第12話 謎の男!フェニックス・ゴトー登場!
神界を覆うどす黒い雲が、じりじりと地上に重圧をかけていた。
リルたち先鋒部隊は、かつて聖域と呼ばれた『神聖の森』へと足を踏み入れた。
本来なら神々しい光に満ちているはずの木々は、今や魔素を吸い込み、どす黒い粘液を垂らす異形の植物へと成り果てている。
先頭を行くモッスンの山のような大きな体が、霧を切り裂くように進む。
それぞれの武器を握り締め、一歩、また一歩と森の深淵へと歩みを進めていた。
「重い……魔素が重すぎるニュン。空気そのものが毒に変わっているニュン」
ニュンが口からピンポン玉ほどの魔力玉をプッと吐きだし、プカプカ浮かせて周囲を警戒させる。
「へっ、これくらいが燃えるってもんだぜ! 俺の熱血で、霧ごと焼き払ってやるよ!」
ウーベが爆炎大剣『キャンドルライザー』の柄を握りしめ、強がりの声を上げる。
すると、その巨漢が不意に足を止めた。岩のような鼻をひくつかせ、周囲の空気を睨みつける。
「……止まるスン。この感覚……間違いない、モンスターテンだ。すぐ近くにいる。大気が歪むほどのプレッシャーを感じるスン」
その時だった。
前方の霧の中から、場違いなほど軽やかな声が響いてきた。
「おやおや~、ずいぶん威勢のいい方々がいたもんですねぇ。こんな毒気たっぷりの森の奥地にでも遠足ですか~? 酔狂なことですねぇ」
静寂を切り裂く、場違いなほど軽薄で伸びやかな声。
全員が瞬時に身構え、声の主へと視線を向けた。
そこには、腐った大樹の根元に背を預け、退屈そうに空を仰いでいる男がいた。
燃えるような赤い髪を無造作に後ろで結い、着古した着流しの服をだらしなく羽織っている。
神界の住人とは思えない、異国情緒あふれるその格好。
そして、その背中には……
――生と死を象徴する、鮮やかな『不死鳥』の紋章。
「誰だニュン! ここは現在、超特級危険区域に指定されているニュン。一般人は死にたくなければ、すぐに退避しろニュン!」
第五席のニュンが警戒を露わにし、手の中の球体に魔力を込めて鋭い視線を送る。
男は「やれやれ」といった様子で、腰に差した奇妙な形の刀の柄を弄りながら立ち上がった。
「はいはい~、怖いですねぇ。僕は、ただの『ゴトー』ですよ。道に迷った風来坊、って言いたいところですが……。まあ、ちょっとした探し物をしてましてねぇ」
ゴトーと名乗った男は、ひょうひょうとした態度で見渡してきた。
その瞳は、絶望に染まったこの森の中でも、奇妙なほど澄んでいる。
「何だぁ? この魔素の中でピンピンしてやがる。おい、ふざけてるならその着流しごと焼き切ってやるぜ!」
第七席のウーベが剣を鳴らして威圧する。
だが、ゴトーはその威圧をどこ吹く風と、一瞬で間合いを詰め、こちらの顔を覗き込んできた。
「おや~、えらくべっぴんなお嬢さんがいてるじゃないですか~。ねぇ、そこの女神様。こんな血生臭い場所はやめて、今度僕とデートでもどうですか~?」
一瞬、空気が凍りついた。
無感情に、腰のフェンサンダーの柄に手をかける。
「アナタ……死にたいのかしら?」
「ひゃっ! 怖いねぇ。でも、そういうツンとしたところも嫌いじゃないですよぉ~」
ヘラヘラと笑うゴトーに、後方の三姉妹が噛みついた。
「リル様に変な口をきかないでパピ! どうしてもって言うなら、私がデートしてあげるパピよ!」
「デートなんて100万年早いですプピ! リル様は神界の宝プピ。不潔な男は近寄るなですプピ!」
「まずはそのふざけた格好を直すべきですポピ! 着こなしがだらしなさすぎて目の毒ですポピ!」
三姉妹の弾幕のような罵倒を浴びながら、ゴトーは耳をほじりながら苦笑いを浮かべている。
「おっとっと、ちびっ子たちにまで嫌われちゃった。こりゃあ前途多難ですねぇ」
立ち上がったゴトーは、リルの腕輪を一瞬だけじっと見つめ、何かを察したように目を細めた。
思わず、内側から熱を帯び始めた腕輪を隠すように、袖を引く。
これほどの魔圧を浴びてなお、呼吸一つ乱さないその男に、モッスンが重々しく口を開いた。
「お前……ただ者ではないスン。その紋章、フェニックスの加護を受けているのかスン? ……それ以前に、その若さでそれほどまでに『気の抜けた間合い』を保てる者は、ワシの知る限り神界にはおらんスン」
「さあて、どうでしょうねぇ。ただ、この先の『お家騒動』に巻き込まれるのは、僕も御免被りたいんですが……。まあ、お気をつけて。死んじゃあ元も子もありませんよ」
