言葉の中に隠れた本音
対策会議は、飛行機メンバーの一日の終了時間が迫ったことでお開きとなった。
想定していた以上に議論が進み、ルーパーたちは活気づいているように見えた。
しかし私は思った以上に疲れていた。
次年度の核の特定にはもっと時間がかかると踏んでいたのに、最初の会議でここまで進むとは予想していなかった。
物語ならば展開が早いのは悪いことではない。
だが、早すぎれば読者を置いていってしまうか、逆に疲れさせて興味を削いでしまう。
飛行機メンバーが飽きずにこのイベントを楽しむためには、今後のテンポを考え直す必要があるかもしれない。
とはいえ、時田さんや月代さんでなく全く別の人がなる可能性もある。また二人に働きかけても全く進展らしいものが起こらず停滞する可能性もある。さてどうするか?
そんな風に考え込んでいた私に、カラオケルームにいる三人の心配そうな視線が注がれていることに気づいた。
「ナオコさん、ごめんなさい。私が余計なことを調べてしまったから」
「申し訳ありません。俺が余計なことを言って、称央子さんに負担をかけてしまって」
マイちゃんと土岐野が同時に言う。私は首を横に振った。
「いえいえ。少し濃い時間だったから疲れただけです。英語も、お二人ほど得意ではありませんし。
マイちゃんは何も悪くないよ」
それぞれに言葉を返すと、マイちゃんが私に抱きついてきた。
「私、ちゃんとナオコさんの役に立てました?」
「大手柄だったよ。天環さんのことまで気づいてくれたおかげで、今後の対策も立てられるんだから」
私はマイちゃんの頭を、小さな子どもをあやすように撫でる。
「舞さん? 大丈夫ですか?」
佐藤が、見えないながらもマイちゃんのいる方向に声をかける。けれどマイちゃんには届いていない。彼と土岐野にはマイちゃんの姿が見えないため、戸惑った表情をしていた。
「マイちゃん、疲れちゃった?」
私は小さい子に話しかけるような口調で宥める。
「今日はお二人ともお疲れでしょう。ここで解散にしましょうか」
佐藤が笑みを向ける。私も頷いた。
「そうですね。情報量が多かったので、それぞれ整理して今後を考えたほうが良さそうです。
三人についての情報をまとめてメールしましょうか?」
「いえ、もう夕方ですし、二度手間になってしまいます。今日話した内容は頭に入っていますから。どうかゆっくり休んでください」
土岐野が微笑む。二人はマイちゃんを気にしつつも、帰っていった。
「お疲れ様でした」と二人を見送ってから、私はマイちゃんに向き合う。
「マイちゃん、ごめんね。土岐野さんとの計画に巻き込んでしまって。不安にさせた?」
マイちゃんはぶるぶると首を横に振る。
「それは……嬉しかったです」
そう言った後、身体を離しなぜか私を睨むように見つめる。
「ナオコさんにとって、他の年のルーパーさんってどういう存在ですか?」
私は答えに迷った。飛行機メンバーは出会ったばかりで、まだ遠い存在。
時代も距離も違うし、根本的な考え方にも隔たりがある。
佐藤宙と土岐野廻はまだ近く、話しやすいが……。
「……同じ現象に巻き込まれた“被害者の会”の仲間、という感覚かな。
出会ったばかりだから何とも言えないけど、どう関係を築いていくか模索している感じ」
マイちゃんはジッと見つめてくる。
「じゃあ、ナオコさんはどういう方向で関係を構築していくつもりですか?」
「まぁ……平和で友好的な関係を維持したい、かな」
私は首を傾げながら答える。
「私は今まで会社に勤めたことはないけど、それに近いのかもしれない。企業がある目的を掲げて行動する、その集団に参加しているような状況かな」
マイちゃんは視線を落とし、考え込む。
「……ルーパーの集団が掲げる目的と、ナオコさんの目指す目的は同じなんですか?」
随分と踏み込んだ問いに、私は戸惑った。避けてきた話題だからだ。
「ちなみに、マイちゃんの目的は?」
「私は……頭良くないし、状況を打開する力もない。
ただ、ナオコさんと平和に楽しく過ごせたら、それでいいなって」
「私も一緒だよ。正直、この計画をみんなに提案はしたけど、成功するなんて思ってない。
ただ、チャレンジすること自体を楽しめたらいいかな、って」
「それは……誰のため?」
シンプルな問いに、私は言葉を探した。
「……大義名分としては、過去のルーパーに同情して、というのはあるけど。
実際は私のためかもしれない。この世界を、少しでも楽しく過ごすために。
命華は切り捨ててもよかった。
でも他の人は、知り合ってしまったから無下にできない。
認識してしまったから、不幸になってほしくない。
……結局、自己満足かもしれない」
マイちゃんは慌てて首を振った。
「違います! それはナオコさんが優しいから!
