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ペトリコールに融けるふたり  作者: 白い黒猫
始まりについて
6/28

生きているからヨシとした

 二人で向かったのは、カラオケボックスだった。

 時間も周囲の目も気にせず話せる場所としては、ここが最適だった。

 店員が飲み物と軽くつまめるスナックをテーブルに置いて去った後、私たちは改めて向かい合う。

 私の前にはアイスコーヒー。アオイネミの前には、マンゴーティー。けれど彼女は手をつけず、真っすぐ私を見つめて口を開いた。


「……私たちの見た夢って、何だったんでしょうね?」


 私は少し悩む。

 そもそも、私たちが見たのは本当に“同じ”夢だったのか?

 そこから検証が必要だった。

 二人でタブレットにそれぞれのタイムテーブルに沿って行動表を作り照らし合わせてみた。

 眠らずに来たアオイネミと、午前1時11分に目覚めた私。スタートには違いがあるものの、どちらも7月11日の朝から事故までの出来事を体験していたことがわかった。

 幹元さんとの会話も、細かい言い回しまで同じだった。

 違いがあるとすれば、それぞれの視点で体験していたという点だけだ。


「これって……正夢とか、予知夢みたいなものなのかな」


 あの衝撃――ガラスが割れ、身体が砕けるような感覚を思い出し、私は思わず身震いする。


「時雨先生って、こういう予知夢っぽいの見る方なんですか?」


「全然。霊感もないし、UFOも見たことないわよ」


 そう答えると、アオイネミはちょっと驚いた顔をした。


「えっ? 時雨先生だから、そういう不思議な力の一つや二つ、持ってるかと思ってました!」


 私は苦笑する。彼女の中での私は、どういう人物像なのだろう?


「持ってないからこそ、想像力を膨らませて物語を書くようになったのよ」


 そう言うと、アオイネミはキラキラと目を輝かせる。


「……すごいじゃないですか! “無”から、あれだけ素敵な世界を生み出せるなんて! ますます尊敬です」


 どう返していいのかわからず、私は少し照れて笑う。


「まあ、とにかく……理由はわからないけれど、私たちはあの事故を避けることができた。それだけでも、十分すごいことなんじゃない?」


 強引に話をまとめると、アオイネミは嬉しそうに頷いて、やっとマンゴーティーに手を伸ばした。


「なんだか……ちょっと楽しいですね。二人で力を合わせて危機を乗り越えた感じって、小説の主人公になったみたいで!」


 その脳天気な言葉に思わず笑ってしまう。彼女本来の明るさが戻ってきたようで、私は少し安心した。

 怪我人は出たけれど、私たちは助かった。その事実を、今は素直に喜んでもいいのかもしれない。


「じゃあ、“二人でつないだ命”に乾杯しようか?」


 私はアイスコーヒーのグラスを掲げた。


「その言い回しも素敵! 心のメモリーに保存決定ですっ!

 乾杯しましょう、今という奇跡に!」


 彼女も嬉しそうにマンゴーティーを両手で持ち上げる。


「二人の未来に!」


「乾杯!」


 グラス同士が小さく音を立て、私たちはそれぞれの飲み物を口にした。ふう、と小さく吐いた息が、少し幸せな色をしていた。


「人生で一番おいしいお茶を飲んだかも!」


「大げさな」


 私が笑うと、アオイネミはぶんぶんと頭を振った。


「大げさじゃないです! まず、大好きな時雨先生に会えただけでも天にも昇る気分なのに、その上こんな貴重な体験を共有できて……もう、いろんな感情が高まりすぎてどうしたらいいかわかりません!」


「……すごい体験だったのは、間違いないけどね。でも、“先生”って呼ぶのは、ちょっと照れくさいからやめてほしいな。私は先生って柄じゃないから」


 私の言葉に、アオイネミは腕を組んで少し考える素振りをした。


「先生はお嫌ですか? では……“時雨様”でいかせていただきます!」


「いや、それはもっと変!」


 悪戯っぽく笑う彼女に、私もつられて笑ってしまった。


「じゃあ、私のことは“マイ”って呼んでください。

 そういえば、時雨様も井上さんなんですよね? 本名って、なんていうんですか?」


 まだ、“様”って言っている。私はポテトをつまみながら視線を上げる。


「井上 称央子なおこ。平凡な名前でしょ? だからペンネームはちょっと気取ってみたの」


「詩的で素敵なPNですよね。……本名の漢字って、どんな字なんですか?」


 私はテーブルに指でなぞり名前を書く。


「……称央子。コチラの漢字も素敵……」


 まるで詩を読むように、マイちゃんはそっとその名を口にした。

 ずっと嫌いだった自分の名前が、その時だけ少し好きになれた気がした。


「だったら、私のことは“称央子”でいいよ。マイちゃん」


 “ちゃん”付けはちょっと馴れ馴れしかったかもしれない。

 でもマイちゃんは今日一番の笑顔を見せてくれた。


「いいんですか! 称央子さんって、なんだか特別感があって嬉しいです!

 それに……名前を呼んでもらえるなんて、感動で死にそう!」


「ちょっと! そんなことで死なないでよ。あなたには、私の物語を描いてもらわなきゃいけないんだから」


「そんなこと言っていただけるなんて……誠心誠意、描かせていただきます!」


 手を合わせて祈るように言うマイちゃんの姿が、なんとも可愛らしかった。


「マイちゃんの漫画、いくつか読んだけど、絵がすごく綺麗で空気感が素敵だった。だから、すごく楽しみにしてる」


 マイちゃんは恐縮したように顔を横に振った。


「私は……雰囲気のあるシーンは描けるんですけど、物語の組み立てはちょっと苦手で。だから最初は短編しか描いてなくて……。

 それで、原作付きの漫画の仕事をいただくようになって、ようやく漫画家としてやっていけるようになったんです」


「でも、絵一枚で世界をつくれるって、それも立派な才能だよ」


「ありがとうございます……そういえば、ペンネームの話だけど、私のPNって、実はアナグラムなんです!」


「えっ、そうなの?」


「はい。本名のアルファベットを並べ替えて作ったんです」


 私はちょっと感心する。そういう発想は、自分にはなかったから。


「すごい! 自分で考えたの?」


「いえ、AIにいくつか案を出してもらって、その中で一番“いい感じ”だったのがコレでした!」


 そう言って、マイちゃんは胸を張って笑った。

 死を回避した。その事で私たちは少し浮かれていた。でもその浮かれは後にして思うと不安の裏返しだったかもしれない。

 二人の笑顔の裏で、胸の奥にはほんの少しだけ、釈然としない“ざらつき”が残っていた。

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