第二章
「長鋏よ帰らんか、この世の中には食に女も魚無し。魂あるところ長鋏鳴る」
帷通は楽し気に鼻歌を歌っていた。
「随分、めんどくせー歌だなぁ。胡蝶の夢の方がよっぽどマシ」
助手席で、フルーツ・ジュースの入ったコップからストローを出して飲む奇宇がサイドウィンドーの風景を眺めながらつぶやく。
入り組んだ高架道路の上下左右は夜の街を燃えたたせているかのように様々な光で輝かせている。
錆びと積層建築の歪みに、ゴミ溜めのような路上とあてどもない人々。
東京第二区の中央から東に移動してゆく。
「教養ねぇなぁ、エリート」
上機嫌な彼は、バドワイザーのプルを空ける。
ハンドルを握っているというのに、上手そうに喉を鳴らす。
「原典から勝手に造るな」
「構築師っぽいだろ? いかにも現実を造る構築師だ。夢か現実かの判断できない程度じゃない」
「どこに向かってんだよ?」
無視して言った。フルーツ・ジュースは原液の甘さががある。
「自分で探りな、エリート」
ふふん、と帷通はまた鼻を鳴らす。
「こっちゃ周禍のことで手一杯だ。なんなんだよ。大体なんでブリキ人形なんだよ、あいつの構築物。ふざけてるのか? しかもオリジナルだよ?」
構造物はその造った人間が好きな姿を取らせることができる。
「知らんね」
即答される。
実際のところ、奇宇は周禍よりも帷通のほうを調べていた。
突然現れたこの青年にいきなり信頼を置くような彼女ではない。
「……それにしても間一髪だったなぁ。ある意味、周禍に感謝しろよ。為御流とかいうおっさん、おまえを殺そうとしてたんだからな」
涼し気に缶を煽る彼に、奇宇は思考を乱される。
「……なんだと?」
「おまえは上司から消されかけてたんだよ。粛清ってやつだ。嫌われたもんだねぇ」
薄笑い。
奇宇の頭の中に為御流の姿やむかしの言葉などの思い出が渦巻く。
『天才だな、君は』
初めて会った時の暖かな微笑みと誇らしげに投げ掛けてくれたのを声を忘れてはいない。
嘲笑的でやや冷たい態度は単にそういう人物だと認識していた。
むしろそういう面から奇宇の負けず嫌いが触発されていたのだ。
來架内で粛清?
奇宇は動揺したのを窓の縁に肘を立てて頬を掛けながら、必死に平静なフリをする。
フルーツ・ジュースが甘ったるい。
殺すか。
ぼんやりとした眠そうな顔の裏で、煮たつような憎悪が湧き上がっていた。
為御流は死んでいる。
だがそれは本体だ。
情報としては、まだ東京内に存在する。
情報が。
「どこ行くの?」
流れる景色を眺め、奇宇は何気なく問う。
「不遡夜のところだが?」
「丁度いい。來架の喜劇の幕が上がるよ?」
「そんなに周禍が気に入ったか?」
「ああ、推しにしたいくらいだ」
乾いた口調で悪態をつくように吐き捨てた。
内陸部にある東京第二区と第三区の境界線近く。
ぽつりとその建物はあった。
薄暗い周りから浮き上がるような構築風景は、プライバシーを重んじる主のモノといったありふれた感がある。
しかし、このレンガ風の二階建てまどが各方面に高い所から一か所しかないそれは、「不遡夜」の本拠地でもあった。
レンガはところどころ割れ、間から苔が生えて、通路は腐った水が薄く所々に溜まっていた。
イルカ型の構築物を使う、羽根のタトゥーを目印にした非合法の対構築構築師たちだ。
その建物を前にして、車を止めた帷通はサングラス越しに眺めてしゃがんだ。電子タバコの煙を吐く。
「何してんの?」
「……下手に近づくと、電圧で感電死するから。あの周辺」
「知ってる」
「だから待ってる」
どうやら色々な探知機にもなっているらしいサングラスからの目を奇宇に向ける。
「……何を?」
敢えて、彼女は聞く。
「どうにかしろ、エリート」
奇宇は息をついた。
相当図太いタイプだ。しかも頭もキレる。
「その呼び方どうにかしろよ。あとな、おまえが正面突破してみろ。そうすれば、こっちもこっちで評価してやる。じゃなきゃ、ドブネズミ扱いだ」
彼女は、上から見下ろして調達した。
「……ドブネズミの美しさを知らねぇ奴か。まぁいいだろうよ。その代わり、容赦しねぇぞ」
バフを掛けた煙の中、ニヤリとして帷通は立ち上がった。
リボルヴァーを抜きシリンダーを軽く回転させて、腕を伸ばす。
「ついでだ、全員殺すか」
彼のつぶやきに、奇宇は一瞬ゾッとした。
冗談だろ?
