ざわめき
新作の発表直後、ネット上はざわついた。
騒ぎの中心は、物語ではなく“日付”だった。
【ラノベ作家が、あの事件を悪意をもって作品化した】
それが彼らの主張だった。
けれど、物語の内容は天環にも月代零にもまったく関係がない。
それでも一部の人々は「7月11日」「11時11分」という時刻に過剰に反応し、SNSで騒ぎ続けていた。
やがて、「騒ぎすぎでは?」という擁護の声も増えていった。
「一年のどんな時間でも人は亡くなっている。
もし“人が亡くなった時間に人を殺してはいけない”というなら、創作の中で“人を殺していい時間”なんてあるのか?」
そんな鋭い意見も出ていた。
私は顔出しをしていないし、ネットでも本名では活動していない。
だから、この騒ぎを一歩引いた場所から観察することができた。
どこか、他人の炎上を眺めているような気分だった。
人が群れて怒る瞬間ほど、作家にとって興味深いものはない。
出版社も落ち着いたものだった。
「今どき、電話でクレームしてくるような度胸のある人なんていないわよ」
幹元さんは笑いながらそう言った。
SNSで吠えるか、せいぜいメールを送るくらいのものだという。
そもそも天環や月代零のために本気で怒っている人など、ほとんどいない。
マイちゃんは擁護派として論争に加わろうとしていたが、私は止めた。
みんな勝手に騒いでいるだけなのだから。彼女が巻き込まれる必要はない。
出版社の声明が出ると、加留間監督の映画も再び注目を集めた。
「おかげで次の制作資金集めが少し楽になった」と監督は笑っていた。
やがて、人々は“7月11日・11時11分11秒”という時刻そのものに興味を持ち始める。
視聴者投稿の映像や、Elevenタワー付近の監視カメラ映像の解析を行い、
「やはり11:11:11だったらしい」という結論を出す者まで現れた。
中には、加留間監督の映画と私の小説を並べて論じる人もいた。
「同じループものでも、映画は分身である双子の兄弟が向き合う物語。
小説は自分自身と対峙する物語。
同じ設定世界の中で、異なる“年”を描いているようだ」
私は思わず頷いてしまった。言い得て妙だ。
「不謹慎だ」と言う人たちが、むしろ宣伝になってくれたおかげで、本は売れた。
さらに「7月11日という日そのものが、何かおかしいのでは?」と指摘する人が現れ始めたのも、すべて計画通りだった。
11月11日。
私は無事に三十一歳の誕生日を迎えた。
マイちゃんや編集部の皆さんに祝ってもらい、“年を取る”という当たり前のことが、なぜか新鮮に感じられた。
あれから四ヶ月。ルーパーたちとの連絡はまだつかない。
外の世界で仕入れた新しい情報を、どう彼らに伝えるか。
それを考えているうちに、時田から連絡が入った。
「『記扉』セカンドシーズンの打ち上げを、二人でしませんか?」
連れていかれたのは、地下にある隠れ家風のワインバー。
奥まった壁のくぼみにある、半個室のような席が用意されていた。
アニメは主演声優交代というアクシデントこそあったが、セカンドシーズンも好調。
サードシーズンである最終クールを空けずに続行が決まっているという。
二人で成功を祝って乾杯し、互いの仕事を讃え合う。
そんな穏やかな時間のあと、時田はグラスを回しながら、ふと黙り込んだ。
「時雨さん、新作の騒動……大変だったね。もう落ち着いたのかな?」
「まあ、もう騒ぎは作品から離れてるから、大丈夫かな」
私は苦笑しながら答える。
彼の眼差しは真摯で、どこか心配そうだった。
優しくて誠実で、頼られたら無理なことでも引き受けてしまう。そんな人だ。
好意を寄せている相手だと尚更だろう。
「私は覆面作家状態だからいいけど、出版社には迷惑かけたと思う。
制作会社の方は……大丈夫でした?」
「気にすることは何もないですよ。誰も気にもしていません。
あの程度のことで揺らぐような人は、クリエイターなんかやってませんよ」
時田は笑いながら、軽くグラスを掲げた。
「むしろ“燃えるほど話題になった”ってことで、宣伝部は喜んでました」
私はホッとしたように笑みを返す。
「ところで、時雨さん。どうしてあの小説を書いたの?
事故の時間を“あの時刻”にしたら、何か反応が起きることぐらい、予見してたよね?
