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第二話 天狗骨折鉄アクリル。

 自分こと中町ユウトがなぜ美術部に正式に入部したのかと聞かれると、そうただなんとなくなのだ。

 大義名分こそあれど実際は流されるままに美術顧問に誘われたから、というあまりにも真剣に美術の道を志す者からすればひどく安易な理由なのだった。


 その美術部は多くに見られるような特徴を有さない、ある種「特殊」な傾向にあった。

 まずは制作するものは各自自由。

 デッサン・模写・水彩・油絵などに加え、低価格ながらも鉄で鋳造してつくる指輪作り、粘土細工、紙細工。

 なんでもありの選り取り見取り。部員がそれを望めば、部に既に有しているならば即制作開始が可能。なかったとしても学校から支給される部費で購入が出来た。

 今考えれば非常に自由度が高く、それを生かさない手立てはなかっただろう。しかし自分は前述の通りの「鉛筆野郎」であることを改めて明言しておく。

 そうして実に魅力的な部費について。自らの通う高等学校の部活では運動部ならば月で数千円、文化部でも数千円以上かかるものもある一方で、美術は無料なのだった。

 どこまで言っても自腹を切る必要もなく、本当にタダ。タダより高いものはないが無料だった。かといって設備が欠乏しているかといえばそんなことはない。

 何年も何十年もコツコツと部で購入してきただけに設備も素材も大量に存在していたらしい。アクリル絵の具にいたっては大き目なダンボールでもお釣りが来るほどに大量に存在した。

 自らの行い次第だがノーリスク・ハイリターンを体言するかのような部活だったのだ。


 そうして数々の選択肢から自分が最初に選んだのは、やはりというかやっぱりというか鉛筆模写だった。


挿絵(By みてみん)


 模写の対象は部活に転がっていた直径十数センチはあるであろう巨大な貝殻、さらに小さな貝殻までの、複数の貝殻をまとめて一枚の絵に描くことにした。

 その時の自分は妙に生意気で、部室に飾られていたまるでモノクロ写真が壁に貼ってあるのではないかと錯覚するような、先人であり遠い先輩の鉛筆模写の秀逸な習作を見て。


 これなら俺にもできそうだな。


 そう、声に出したのだ。その時の自分がいかに矮小で愚かな人間だったかを、今思い出すだけで恥辱に頭がどうにかなりそうだ。

 そんな発言を大々的に美術顧問の前でしてしまったのだから、大馬鹿も大馬鹿である。


「あなたにはまだコレは描けないわ」


 そう一喝されるのが当たり前。そんな生意気にもまったくもって優しい美術顧問で、思い起こすだけで涙が出そうだ。

 結果として貝殻の処女作は当時の残念な自分には満足だったが、今見ると赤面モノであるからしてお察し願いたい。

 

 それからも模写を色々と行った。

 印象深いのは「木炭デッサン」だろうか。大き目の厚紙に、細長く中心に穴が空いた棒状の木炭を使用した。

 それは非常に軽く、触るだけで手が黒い灰粉を纏ってしまった。

 このデッサンの特徴と言えば「消しゴムが使えない」ことと「木炭で描くのではなく、木炭を消していく」というものだった。

 一応数種類の方法があるが、自分の経験したのは「一度紙を木炭で塗りつぶし、後から黒い部分を消していき紙由来の白を浮かび上がらせる」だ。

 さらにはもしかすると覚えのある人もいあるかもしれないが、ここで消すための道具として登場するのは「食パン」である。

 食パンの「耳以外」の生地をちぎって炭を消すというより、ふき取るのだ。

 食パンにも鮮度が必要で、おそらく人が普通に食べられる間しか使用できないものだった。

 食欲旺盛な当時の自分としては「もったいない」の一言だ。消費量も決して少ないわけではなく、スケジュールの関係上廃棄する時もあれば足りずに近くのコンビニまで走ることもあった。

 そうして出来上がったのは「牛骨」の木炭デッサンだ。デッサン対象としてはオーソドックスらしい「牛の顔部分すべての骨」を木炭で描いたのだった。

 またしても満足気な自分だったが美術顧問曰く「……一応形にはなっているかな」言葉を濁す感想だった。実際今見ても同じように満足感に浸れるかと言えば、ノーである。


 そして自分にとっての、今後に大きく影響を与えたのがアクリル絵の具を使った色彩模写である。

 

 模写対象はここで生きる「鉄道趣味」だ。

 家のアルバムから探しあてたそれは、一部には有名である鎌倉と藤沢を結ぶ神奈川県横須賀の地方私鉄「江ノ島電鉄」の車両とその私鉄の駅こと江の島駅の写された写真だった。

 今は法令上では鉄道という括りになっているが、江ノ電と聞くと「路面電車」を連想する人も現在も少なくない。

 緑とクリーム色のツートンカラー、鈍重な車体に小さい窓が並び、どこか懐かしさも感じさせるいわゆる「昔ながらの江ノ島電車」だ。

 木造のホーム屋根で線路を挟んで二つのホームが対面する、これまた「昔ながらの木造駅」のツーセットだ。


 まずは鉛筆で写真の模写をした。鉄道にコダワリを持つ自分にとって煩雑な仕事など出来るはずがない。

 特徴的な電車の二段窓から、屋根にすっと通る雨樋まで、写真とにらめっこしながら、より忠実に忠実にと時間をかけた。

 模写にこだわりすぎて、着色の期間があまりにも短くなってしまうほどだった。

 

 着色に関しては先述した通り、水彩で描けば悲惨なものになったこともあり、一種のトラウマによる苦手意識があった。

 しかし着彩しなければそれは一部の人間以外には「古い電車」としか認識されないほど、その江ノ電の特徴的である緑とクリームは重要課題であった。

 これまた苦心した、美術顧問の手解きでなんとかコツをつかんでいき、これも結構な時間をかけた。

 色を作り、色を乗せる。題材こそ趣味ではあるが、まさしく苦渋の日々だった。


挿絵(By みてみん)


 そうして完成したのがアクリル絵の具による江の島電車の風景、題名は「駅にて」だった。

 完成したその瞬間に言い表せない激情が全身を駆け巡った、それは紛れもなく完成にこぎつけたことによる達成感だった。

 おおよそ足掛け六ヶ月、文化祭に展示することになったそれには来場者から「なつかしいねえ」や「江ノ電だ!」と好評を得た。

 この頃には有頂天、鼻高々で生意気な自分はすっかり息を潜めていた。

 それだけこの作品の完成と、作品を描く過程での時間による影響は計り知れないものだったのだ。


 のちにこの作品が自分が称する「風景画三部作」の一つとなり、分かりやすく成長の過程を垣間みることとなる。


 ちなみにこの美術部に入部した一年坊は自分含めて三人、しかし秋の文化祭を控えた頃で結果的に残ったのは自分一人だった。

 そう、今思えば「生意気な自分」が消えたのも、辞めていった同級生とは一緒にされたくないという踏みとどまる為の意地だったのかもしれない。


 そうして次に話すとすれば、生徒会に委託され文化祭で使用する「アーチ制作」だろう。

 さらには自分一人のみが一年坊で唯一生き残る結果になった、その過程も話していこうと思う。

 

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