銃声の一発目は、電磁網を潜り抜けてドアにめり込んだ。
情報の爆発は、奇宇にもわかった。
彼は、盛大に自分が来たと、建物内外に宣言する発令を爆発させたのだ。
二発目が電磁網に干渉して、相殺した。
「行こうか……」
地を這うような低い声をだし、帷通は建物への道をゆったりと歩き出していた。
バリっと、中間に空気が割れる音がした。
空間が限定される。
構築物があらわれる前兆だ。
中空を、やや小型なイルカの姿が何匹も泳ぎだした。
イルカたちは遠距離から、帷通の脳に直接介入をはじめ、脳みそをかき乱そうとする。
通常ならそれだけで前後不覚になり、身体の自由も失う。幻覚を見てイルカが身体を乗っ取っていただろう。
だが、帷通は電子タバコを咥えながら平然と歩を進めるのをやめず、リボルヴァーに新たに弾を込めていた。
後ろががら空きだった。
奇宇は彼が誘ってるのだろうかと邪推したぐらいに。
コックを起こした帷通は、顎を上げながら、引き金を引いた。
イルカたちが一斉に散開する。
その中を、悠々と進み、建物のドアを開く。
「降伏か、死か。好きなほうを選べ。俺基準だがな」
勝手なことを中に宣言する。
気分次第で殺したい放題ということではないか。
奇宇は
駆け足で建物の裏側から入った。
廊下を素早く二階に上がる。
そこには少年が一人、鉈を握っているところだった。
細身だが引き締まった身体の一重瞼。顔の骨格は一見してチャイナ系だ。
「……逃げないよ。こうなったら物理攻撃しなかないでしょ?」
奇宇が言う前に、琥坤が口を開く。
少年は不遡夜の代表人物だ。
彼の中には、メンバー四人の人格が統合されて、その中継地点として構築されている。
「殺されるぞ?」
「逃げても殺される」
琥坤は静かに言った。
足音が鳴る。
奇宇は舌打ちした。
構築物空間を限定する。
彼女の眼前に、遊が出現した。
「……おや、エリート。中国の出来損ないどもに加担するのか?」
帷通の嘲笑のような声が響く。
「あいつはヤバい。特殊詐欺を束ねる組潰しを重ねて来た独立独歩系半グレの一人だ。あんたを助けろとは言ったが、こうなれば互いプライドってもんがある」
淡々とだが、琥坤は殺意を明確にする。
「帷通、終わりだ。おまえの実力は十分わかった」
奇宇は声を上げた。
「やれって言ったのはおまえだぜ?」
ドアの向こうから言葉が届いた。
構築空間が破壊された。
構築物が限定した能力を発揮する保証が無くなる。
遊がどこまで通用するか分からなくなる。
「言ったろ、物理攻撃だって」
琥坤が鉈を構える。
ドアが蹴破られた。
電子タバコを咥えてサングラスを掛けた、拳銃をを構えた青年の姿がある。
琥坤は跳んだ。
同時に帷通も一歩前に進んだ。
振り上げられた鉈を持つ手を、リヴォルバーのを持った拳で外側に払う。
もう一本の腕が現れ、振るわれる。
トリガーが引かれ寸前。
瞬間、帷通の動きが止まっていた。
琥坤も動きを止める。
空間自体が破壊されかけていたのだ。
皮膚感覚でその危うさがわかる。遊の目には殺気がハッキリと宿っていた。
関心が向けられなかった間に空間の支配権を奪っていたのだ。
ヘタに動くと自身が崩壊する。
帷通は目だけ動かした。
そこには、静かに経たずむ遊と奇宇の姿があった。
「……オッケー、オッケー。茶番はここまでにしようか……」
煙を吐き出して、彼は言った。
琥坤は不機嫌だった。
パッと見、十二歳ぐらいにしか見えない少年だが、中身のメンバーは二十歳から三十代までいる。