君らしくない。出版社の強要とか?」
私は、微笑みを浮かべて首を横に振る。
「いえ、炎上しかねないことも承知で、私の意思で執筆しました」
彼の目が驚いたように見開かれる。
私はグラスを持ち直し、ゆっくりと口を開いた。
「時田だからお話しします。
天さんが亡くなった時、実は私もあの現場にいたんです」
「え……?」
私は目を閉じて顔を覆い、息を吐いた。
「あの日、出版社の方とスイーツでも食べながら打ち合わせをする予定で、
ロビーで待ち合わせしていたんです。
そこへ天さんが通りがかって、ご一緒に、という流れになって……。
編集者さんは電話で席を外し、私が“せっかくだからお互いの本にサインを”って話になって。
上の階の本屋に私が代表で買いに行った、その瞬間に……あの事故が起こりました」
「そんな……」
私はワインを一口飲み、落ち着きを装う。
「映画と同じなんです。
どちらが本屋に行ってもおかしくない状況。たまたま私が行ったから助かった。
そんなことがあって、加留間監督とも知り合って……あの映画、監督の実体験が元になっているんです」
時田は真剣な表情で聞いている。
私はゆっくり息を整え、続きを口にした。
「そして気づいたんです。監督の兄と天さんが、同じ時刻に亡くなっていることに。
だから、7月11日11時11分11秒について調べていたんです。
そうしたら、月代さんの事故もあって。
ご存知ですか? ……毎年その時間に、奇妙な事故が起きているって」
私はタブレットを取り出し、被害者リストを開いて時田に見せた。
「身近で続けて起こったから、そんなカルト的な考えをしていると思われます?」
時田は画面をじっと見つめ、すぐには答えなかった。
「この“ニシムクサムライ”の事故のときも、SNSでは“7月11日11時11分の呪い”が話題になっていた。
二年連続で事故があったからね。でも三年目は何もなくて、断ち切れたと思われていた。
……けれど、続いていたんだな」
彼の声がわずかに震える。
「こうして見ると、偶然で済ます方が無理がある感じですね。
しかも、被害者の誕生日が皆同じだとは」
私は静かに頷いた。
「ええ……そして、私も誕生日が11月11日で。
あの現場にいたのは、もしかしたら“引き寄せられていた”のかもしれません。
……たまたま運命に選ばれたのが、天さんだったのではと」
時田は私をじっと見つめていたが、口を開く。
「時雨さんがこの話をしてくれたのも、運命かもしれません。
……実は、俺も誕生日、11月11日なんです」
知っていた。でも、私は驚いたふりをした。
「だから、他人事ではない。共に戦いましょう」
彼の言葉に、私は微笑んだ。
「ありがとうございます。信じてくれて」
テーブルに置かれた私の手に、彼はそっと手を重ねてきた。
「あなたは、俺が守りますから」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥でほくそ笑んでしまう。
あまりにもドラマの台詞のような言葉だから。そして流れは私のシナリオ通り。
彼がこの台詞を口にするのを、どこかで余録できていた気がする。
彼は脚本家。
でも、今このシーンを作り、演出しているのは私だ。
彼の視線を受け止めながら、私は静かにワインを回した。
“予定通り”という言葉を、喉の奥でそっと転がす。
その響きが妙に心地よかった。
……その時、ふと視線をそらすと、カウンターの向こうに見覚えのある顔があった。
マイちゃん。
怒りを帯びた暗い表情で、こちらを見つめていた。
席を立ち、「お手洗いに」と言って時田から離れる。
カウンターに近づくと、マイちゃんは気まずそうに目を逸らした。
視線でパウダールームに誘う。
「た、たまたまですよ。ここに来たのは」
嘘だとすぐに分かる。
私は軽く睨むように見つめる。
「よくここが分かったね?」
「スマホに……追跡アプリ入れてて。
ナオコさんが心配だったから。そしたら、あの時田と二人っきりで会ってるし」
「ミラーさんも言ってたでしょ。あの人は善良なロマンチスト。危険じゃないよ」
「でも、二人で飲む必要なんて……!」
必死に訴えるマイちゃんの頭を、私は優しく撫でた。
「二人っきりじゃないと話せないこともあるの。
ルーパーのみんなに連絡がつかない。だからメッセンジャーが必要でしょ?」
マイちゃんの瞳が驚きで揺れる。
「え? どうやって?」
「彼が今後ルーパーになる確率が高い。
だから、私が集めた資料を託そうと思って。
彼なら、向こうでもみんなとうまくやれる」
マイちゃんは少し考えて、渋々といった感じで頷いた。
「……まあ、悪い人ではないですよね。
でも、手を握らせちゃダメですよ! 変に期待させちゃうから!」
時田が触ったところを拭うように、私の手を撫でるマイちゃん。
私は苦笑してしまう。
「大丈夫。頼りになるお兄さんとして慕っているというスタンスでいくから。
それにあの人は私のシナリオ通りに動いてくれる人だから」
マイちゃんは私の手を取り、頬を寄せる。
「ナオコさん、私だけのナオコさんでいてくださいね」
その瞳には、どこか必死さが滲んでいた。
「当たり前じゃない? マイちゃんだけだから。
私を愛してくれるのも、私が愛しているのも」
そう言いながら、私はマイちゃんをまっすぐ見つめる。
不安や嫉妬に揺れるマイちゃんの様子が、少し心配になる。
帰るよう促したが、マイちゃんはカウンターで飲み続けた。
その夜、時田との会合は、酔ったマイちゃんの乱入によって終わりを迎えた。
彼女の介抱を理由に、私は時田と別れ店を後にした。
今日、時田への仕掛けは十分終わったのでそれ以上一緒にいる意味もないので丁度良かったのかもしれない。マイちゃんと手を繋ぎ、ネオンの街を歩いた。




