏山(もはや密林)を半日かけて踏破したこともある。洪水の日に自転車ででかけたこともある。一日乗車券で電車に乗って、二日乗車券が必要になったこともある。もちろんどれもこっぴどく怒られたけど、14歳になった今も少しも直っていなかったりする。高い鉄塔があるなら、上りたいと思うのは当然じゃないか。
奥の奥まで入り込むと、ついに鉄塔の中に辿り着いた。鉄塔の直系は3メートルほど。壁の一部から梯子が伸びていて、それが遥か上方まで続いているようだけれど、内部は暗いためか、すぐに梯子の先は見えなくなっていた。梯子の回りには落下防止のために円柱状の骨組みが取り付けてある。だけど、それもかなり心もとない。はっきり言うと、怖い。
「マリーはどうする?」
「うっ……」
ちょっと気が引けているマリー。この梯子を上るのは、想像するだけでも十分怖いのだ。
「じゃあ僕は一人で上るよ」
「ううー、上るわよ!」
うっすら涙目になりながら答える。たぶん、すっごい負けず嫌いなんだと思う。
「ならマリーが先ね」
「なんで!?」
「マリーが足を滑らせたりしたら、僕が下にいないと止められないじゃない。安全のためだよ」
「むぅ、たしかにそのとおりだけど納得しかねる思いがあるといいますかなんというか……」
やや不満があるご様子。
「いいから、ほら、早く上って」
「パンツ見ちゃダメだからね」
「ムリだよ、ぜったい見えるから」
「……えっち」
「えっちでもなんでもないよ、見慣れてるから」
「え、見慣れてるの?」
「お姉ちゃん」
「なるほど納得」
姉って生き物はおうちの中だといつだってだらしないんだ。
マリーが梯子を上り始めると、僕もその後を追って上り始める。
梯子にはサビ止めが塗られているのか、表面にはうっすらとコーティングが施されている。それがすべり止めにもなっているので、最初のうちはすいすいと上っていけた。
しかし、あれだ。見慣れているとは言ったものの、常に視線の先に刺激的な光景が映っているのはやっぱり別みたいだ。
すらっとした綺麗な足の先、短いスカートの端をひらひらさせながら上っていくマリー。スカートの中も丸見えだから、梯子を一段上るたびに、ふとももの間でぴったりと貼りついている白い布の表面が、しわになったり伸びたりしているのがずっと見えている。
水着だとわかってるんだけど、なんだか気恥ずかしくなっていく。
思わず視線を下げる。でもすぐにまた見上げたくなってしまう。
(もうっ、もうっ! 僕ってやつは!)
自分が年頃の男の子だということに、いやがおうでも気づかされた。
だけど、そんなことは10分も続かず、20分にもなるとあやしくなり、30分にもなるとそれどころじゃなくなってきた。
「長い、疲れた……」
梯子はどこまでも続いていた。30分も上り続けているのに、まったく頂上に着く気配がない。かなりの高さまで上ってきたはずだ。ちょっとうんざりしかけている自分がいた。ただ幸いなことは、鉄塔の中が暗く、等間隔にライトが設置されているだけなので、下のほうがほとんど見えないということ。高い場所から下を見て肝を冷やすなんてことがなくて助かる。
「ああん、まだなのぉ?」
ついにマリーが愚痴りはじめた。マリーの額や背中、ふとももあたりからポタポタと汗が落ちてきて、僕の顔にかかったりする。それがさらに僕の身体を伝って、遥か鉄塔の底まで落ちていく。
鉄塔の中はどちらかといえば涼しいほうだと思う。でも、絶望的なまでに風がない。一度暑いと感じたら、もうどうすることもできなかった。マリーのほうを見上げると、水着もスカートもすっかり汗で濡れていて、何回か顔をぬぐったのか、パーカーもずいぶん重そうに垂れている。
「きゅーけー」
マリーはそう言うと、梯子を上るのをやめて勝手に休憩を始めた。と言っても、ホントにその場で止まっているだけのものだけど。もちろん、先を行くマリーが止まってしまえば、僕も止まるしかなくなる。
マリーはよほど疲れたのか、腰を落としてぐったりとし始めた。
ふとももの汗が逆にお尻の方に向かい、ふとももとお尻の曲線に沿って流れていく。そして、お尻の先でぷっつりと離れ、僕の顔に落ちてきた。僕はTシャツの端をめくりあげて、自分の顔を何度もぬぐった。
五分ぐらいそうしていたけど、このままだといつまでも動きそうになかったから、僕は右手でマリーのお尻を持ち上げた。マリーの肌はべたべたしていたけれど、もう気にしなかった。どっちの汗かもわからないほど混ざり合っていたから。
「ほら、もう行くよ」
「やあん、えっちぃ」
色気もなにもないお言葉を楽しんでいる余裕などないわけで。マリーはすぐに梯子を上り始めた。
