第9話 調整という名の戦場
今回の回は、残酷描写や性的描写があります。
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午後。私は神界の傍ら(かたわら)にある温泉に浸かっていた。
これから始まる『調整という名の戦場』を前に、肌を清め、こびりついた返り血の匂いを消しておく。
それは私にとって、出撃前に行う儀式のようなものだった。
「……そう言えば、戦いばかりで、温泉なんていつ振りかしら」
ふと漏れた独り言が、湯気に溶けて消える。
最後に安らぎを感じたのがいつだったか、もう思い出せない。私の歩んできた道は、血に染まった戦場への出撃だけで埋め尽くされている。
――けれど、目を閉じれば、今でも昨日のことのように思い出す景色がある。
「昔……お母さんに連れられて、何度か人間界に行ったことがあったっけ。あの頃は、本当に楽しかったな……。人間に化けて、人間の村で過ごしたのよね。色んな新しいことがあったわ。……あそこで、色んなことを学んだ」
特に覚えているのは、魔化種で遊んだこと。
地面に投げれば大輪の花が咲き、川に投げれば水が宝石のように輝く。
イメージしたものを何でも形にできる、魔法の種。
幼かった私が、自分の失敗した『ヘンテコな幻影』を見てお母さんと笑い転げた、あの温かな空気。
色鮮やかな花畑、優しい風の匂い、そして隣にいた母の温もり。
あの平和な村での記憶だけが、私の人生で唯一、私が『ただの女の子』でいられた宝石の様な時間。
――だが、現実は残酷だ。
滅多にないこの『調整』に呼ばれるたび、私は本物の死線を彷徨うことになる。
その逃れられぬ恐怖を思い出し、熱い湯の中で私の背中は小さく震えた。
湯気に包まれた全身は、潤いを帯びて発光し、吸い付くような生々しい色気を放っている。
だが、私自身はそんなものに興味はない。お湯に浸かって浮かび上がる、数々の古傷だけを無感情に眺めていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――そして一時間後。私は神界の最奥にある施設『魔力増長の部屋』へと足を踏み入れた。
ここは、規格外のSSランクの化け物に抗うため、無理やり肉体を『限界以上』に強制拡張する、禁忌の場所。
部屋の中央に立つと、慣れた手つきでボタンを外し、衣服を脱ぎ捨てた。
温泉で清めたばかりの肌が、冷ややかな空気に晒される。
羞恥心など、この地獄に何度も埋めてきた。
天井から降り注ぐ無機質な魔光が、一糸まとわぬ私の姿を、逃げ場のないほど鮮明に暴き出していく。
「準備はいいな、フェンリル」
声の主は、神界の叡智の結晶『魔力増長の部屋』の主、デッカー博士だ。
私は何も言わず、氷のように冷たくて硬い処置台の上に、白く柔らかな背を預けた。
重力に従い、硬質な台に押し潰された肉が、無残にその形を変える。
数人の助手たちが、壊れた機械をメンテナンスするかのように、事務的な手つきで群がってきた。
一人の助手が、測定の邪魔だと言わんばかりに、豊かな膨らみを何のためらいもなく無造作に鷲掴みにした。
指先が食い込むほど強く掴み上げ、乱暴に位置をずらす。
助手たちの手は、死人のように冷たかった。
彼らにとって、私は温もりを持つ女ではなく、ただの調整対象に過ぎないのだ。
「左胸の魔力伝導が鈍いな。もっと強く端子を押し当てろ」
「了解。……まあ、どうせ戦場に出ればすぐにボロボロになる消耗品だ。多少手荒に扱っても問題ないでしょう」
男たちがそんな無機質な会話を交わす間も、彼らは私の体をただの「部品」として、事務的な手つきで乱暴に扱い続ける。
無遠慮な力が加わった箇所から、白肌が痛々しく赤く変色していく。その赤みは、私がどれほど心を殺しても、この体がまだ生きている女であることを残酷に証明していた。
助手たちはさらに、胸の先端や柔らかな腹部、そして下肢の最も繊細な箇所へと、冷たく光る金属の端子を次々と力任せに押し当てていく。
ただの『検体』として、急所に冷たい異物を淡々と配置されるたびに、私の指先は屈辱に震えたが、彼らは私の顔さえ見ようとはしなかった。
「魔力増幅、開始。密度を上げろ」
不気味な静寂のあと、調整という名の戦場の火蓋が切られた。
――次の瞬間。
その体は、内側から爆発するような凄まじい魔力に、無残にも貫かれた。
「――っ!! あ、あぐぃ、あぐいぃぃぃッ!!」
悶絶して絶叫した。体が弓なりに激しく跳ね上がり、白かった肌は苦痛の汗ですぐに濡れ、全身に血管が不気味に浮き上がった。
「まだ耐えられる。密度をもっと上げろ」
「しかし、これ以上は……!?」
「構わん、上げろと言っている!!! 早くしろ!!!」
非情な命令。だが、モニターを見つめる博士の瞳には、血の滲むような葛藤が宿っていた。
これに耐える事が出来なければ、フェンリルは明日、必ず戦場で散る。
生かすために、あえて鬼となって地獄を強いる。
それが、彼にできる唯一の救いだった。
「あ、が……っ! うがっ、ぁ、ぁあああ!!」
限界を超えた圧力が、その五臓六腑を叩き潰す。
溢れ出した赤黒い血が、真っ白な顎や喉元をドロドロに汚し、処置台の上に広がっていった。
彼女は悶絶して絶叫しながら、意識が白濁する中で、あの静かな夢を必死に追いかけ、これまでの戦いの日々を回想していた。
(あの日も、その前の日も……私の周りには、いつも血の匂いが立ち込めていた……)
『リル様! 敵の第一陣は片付けました! ですが、西の防壁が破られ、魔物の群れが街へとなだれ込んでいます!』
『……休む暇などないか。いいだろう、すぐに向かう。一匹残らず、私が片付けてやる……』
(毎日、毎日……。誰かを殺して、何かを壊して。私の手は、いくら洗ってもこの罪が落ちることなど、決してないのだ……)
(……いつか。いつか、こんな痛くて苦しい場所から抜け出して。血の匂いなんてしない場所で、誰かと一緒に、ただ笑って、静かに暮らせる場所があれば……)
(もし、この呪われた運命から私を連れ出してくれる者がいるなら……私は……!)
「……だれ……か……わたしを……ここから……たすけ……て……」
明日には、また過酷な戦場が待っている。遠のいていく意識の中で、彼女は届かぬ救いを、温かな誰かの手を求め続けていた。
それが、神界を救うための『裏切り』の始まりであり、100年後の未来で、一人の赤ん坊を抱き上げることになる長い放浪の序章であることを、彼女はまだ知らない。




