死を回避?
喫茶店【Onze bonheurs】だけでなく、ELEVENタワーそのものも営業を中止することとなった。一般のお客様には退店が促され、ビル内は騒然としている。
幸いにも死者はいなかったようだが、飛び散ったガラスや、下の階で落ちてきた破片に当たった人がいて、その方の治療などで現場は大混乱だった。
私たちは怪我こそなかったが、事故の被害者という扱いになり、遅れて駆けつけたアオイネミの担当編集・時枝さんと共に、ビルの奥にある応接室のような部屋へと案内された。
二人掛けのソファに私とアオイネミが並んで座り、そのサイドに置かれた一人掛けソファには、幹元さんと時枝さん。私たちは、今回の事故に関する状況説明と謝罪を受けることになった。
向かいの建築現場で、事故か操作ミスがは不明だがクレーンで吊るしていた鉄骨のワイヤーが一本切れ、バランスを失った鉄骨がこちらに飛んできてしまった。
その話を聞いた瞬間、私は背筋がゾッとした。……やっぱり、あの席に座ったままだったら、私たちは確実に命を落としていた。
その現実に、さっき目にした崩壊した席の様子と、夢の中で経験した感覚が重なったのだろう、アオイネミはふるえる肩を抱えて泣き出した。
私は思わず彼女を抱きしめる。アオイネミは、私にすがるように体を寄せ、しゃくり上げながら涙を流し続けた。
私自身も、本当は恐怖でいっぱいだった。けれど、こうして私に縋って泣いている人が隣にいてくれることで、不思議と冷静になれていた。
「もう大丈夫。ちゃんと生きてる。私たちは、ちゃんとここにいるから」
私は小さな子どもをあやすように、そっとアオイネミの背中を撫でて、落ち着くまで声をかけ続けた。
私たちは幸い、持ち歩いていた荷物もトイレに持って行っていたため、物的な被害もなかったし、ビル側にも直接の過失はないということで、補償などの話に発展することもなく、ひととおり話しをして私たちが落ち着いたところで解放された。
作家と漫画家という立場からか、後に変に騒がれたりしないよう配慮されたのか、やんわりと「法律的な見地からの説明」もされた。
作品に取り入れる場合は「創作協力という形での確認を……」と、いわば軽い検閲のような申し出だった。手渡された五千円分の商品券は、いわば“口止め料”というところか。
私たちは、騒ぎを避けるために裏口からそっと外に出た。外には、雨上がり特有の匂いと、じめっとした湿度が残っていて、湿った空気が肌にまとわりつく。そして雨の後の特有のあの香りが漂っている。
見上げると、雲の切れ間からのぞいた太陽が、遠慮なく私たちを照らしていた。
少し遠回りをして大通りに出ると、現場には救急車、パトカー、なぜか消防車までが集まっていて、そこをマスコミと野次馬が取り囲んでいた。
事故直後、空中で揺れていた鉄骨はすでに地面に降ろされたのか、コチラからは見えない。
編集者のお二人は、私たちを心配してくれたけれど、それぞれの職場に報告すべきことも多いだろうし、私たちは「大丈夫です」と微笑んで見送ることにした。
私とアオイネミは、二人で同時にふうっと息をついた。思わず目を合わせて、少しだけ笑ってしまう。
「このあと、どうしますか?」
私がそう尋ねると、アオイネミはほんの少し迷ってから、どこか心細げな瞳で見上げてきた。
「あの……もう少しだけ、一緒にいてもいいですか? まだ、怖い気持ちが残っていて……それに、もうちょっとだけ、いろいろお話したくて」
私は笑みが出る。
「私も、そう思ってた。……じゃあ、どこか静かな場所で、ゆっくり話そっか」
その言葉に、アオイネミはぱっと笑顔を見せ、うなずいた。




