11 キスのない日常
11 キスのない日常
タイちゃんがアタシにキスしなくなった。
タイちゃんがアタシに触れなくなった。
今は夏休み。
学校に通わないアタシたちの距離は日に日に開くばかり。
元々広いお家だけど今は更に広く感じてる。
まるで独りきりで生活しているよう。
まるで園で暮らしている時に戻ってしまったみたい……。
きっかけはアタシの一言。
梅雨の終わりの少し蒸し暑い夕暮れ時。
花壇の水撒きをしているアタシの後ろで、タイちゃんはサンルームの端に座りながらポカリを飲んでた。
それはいつもの日常の一コマ。
あのヒトがゲストルームに泊まるようになっても、相変わらずアタシの近くにタイちゃんは陣取ってた。
キスしてくるのも変らない。
だからあの時、タイちゃんが後からアタシを抱きしめてきたのも日常の一コマ。
でもアタシには違ってた。
いつものようにタイちゃんの手が頬に触れた時、アタシは突然のように意識してしまったの。
あのヒトとタイちゃんのキスシーンを。
瞳に焼きついたあの光景を。
同じこの場所だった。
同じ夕暮れだった。
二人はお似合いで。
まるで恋人同士のようで。
だから唐突に気付いてしまった。
ここでキスしていいのはアタシじゃないんだって。
恋人じゃないアタシがしたらダメなんだって。
気付いたらアタシは初めてタイちゃんのキスを拒んでた。
降りて来たタイちゃんの唇に指先を当てて止めちゃってた。
「もうキスするのは止めよう?」
思い切ってそう告げたら、タイちゃんは怪訝顔になった。
でも無理強いはしないでその腕を解いてくれた。
タイちゃんは優しい。
強引そうに見えて実は凄く優しい。
だからタイちゃんの腕から逃れるのは、案外簡単なことだったんだと今更ながらに気付いた。
かわそうと思えば今までだってかわせたんだね。
だって呆気ないほどに二人の間には隙間ができてる。
「どうした?」
薄っすらとかいた汗で、額に貼り付いてるアタシの前髪を指で払ってくれながら、タイちゃんが真っ直ぐに見つめてくる。
だからアタシも、ちょっと首が痛いけどタイちゃんを見上げて真っ直ぐ視線を返した。
「ここであのヒトとキスしてたよね」
タイちゃんは一瞬不思議そうな顔をしたけど、直ぐに何の事か分かったみたいに目を眇めた。
「それがどうした」
「タイちゃんは平気なの?
あのヒトとキスした場所でアタシと同じ事して」
タイちゃんは一瞬驚いたような顔をしたけど、直ぐにいつものように皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。
いつものイジメっ子の笑み。
「お前とするのは意味が違う。気にするな」
うん、そうだね。
アタシとは意味が違うね。
でも気不味い思いをするのはアタシなんだよ?
だってあのヒトは多分知ってる。
『いつも一緒にいるのね。仲良しさんね』
この間、あのヒトはそう言って、アタシの唇をそっと撫でた。
それで分かったの。
ああ、見られたんだって。
ああ、気にしてるんだって。
だからもう決める。
もうタイちゃんとはキスしないって。
「わかった。ツキがそれを望むなら好きにしたらいい。
俺も丁度、お前とは一緒に居られなくなるところだったから」
タイちゃんは何でもない事のように捨て台詞を残すと家の中に入っていってしまった。
でもアタシはその言葉に思わず息が止まった。
心臓が止まらなかったのは奇跡だと思う。
それってタイちゃんとキスしなくなったら、もう一緒に居られなくなるってこと?
もう仲良く暮らす事はできなくなるの?
キスをさせないアタシには、かまってられないってこと?
頭の中がグルグルして呆然とアタシは立ち尽くしてしまった。
その時は何でこんなにショックを受けたのか思いつかなかった。
けど理由は直ぐに現実を伴って突きつけられた。
タイちゃんがアタシにキスしなくなった。
タイちゃんがアタシに触れなくなった。
そしてこの家でアタシは独りになった。