……ごめんなさい。私が気持ちを拗らせてただけなんです。
他のルーパーは社会で活躍してきた優秀な人ばかりでしょ?
そんな人たちに比べたら、私はナオコさんの役に立ててないって。
不要な存在なのではないかと……
それに私だけのナオコさんだったのに、アイツらに取られた気がして……」
恥ずかしげに上目遣いでそう言うマイちゃんが、堪らなく可愛いと思ってしまった。
「何だい? マイ。嫉妬したのか。愛い奴だ」
わざと声を低くして芝居がかった調子で返す。いつもの“ごっこ遊び”だ。深刻になりかけた空気を和らげたかった。
「だってナオコ様が、あの人たちとあまりにも楽しそうにしていたから! マイは淋しゅうございました。マイはナオコ様をこんなにもお慕いしていますのに。
私だけ見てください! 私だけに微笑んで下さい!」
遊びの中で、マイちゃんは驚くほどストレートに想いをぶつけてくる。私は自分の気持ちに気づいていながら、誤魔化してきただけだ。
「この身を、そんな不実な者と思われていたとは悲しいのう。
私が愛するのは、そなたただ一人なのに」
頬を撫でながら、潤んだ瞳に吸い寄せられるように顔を近づけると、冗談のはずだった遊びはいつしか甘く重く心を痺れさせるものに変わる。
私は抗えずにその唇にキスをする。
大きな瞳が一瞬見開かれたが、すぐに閉じられ、抱きついてくる。
より深く私を求めてくる。私も抱きしめ返し、密やかな口づけを交わした。
少し離れ、同時にため息をつく。改めて視線を合わせた。
「あ、あの……ナオコさん……遊びでも……」「これは冗談や遊びじゃないよ。ずっと一緒にいて、私はマイちゃんに救われて癒されて……そして……」
マイちゃんの大きな瞳から涙があふれる。
「わ、私は……ナオコさんの作品に出会った時から好きで、ナオコさん自身に会ってからは、もう気持ちが止まらなくて」
創作の中ではよく使う「愛してる」という言葉も、現実ではなかなか口にしない。
それでも、互いの想いを確かめるように、私たちはまた抱き合った。どんな言葉よりも互いの体温と強く抱きしめてくる艶さに想いが十分伝わった。
静寂を切り裂くように、部屋の電話が鳴った。受付からだ。
「失礼しまーす、まもなくコースのお時間終了となります」
現実に引き戻されて、私たちは顔を見合わせて小さく笑った。
名残惜しさを胸に、荷物をまとめて部屋を出る。
外に出ると、雨上がりの空気が重たくまとわりついてきた。
濃く湿ったペトリコールの香りが、まだ揺れる私の心を包み込む。
マイちゃんの手がそっと触れてきて、私はその温もりを逃さないように指を絡めた。
自分の存在をより強く訴えるように、強く握り返してくるマイちゃん。
その手を絡めていた指で愛撫するかのように撫でる。
その温もりは、優しさであり、鎖のようでもあった。
暮れゆく街の明かりが少しずつ灯りはじめ、湿ったアスファルトがオレンジ色を映す。
二人で歩き出す一歩一歩が、未来を刻む証であると同時に、
もはや引き返せない契約のようにも感じられた。
※タイトルにもあるペトリコールですが、簡単にいうと雨が降った後に地面から立ち昇ってくる香りの事です




