遥かなる告解
その後も、月代零の事故は世間を騒がせ続けた。
王宮風の内装の店内に、スモークがゆっくりと広がる。
「愚か者たちの敗北と、その屈辱に歪んだ愉快な顔に――乾杯!」
高らかな月代零の声と同時に、スモークが爆発的に膨張。
フラッシュのような激しい光が走り、直後に「ボカン」という破裂音が響いた。
画面が揺れる。
「き、救急車を!」
「皆様、危険です! 店外へ移動してください!」
叫ぶスタッフの声。
「何?」「やばい?」というざわめきと共に、映像は激しく上下に揺れ、
スモークの中をかき分けるようにして移動していく。
それが、当時店内にいた客が撮影した映像だった。
その動画は瞬く間にネット上へ拡散された。
サプライズ出演だったため、来場者は声優陣の登場を知らず、
月代零たちに何が起こったのかは映っていない。
無惨な瞬間が晒されなかったことは、せめてもの救いだったのかもしれない。
現場には公式カメラも入っていたが、その映像が公開されることはなかった。
何が起きたのかは、今も不明のままだ。
やがてネットでは、“あの時間”に対する批判が燃え広がった。
「作者が亡くなった同時刻にイベントを行うなんて不謹慎だ」と。
一方でファンたちは、
「“11”は物語における特別な数字だ」
「皮肉も含めて、それこそ“天環ワールド”なんだ」
と訴える。
だが、その応酬がさらなる炎上を招いた。
議論の中心は、常に二人の死ばかり。
他の“ルーパー”たちにまで言及する者は、ほとんどいなかった。
加留間遥の投稿も、リツイートも、コメントもほとんどつかないまま、
ネットの片隅へと埋もれていった。
そんな世間をよそに、私は彼と静かに対話を続けている。
加留間遥。
生年月日は非公開だが、大学時代から自主制作映画を撮っていたという経歴から見て、年齢は六十を超えているだろう。
思った以上に彼は、自分の過去を語ってくれた。
彼の映画は「自分と同じ日に生まれた、全く同じ姿の人物の死をきっかけに己を見つめ直す」という哲学的な作品だった。
二人の魂が融合していくという結末――だが、現実はもっと残酷だった。
双子の兄とともに映画を観て育ち、大学では共に映像を学び、
やっと自分たちの作品を世に出せるようになった矢先……あの事故が起こった。
どちらが監督かを明確に分けず、事故の前も後も「加留間瞬・遥」と連名で監督を名乗っていた。
「なぜ自分だったのか?」
遥が最初に感じたのは、その理不尽な問いだったという。
ボロボロのビルに構えた小さな事務所で、二人は夢を胸に、人生で最も幸福な時間を過ごしていた。
打ち合わせに出る直前、エレベーターの前で忘れ物に気づく。
どちらが取りに戻ってもおかしくなかった。
最初に選んだのは――二人ともエレベーターに乗らないという選択。
だが、ループは止まらなかった。
次第に「もし、あの時乗っていたのが瞬だったら?」という考えが、遥の中で芽生える。
だから彼は、役割を入れ替えた。
つまり、遥が戻り、瞬をそのままエレベーターに乗せたのだ。
そこからが、悲しくも醜い戦いの始まりだった。
遥がそう考えたように、瞬もまた同じことを思いついた。
再び7月11日に戻り、互いの存在を確認した時、遥は愕然とする。
7月11日11時11分11秒以前にいる二人にはループの記憶がないため、エレベーターに乗せることは容易だった。
だが、ループを経た後の彼らには、「どちらがどれだけ死を押し付けてきたか」という記憶の重なりが刻まれていた。
そして二人は、新しく思いついた映画のプロットという形で、
互いにメッセージを送り合い、対話を続けるようになった。
他のスタッフを代わりに乗せたこともあったが、ループは止まらなかった。
やがて、交換は途絶えた。
瞬が“現実の生”を遥に譲ったのか。
あるいは、新たな犠牲者の確定によって、交換できる期間が終わったのか。
それは、誰にも分からない。
「そういう時間を過ごしたせいか、もう自分が遥なのか瞬なのか分からなくなった」
彼はそう語った。
加留間遥が、まだ会って間もない私たちにこれほど饒舌に語ったのは、
胸に秘めた罪を誰かに打ち明けたかったからだろう。
『閉ざされた夏の日』は、彼なりの告解だったのかもしれない。
彼は兄を「死んだ」とは思っていない。
「融合して、今も一緒に生きている」と信じている。
いや、そう“思い込んでいる”のかもしれない。
それは、愛する家族を犠牲にして生き延びた彼なりの、自己保身の形だったのだろう。
長い年月を、自分を見つめ直すことに費やした彼は、現象の検証にはほとんど関心を向けていなかった。
7月11日の11時11分に事故が起こることは認識していたが、11秒までは気にしていなかった。
「創作物による連鎖」という話も、私から聞いて初めて感心していたほどだ。
その後、彼らが手がけた映画を上映していた映画館が火災。
11月11日11時頃に毎年何か事故が起こることに、ようやく気づいたという。
以来、彼は7月11日を家にこもって過ごすようになった。
何かあればすぐ逃げられるよう、荷物も玄関にまとめておくのだという。
周囲の人はそれを兄弟愛の名残として受け止め、咎める者はいなかった。
「だから続けられている」と、彼は笑った。
私たちの情報を聞いて、彼は「これでさらに逃げやすくなった」と感謝までしてきた。
そういう意味では、私も加留間遥もまた、“ルーパー”となる可能性を、
生きている限り捨てきれないのだろう。