「……ゴトー、さん?」
その男をじっと観察した。魔圧を感じさせない、まるで一般人のような佇まい。
だが、この高濃度の魔素の中に平然と立っていられる時点で、普通ではない。
武器を構えるどころか、指先一つにすら殺気がこもっていないのだ。
(『ゴトー』なんて、この神界では聞かない響きの名前ね……。それに、死を目前にしたこの森で、まるで縁側で茶を啜っているかのようなあの独特の空気。……もしかして、彼も博士が言っていた『転生者』の一人なのかしら)
呟きが聞こえたのか、ゴトーは一瞬だけ、鋭い眼差しをこちらに向けた。
だが、それはすぐに元のしまりのない笑顔に隠される。
「まあ、あんまり奥には行かない方がいいですよ。今のお嬢さんたちじゃ、ちょっと『相手』が悪いかもしれない」
「フン、抜かせ! 俺たちは神界の精鋭だぜ。どきやがれ!」
ウーベが苛立ち混じりに彼を押し退けるようにして、先を急ぐ。
再び、どす黒い霧が渦巻く森の深淵へと向かって走り出した。
「……お嬢さん。死んじゃあ、デートもクソもないですからねぇ。次はもっと景色のいい場所で会いましょう」
背後から聞こえたその声に、ふと気になって足を止め、振り返る。
だが、そこにはもう、赤い髪をした男の姿はなかった。
立ち去ったような足音も気配もなく、まるで影が闇に沈むように、彼はその場から姿を消していた。
「……消えた?」
男がいたはずの虚空を見つめた。
この魔素の濃い場所で、気配一つ残さず消え去るなど、並の神民にできる筈がない。
(……まさか、警告するために、ここで待っていたの?)
ただの不謹慎な風来坊だとは、どうしても思えなかった。
彼の言葉の端々にあった不穏な響き。
――それは、これから自分たちが直面する『絶望』の正体を知っている者のそれだった。
「リル様、どうしたパピ? 急がないと置いていかれるパピよ!」
パピーに呼ばれ、足を止めていた意識を無理やり戦場へと引き戻す。
あの男が何者だったのか、それを考える余裕は、一秒たりとも残されてはいなかった。
拭いきれない奇妙な感覚を覚えながらも、一行はさらに森の深部へと足を踏み入れた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――それから約一時間
魔素の濃度が致死量に達しようかという森の最深部、巨大なクレーター状の広場。
そこに、『それ』はいた。
ドォォォォォォォン!!
大地を爆砕するような地響きと共に、見上げるほど巨大な怪物が姿を現す。
漆黒の鱗、四本の禍々しい角、そして六つの翼を持つ、伝説の魔獣。
それは、伝説に語られる『古龍』の姿をしていた。
しかし、その巨体は、魔素を吸い込みすぎたせいか、至る所から禍々しい結晶が突き出し、瞳は理性を失った血の色に染まっている。
「……嘘、でしょ」
わずかに震える手。
ドクン、ドクンと心臓がうるさく鳴り響く。
あまりの恐ろしさに、のどが焼け付くように詰まり、呼吸の仕方を忘れたかのように息ができない。
後方のデータ班が、悲鳴のような報告を通信魔法で飛ばす。
『先鋒チーム、敵と接触! ……あ、あれは、エンシェントドラゴン! ……いえ、違います! 体表から溢れる魔素の量が異常です! これは、亜種です!』
「エンシェントドラゴンに亜種なんて、聞いたことがないわ……!」
「……魔素を吸って、無理やり進化したんだスン。これまでのデータは通用しないスン!」
ギィィィィィィシャァァァァッ!!
咆哮が上がる。
その余波だけで、周囲の空間が歪むほどの魔圧。
バトルカウンターの数値が、狂ったように跳ね上がっていく。
『計測……完了……! いえ……バ、バトルポイント……52000! 更に上昇中! 60000……65000……70000……固定されました! バトルポイント……70000です!!」
ついに、絶望的な警告音が鳴り響き、バトルカウンターに表示された数値が固定された。
【TARGET:エンシェントドラゴン・亜種】
【BATTLE POINT:70000】
グルゥゥゥ……
地響きのような唸り声が響き、黒い竜がその瞳を紅く輝かせる。
7万。
神界三傑をすら遥かに凌駕する、絶対的な「死」の数値が、目の前に立ちはだかった。
(……勝てない。でも、ここで引けば世界が終わる。……行くしかないのね)
震える指先で、フェンサンダーの柄を強く握りしめた。




