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6 温かい掌

6 温かい掌




 今日は珍しく一人でお出かけ。

 少し前までお世話になっていた児童保護施設に、渡さなければならない書類があって数ヶ月ぶりにやって来た。

 かなり古びた建物と枯れ柴の狭い庭。

 お世辞にも快適とはいえない住環境だったけど、ここには数年お世話になっていて、いわばアタシの実家のような場所だ。


 なのに何でかな。

 少し離れてただけなのに、凄く空気が余所余所しく感じてしまう。

 何が違ってしまったんだろう。


 養護の先生に用事を済ませてから、アタシは自分が使っていた部屋に行ってみることにした。

 建物三階の奥から二番目に住みなれた部屋はある。

 同部屋の子が卒業してからは独りで使わせてもらってたけど、今はどんな感じかな?

 中学生組の誰かが部屋替えして入ってるかな?

 昼間なのに相変わらず薄ぼんやりとした廊下を少しワクワクしながら進んでいく。


 古びたノブを引く瞬間は、ちょとした玉手箱を開けるような気分だった。

「あっ……」

 けれどそれは潮が引くようにアタシの気持ちを現実に引き戻した。


 明るい色のカーペット。

 クレヨンの落書きで汚された机。

 壁に張り付けられた花柄に切り抜かれた色がみ。

 ベッドの上には子どもに人気のキャラクターかプリントされたタオルケットが無造作に広がっている。


 そこにはアタシが記憶している物が何もなかった。

 見事なほどに何もなかった。


「月ちゃんが園を卒業してから直ぐに小さい子が二人も入ったのよ」

 振り向くとアタシの後には院長先生が立っていた。

「綺麗に使っていてくれたのに、アッという間にこんなに散らかってしまったの」

 小首を傾げて少しだけ困った風の先生は、それでも子どもたちの事が可愛いとばかりに微笑んでいる。


 その顔を見てアタシは思い出してしまった。

 ここでの生活がどんなものだったのか。


 何で忘れてたんだろう……。

 他人に迷惑をかけないように、空気のように存在感を消して暮らしていた日々のこと。

 ここには悪い思い出も良い思い出も何もないってこと。

 人に関わらず、大勢の中に居ても独りきりだったから。

 透明人間になりきってヒッソリと生活していたのだから。


 アタシは院長先生への挨拶もそこそこに園を後にした。

 気付いてしまったら居た堪れなくなって、少しでも早く外の空気を吸いたかった。


 古びた形ばかりの門を抜けた途端に全身から力が抜けたようになってしまって、アタシはその場に座り込んでしまう。

 あそこにはアタシが居た記憶が何も残っていない。

 使っていた机にも。

 使っていたベッドにも。

 床にも壁にも。


 もうアタシの帰る場所じゃないんだ。

 もうアタシに帰る所は無いんだ。


 この遣る瀬無さは何だろう。

 今までだって独りで居たじゃないか。

 今までだって心細さを独りで遣り過ごしてきたじゃないか。


「タイちゃんに会いたいな……」

 寂しさを感じた途端、ふわりとタイちゃんの顔が浮かんできて、気が付いたら無意識に呟きが零れてた。

 アタシが存在していることを感じさせてくれるタイちゃんに無性に会いたくなった。


「んじゃ帰るか」

 頭の上のほうから唐突に声が降ってきた。

 しゃがんだアタシの上に影ができたかと思うと、視線に先に現れた大きなスニーカーの爪先。

 驚いて見上げると彼がアタシを見下ろしていた。

「タイちゃん…?」

 何で、どーして此処に居るの?

 今日は白百合の女のコとデートじゃなかったの?

 園に行くの付き合ってってお願いしたら、面倒くさいからヤダって言ってたのに。


 もしかして……。

「……デート上手くいかなかったの? また飽きて捨ててきちゃったの?」

 居る筈のないタイちゃんの姿に安心して、思わず減らず口を叩いたら速攻でグリグリ梅干をお見舞いされてしまった。

 うーん、案外図星だったのかな?


「行くぞ」

 タイちゃんはアタシが立ち上がるのを待たずにさっさと駅に向かって歩き出す。

 アタシは慌ててその後を追いかける。

 急がないとタイちゃんのコンパスは大きいから、アッという間に置いていかれちゃう。

 今日は背中を見せられるの寂しいよ。

 肩を肘掛がわりにしても今日は文句言わないから置いていかないでよ……。


「待ってよぉ」

 小走りでタイちゃんに追いつき様に彼の学生服の裾を掴む。

 ペシッ!

 瞬時にその手を払い落とされる。

「そんなところ握るな」

 うわーん、鬼!

 少しくらいイイじゃないさ。

 仕立ての良い服に皺がよるのがそんなに嫌なの!?


 いつもなら気にせずにブチブチ文句を垂れるところなのだけど……。

 今日のアタシはその余裕も元気もなくて。

 何だか凄く悲しくなってしまって。

 自然と足は止まってしまっていた。


 きっと泣きそうな顔をしていたんだと思う。

 タイちゃんがニヤリと笑って私の元に戻ってきた。

「違うだろ」

 おもむろにアタシの目の前に手を出す。

「掴むならこっちだろ」

 タイちゃんはアタシの手を勝手に握ると、また勝手に歩き出した。

 アタシもいつものように少し引きづられるように並んで歩きだす。


 タイちゃんが何で目の前に現れたのか、アタシはようやくわかった。


 タイちゃん、お迎えありがとう。

 キュッと握ってくれたタイちゃんの掌は、大きくて温かくて。

 心細かったアタシに温もりが灯をくれた。


 アタシには新しく帰る場所ができたから、もうここには来ることはないと思う。


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