人格として独立しているが、彼等の介入により幾らでも変わる。
今の感情の様子は、本人そのもののモノらしい。
「館」で、幾つもの浮遊ウインドウに囲まれた彼は無言だった。
帷通は、窓際で知らぬ顔で煙にバフをかけた電子タバコを吸っている。
「で、どういうことか教えてくれる?」
床に胡坐をかいた奇宇が、のんびりとした調子で聞いた。
琥坤は何か迷っている風だった。
「……言えよ、為御流を殺したのはおまえだって」
帷通が嗤う。
「事故だよ」
琥坤は即答した。
「事故?」
奇宇としては聞き捨てならない。
「俺たちは、政府の余剰金をそのままスライドさせて儲けてたんだ。いわゆる、窓口のダミーを使い、裏ガネのルートをワザと間違わせるってやつ。それを見つけたのが為御流だ。俺たちは逃げようとした。だが、為御流は殺された。周禍だろう。それで、周禍によっては、罪が俺たちに全てなすり込まれるって話」
「おまえらの罪なんだからなすり込まれるも何もないだろう?」
帷通は容赦ない。
琥坤は黙っていた。
「なるほど、図が見えたわ」
他人事のように、奇宇が納得する。
「しかも、俺の中の連中は、独自に動き出している。まず、第一にこの失敗で俺を削除しようという動きだ」
琥坤は苦々しく言う。
不遡夜の代表人格ではあるが、独立した人格でもある。
琥坤という人格は明らかに死を畏れている。
「仲間割れか?」
帷通が鼻を鳴らすと、琥坤は苦々し気にうなづいた。
「……俺の内部の人間が内部の人間を恨む。こんな不均等で自己矛盾はない。俺が俺を否定していることになる」
奇宇は、胸の内で感心していた。
琥坤の認識に、単に統合的な人格集合体ではなく、一個の代表した人格というものを見つけたのだ。
「まぁいい。利害は一致した。琥坤に協力するよ」
「帷通には、横流し先のデータを渡す話でついてるよね?」
琥坤は彼に聞く。
窓辺の壁にもたれかかった帷通は、つまらなそうにうなづいた。
「ついでに、コイツに興味でた」
電子タバコの先で、奇宇を指す。
「何だよ?」
彼女は怪しいものを見るような目になる。
「俺様の事情だ。それだけ。大体、おまえに協力するっていったろう?」
ぷいっと顔を再び背け、煙を吐く。
奇宇は嫉妬心をそこから感じた。
「……なんにしろ、めんどくせぇなぁ」
彼女は、ぼんやりとつぶやいた。
東京第三区。
スーツ姿の男がコンビニ前で携帯通信機をいじっている。
昼間である。
人々の通りは、まばらだ。
近くには、電力配信センターがある。
白塗りの顔面をした男の目的はそこだった。
目の前にバンが停まる。
周禍は黙って運転手から合図を送ってくるのを確認する。
バンは発車して通り過ぎていった。
『さぁ、見てろ。第三区は俺のモノだ』
そのセリフは、配信で宣言された。
ブリキの構築物が彼の眼前で踊り出す。
一瞬の停電。
昼間すら、東京では闇に覆われた。
『第三区、電力配信センターターミナルは俺が乗っ取った。破壊も構築も思うがままだ。もし何か話があるなら、この俺のところに連絡するといい。悪いようにはしないぞ?』
最後は嘲笑として、東京中に鳴り響いた。
曜軌は周禍のテロを心から楽しんでいた。
過激に、より過激に。
背徳感にまみれた喜びを。
狭苦しく、生ごみが腐った部屋で魚肉ソーセージを食べながら、嗤っていた。
貯金はあと一か月持てばいい方だ。
だが彼は、周禍に金儲けをさせるつもりはない。
喜びを。ただ、喜びを求めているのだ。
薄暗い部屋のなか、彼はふと気づいた。
以前、ここまでやろうと思っていただろうか?
