新章の始まり
10月の末頃に、『11:11:11〜廻る世界〜』というタイトルで本は出版された。
サブタイトルは「11:11:11」だけでは内容が伝わりにくいのでは?」という出版社の会議での意見から加えられたものだ。
タイトルには、主人公の名前と、彼が置かれた状況が重ねられている。
久しぶりのマイちゃんとのデートは、都内の見晴らしの良いホテルのアニバーサリーコースを利用した。
ラグジュアリーな部屋にセットされた素敵な食事をシャンパンやワインと共に楽しむ。
食べさせ合いをしながらグラスを傾け、キスを交わし、誰にも邪魔されない空間で、二人だけの時間がゆっくりと過ぎていった。
著者献本として送ったのに、マイちゃんはわざわざ書店で買った本を持ってきて、サインをねだってきた。
「すごいですね、単行本での出版なんて!」
マイちゃんは、まるで骨董品でも眺めるように、ホクホクとその本を見つめている。
そう。驚いたことに、今回は文庫ではなく、ラノベとしては珍しく単行本での発行だった。
「ところで……どうして主人公はナオコさんじゃなくて、土岐野さんにしたんですか?」
「彼が、ちょうどいい位置にいる人間だから。
私の話にしてしまうと、“天さんや月代さんの死を利用した”って見られるだけで、それ以上の展開が望めない。
でも、7月11日の11時11分11秒という時間だけが同じで、まったく別の物語になっていれば――“この日は何なのだろう?”って、調べる人も出てくるかもしれない。調べれば、すぐ本人にたどり着くだろうしね」
マイちゃんは感心したように小さく頷いた。
「でも土岐野さん、あの“超性格悪い障害を持つ兄”の話とか、かなり踏み込んでましたよね。あれ……本当にいいんですか?」
物語の中で兄は、家族に暗い影を落とす存在だった。
障害を抱え、母を責め、弟に嫉妬し、家庭を壊していく。そんな人物。
現実にも似た構図があった。
「そこは本人の了承を得てる。というより……希望だったのかもね。
“自分と家族として過ごしてくれなかった”ことに対して……ささやかな復讐なのかな」
口調は穏やかだったが、あのとき土岐野が浮かべた冷たい笑みを思い出す。
サムライコーポレーションが業務中に亡くなった彼の家族に高額の見舞金を出したというニュースを、彼は安堵ではなく、どこか嘲るような表情で読んでいた。
「ナオコさんって、土岐野さんと仲良いですよね」
マイちゃんが、少し拗ねたようにワインを口に含む。
「……もしかして、妬いてる?」
揶揄うように言うと、マイちゃんはぷいっと視線を逸らした。
「仲が良いっていうより、ループに対する考え方が近いんだよ。
それに、彼の望むものと私の望むものがぶつからない。だから、協力しやすい。
……お互い曝け出して、利用し合える関係、って感じかな」
そう言ってから、私はマイちゃんに微笑む。
「でもね。利用とか、駆け引きとか……そういうのはマイちゃんとの関係に必要ない。
私がこの世界で、本当に心を預けられるのは、マイちゃんだけだよ。
出版前のバタバタも、今日マイちゃんと会えると思ったから頑張れたの」
その言葉に、マイちゃんは照れたように俯いた。
ワイングラスの中の赤が、ゆらゆらと揺れ、彼女の頬に赤い光を映した。
「私もです。ナオコさんの作品だから、いつもの十倍頑張れました!
私にとって、ナオコさんは生きる力の源、道標、光です」
「大袈裟な」
私は笑いながら、マイちゃんの口に苺を運ぶ。
「本当ですよ。本気なので冗談に取らないでくださいね」
苺を小さな口で食べてから、真剣な顔でそう訴えてくる。
その唇にキスをしたら、甘い苺の味がした。
「私のすべてを受け入れてくれるマイちゃんが、私にとっての救いなの。
私のすべては、マイちゃんのものだよ」
キスの余韻の中で囁くと、マイちゃんはそっと目を細め、微笑んだ。
その瞳には、私の世界をまるごと映したような光が宿っていた。
「だったら……今日は、私がナオコさんを愛したいです。
ナオコさんの全部を、この手で感じたい」
マイちゃんの声は震えていたけれど、その手は確かに私を捉えていた。
震える指先が私の唇を撫でる。ゾワリとした快感が、心の奥から波のように広がる。
その指先を唇で包み込むと、マイちゃんの唇から小さな吐息が漏れた。
「ダメですよ。今日は私がナオコさんを愛する番だから」
そう言って指を抜き、頬を撫でながらキスを落とす。
触れ合うたび、彼女の温度と鼓動が重なっていく。
世界が静かに反転し、溶け合っていくようだった。あの“刻”に似た感覚。
その夜、私たちはただ寄り添いながら、互いの存在がここに“在る”という確かさを感じていた。
天井のシャンデリアの灯りを見上げながら、私は思う。
“11:11:11”の物語は、新しい章が始まった。
私の手によって。
この世界のどこかで、もう動き始めているのだろう。
マイちゃんの愛に包まれながら、私は静かに、さらなる未来へと想いを馳せた。