それから暫くすると、上の方で光っているライトの数がわかるようになってきた。と思ったら、すぐに一番上に着いた。なんだかあっけないな、と思いながら、鉄の扉を開けると、風が僕とマリーを包みこんだ。
「うわぁ、すっごい風ぇ」
マリーの長い髪がばたばたと揺れている。流れていると言ってもいいくらい、髪は真横からあおられていた。もちろん、僕の顔に大迷惑なのは言うまでもない。
「早く行って」
「あ、ごめんね」
マリーが外に出ると、それに続いて僕も外へ出た。鉄塔の中が暗かったため、外に出た瞬間、目がくらんでしまったけれど、ホワイトアウトした視界は徐々に鮮明になっていった。そして、目の前に広がる光景に驚かされた。
360度の大パノラマ。
そういう謳い文句を掲げている建物は数あれど、ここまで文字通りの大パノラマは他にないと思った。だって、東京タワーよりも高いんだから。
太陽の位置から考えると、鉄塔の南に向かって細長い陸地が延びている。結構大きな島なのだろうけど、そのほとんどが森で覆われている感じだった。島の周囲は大きな海、北西の方角の遠い場所に長い稜線が見えている。南東の方角も同じように、遠い場所に稜線が見えていたけれど、こちらの方が北西のものより遠いようだった。
そういう地理的な景色もすごいけれど、なにより遮るもののない広い視界が僕を感動させていた。
「きれいねぇ」
マリーも同じように景色に感動しているらしいけれど、すぐに怖いもの見たさで端の方へ行こうとする。
「突風がきたら危ないよ」
高さが高さだけに、風は地上なんかとは比べものにならないくらい強い。
「じゃあ、ほら、手ぇ握っててよ」
「もう、しょうがないなぁ」
僕はマリーの手をとると、ぎゅっと強く握った。
マリーは端まで近づくと、首を伸ばして下をみる。すると、すぐに首をひっこめて僕の腕にしがみついてきた。
「こ、こわぁい!」
ホントに怖かったらしく、ちょっと小刻みに震えていた。
「でもなんでこんなところまで梯子を付けたのかしら」
「たぶんあれだと思う」
僕が指差した先には、大きな赤いライト。
「飛行機の誘導灯じゃないかな。点検とか交換とか」
「なるほど」
マリーは納得したご様子。気が抜けたのか、マリーはその場に座り込み始めた。僕もその隣に腰を下ろす。
「それにしても……疲れたぁ」
マリーの口から出た心の底からの疲れた宣言に、僕も心の底から同意したい。
「疲れたけど、でも楽しかったでしょ?」
「うん、そりゃあね、でも梯子はもういいよ」
「あたしも」
一時間以上梯子を上り続けた僕とマリー。一生分の梯子を上った気分だ。もうこんな長さの梯子は来世にお任せしたいところ。
東の方を見る。朝焼けの赤が退いて、淡く明るい白色が幅をきかせ始めていた。そして、その先の方で、雲一つない青空が鮮やかな色を見せていた。強めの風が僕たちの周りを飛びかい、その風に揺らされたマリーの髪が僕の腕を何度も撫でていった。それが、とても心地よかった。
「さてと、そろそろ戻ろうか」
僕が腰を上げると、マリーがどこか不思議そうな表情を浮かべた。
「どうやって?」
「いや、どうやってって、上がってきたのと同じように梯子で……」
僕はそこまで言いかけて、気がついた。ああそうか、また梯子を使って下りなきゃいけないんだ。そう思った途端、
「「はぁ……」」
二人同時に溜め息をついたのは言うまでもなかった。
対馬オメガ塔。
1970年建設着工、1975年完成。
オメガ航法の送信局として建てられたことから対馬オメガ塔という名称が付けられた。
高さ454.83メートル。それまで日本で最も高いとされていた東京タワー(333.33メートル)を抜いて、日本で第一位の高さを誇る電波塔となった。1998年に役目を終えて解体されるまで一位を守り続けた超巨大鉄塔である。
現在、跡地は公園として利用され、鉄塔の一部がモニュメントとして残されている。
たしか森絵都さんの『宇宙のみなしご』だったかに、屋根を見ると理由もなく上りたくなる少女がいて、奇行ではあるけれどその気持ちは分からなくもないなぁなどと思っていた中学時代を思い出していました。だって面白そうじゃない。今やるとおまわりさんに捕まりますが。
そろそろ久しぶりに投稿用のものでも書こうかと思い、中高生の少年の一人称でいこうと思ったのですが、よくよく考えればその年頃の子の一人称で書いたことがないということに気づいてしまったので、文体のエージングとして何か書こうと思いました。それがこれです。
まだ一人称に慣れていないのか、文章の技巧を上手く仕込めないので、もう少し何かやってみます。
あ、何かオススメの廃墟があったら情報提供お願いします。