事件を起こし、それを放送していた。
周禍として。
だが、その頃は電力配信センターターミナルを襲うほどのことを考えていただろうか? 心臓が高鳴り、恐怖とも期待ともつかない感情に彼は圧倒される。
周禍は明らかに成長していた。
当初の背徳感を是認して満ちた行動をしていた時よりも。
これは悲劇だ。
後に喜劇に変えられる要素はあった。
だがどこか違和感がある。
周禍と曜軌の二人に、ずれが生じているのだ。
やるなら俺だ。
顔面を白塗りにして窪んだ眼の周りは真っ黒になってた。
周禍、また民衆が驚くように仕込むのだ。
來架の集団が自分たちを狙ってる……。
朝になり、テーブルの上に並んだ、ウィンナーと目玉焼き、パン二枚にコーヒー一がそれぞれの席に用意されていた。
パンを口にした奇宇はぼつりとつぶやいた。
用意したのは琥坤だった。
「あーーーー、暴れたい!」
パンを齧りながら、奇宇は天井に向かって声を上げる。
「來架に突っ込もうか?」
眠そうに、帷通が応じた。
口には電子タバコを咥えている。
彼はビールの空き缶をターブルの上にゆっくりと縦に積んでいた。
「馬鹿じゃないの? 何でこちらを待ち受けてるところに出ていくんだよ。あとだしじゃんけんじゃねぇかよ」
「関係が?」
「構築戦では一気に先制を打つか、あとだしじゃんけんのほうが勝率は高い。常識だろ?」
「……なんだそれは?」
サングラスを掛けて、真顔で聞いてくる。
「は?」
「は?」
「知らないの?」
「全然知らん」
「何で?」
今度疑問を持つのは奇宇の方だった。
完成、と五本ほど建てる。
だが、信じられないと帷通を見つめていると、頭の毛の端から、青い羽根の蝶が一匹、飛び去っていっていた。
「……何か出たよ?」
琥坤が指摘する。
帷通が缶から慎重に身体を反らすと、急に眠そうにウトウトしだす。また数匹の蝶が羽ばたいた。
「……どうなるの、これ?」
奇宇は指さす。
「多分、このままだと身体が崩壊するんじゃ……」
「おい、起きろ! 漏れてるぞ何かが!!」
「……あー、ん……?」
顔を上げた帷通は、何事かと辺りを見渡した。
薄汚れた部屋の中に唯一綺麗なテーブルとそこに乗ったもの。
最後の蝶が舞っているうちに姿を消していた。
「あー、ヤバいヤバい、油断した」
やれやれという風に頭を掻きまわす帷通。
「あんた、構築物だったよね? そんなにユルユルなの?」
電子タバコを手に取って加え、一息ついた帷通は、つまらなそうな顔をした。
「……気を抜くと、バラバラになる。だからいつも神経剤入りのこれを吸っているだわ。効くまで集中しようとしてたんだが」
バフを掛けた電子タバコの煙を一気に吐く。
意外と抜けているのか。
そう考えると、この建物に一人向かった時、奇宇に背中をみせていたのは、何か意味があったのではなくて、単に気付かなかった、というだけだった気がした。
「あと、電磁波が薄くなっている」
付け加えられた言葉は、第三区の電気配信センターへのテロで、この第二区からも予備電気を送っているせいだろう。
あらゆる企業が、被害を被っている。
奇宇の構築物は第一区にある企業だが、まだ被害はなく、そして來架からの介入もない。
來架に入った時点で、表はその契約で構築していたが、裏では独自に会社を選んで構築した者だった。
「ぼやぼやしってっと、周禍が起こしたボヤで身体が大炎上するぞ」
奇宇は他人事のように言って、ちぎったパンを口に入れた。
「火の球ぐらいなら、琥坤でも作れる」
「そう言ってはぐらかす」
奇宇は飽きれたようだった。
「來架が何だって? あの事件はまだ報道されてないよな?」
帷通が聞き直す。
「その点でひとつ、俺に考えがあるんだけど?」
琥坤が口を開いた。
奇宇は促す。
「関連企業、みんな脅すってのはどう? 來架から撤収させる」
「……あー、ね」
納得してみせた奇宇だが、聞き流す風だった。
「それはそれでいいんだけど、あたしには為御流にしか興味ない」
「蠅がたかってくるの、嫌でしょ?」
琥坤は敢えて自説を通そうとする。
不遡夜にも関係があるのだ。
多分、不遡夜そのものが巨大化できる。
この見ため十二歳の少年は、意外と計算高いことを二人に知らしめた。
「五人もいれば小知恵もつくか」
敢えて為通は意地悪くい態度になった。
「褒めてくれてありがとう」
むしろ堂々と、琥坤は言った。
帷通は舌打ちする。
「お墨付き、でるかな?」
奇宇は面倒くさげに言った。
敢えてそういう態度に出るのは、内心に何かある時だった。
「貰っちゃおうか」
琥坤はニヤリとした。




