時間の距離と心の距離
「今までそれを試してなかったなんて意外! ナオコさんなんて一回目で察して、二回目にはもう検証までしてたっていうのに〜」
マイちゃんが佐藤宙に向かってからかうような口調で言い、にっこり笑う。……マイちゃん、酔ってる?
「言い訳に聞こえるかもしれないけど……俺は永遠さんとは彼の回顧展の映像で繋がったし、廻くんとはWEBラジオでだった。
だから、こういう“物理的距離”でも繋がれるという発想自体、なかったんだ。
君たちは、どうしてそれに気づけたんだい?」
「私は、たまたまこういう形で繋がったからだと思います。
その際の相手の“見え方”に違和感を抱いたことが、きっかけです」
「なるほど……。
でも、核となるルーパーが“同じ場所にいる”だけでなく、“過去のルーパーに関する何か”も必要なんだな。
新たなルーパーと会うのは、かなり難しい」
「そうですね。私が一年前のルーパーに会えたのは、運もありますが、彼女の行動範囲が非常に狭かったことも大きいです。彼女の住所も知っていましたし。
私たちは調査のために、二人で出歩いていました」
「つまり、偶然出会える確率は低いということか……」
佐藤は真っ直ぐこちらを見つめてくる。
その視線には、真剣さと必死さが滲んでいた。
「あと、貴方の時のように“不自然な重なり”がないと、それがルーパーだと分からない点も問題ですね。
私は、舞さんには見えないという違和感があったから気づけましたが」
私の言葉に、佐藤は少し悲しそうな顔をする。
「貴方に人望がないから、そちらの仲間に協力してもらえないんですか?」
「マイちゃん!」
明らかに悪意を感じさせる言葉に、私は思わず声を上げてマイちゃんを見た。
画面越しに佐藤を睨みつけていたマイちゃんは、私の視線に気づいて少し困った表情になる。
「どうしたの? マイちゃんらしくないよ。
申し訳ありません、この子、少し酔ってきたみたいで……」
マイちゃんは黙ったまま、佐藤の映る画面を見つめていた。
「まあ、俺が不甲斐ないせいで、こっちの仲間には協力を頼めていないってのは、事実だから」
佐藤は穏やかな様子で、そう言った。
「仲違いしたんですか?」
私の問いに、佐藤は困ったように笑って肩をすくめた。
マイちゃんがふうっとため息をつく。
「失礼なことをたくさん言ったのは謝ります。
でも、いきなり現れた“得体の知れない人”に警戒するのは当然でしょう?
貴方の“本音”を引き出すには、怒らせるのが一番手っ取り早いと思ったんです」
確かに、彼女は「見極める」と言っていた。けれど、まさかこんな方法を取るとは思っていなかった。
「確かに、得体の知れない相手に見えるのは仕方ない。
でも、俺は純粋にこの現象の謎を解明して、日常を取り戻したいだけなんだ。
それが本音で、嘘はないよ」
マイちゃんは、画面越しに佐藤と真剣に向き合う。
「とりあえずは信じます。
そして、今後もその“スタイル”を貫いてください。
命華の時のように、ナオコさんを悩ませたくないので」
……これで、二人は何とか和解できたと言っていいのだろうか?
二人の様子を気にして見守っていた私に、佐藤が視線を向ける。
目が合うと、私を安心させるように、優しく微笑んだ。
そのとき、佐藤のスマホが震えた。
『宙さん、到着しました!』
土岐野廻が、下の階に着いたようだった。
自分で「五メートル理論」を言い出しておきながら、本当にここで実証されるのかは正直不安だった。
AIに聞いたところ、商業ビルのフロア高はおおよそ2.7〜3.7メートルらしい。
コンクリートや金属が電波を妨害する可能性もゼロではない。
そういった話をする前に、土岐野はもう動き出してしまった。
私はスマホを手に緊張したまま下の階へ向かう。
なぜ私なのかというと、ひとりで来ている佐藤が店外に出るのは少し目立ちすぎる。
かといってマイちゃんでは土岐野の姿を確認できない。
そこで私は「電話をかけるために席を外す」という体で合流を図った。
結論から言うと、土岐野の姿はしっかり視認できた。
ただ、私を見た瞬間、彼の表情がわずかに残念そうになったのを見逃さなかった。
「佐藤さんじゃなくて申し訳ありません」
そう言うと、彼は苦笑する。
「いえ、別の年のルーパーであるあなたと会えたことも嬉しいですよ。
でも…長くオンラインでやりとりしてきた人と、オフで会えるかもという期待があったので」
「長く支え合ってきた仲間なら、余計にそうでしょうね」
私の言葉に、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに照れたような笑みを浮かべた。
「宙さんは仲間である前に恩人なんです。
長くループに苦しみ、孤独に押し潰されそうになっていた俺を救ってくれた」
遠くを見るように目を細める土岐野。
明るく飄々とした雰囲気の裏に、長い時間の苦しみが透けて見える。
私はマイちゃんという仲間がいた。もし私がひとりだったら、今のように平常心ではいられなかっただろう。
「改めてお礼を言わせてください。
あなたは宙さんに新しい希望を与えてくれた。
あなたと会えたことを、宙さんは心底喜んでいました。
あんなに明るく笑う宙を久しぶりに見ました。本当に感謝しています」
「俺たち」ではなく「佐藤宙だけ」に希望を与えた——その言い方に、私は何かを察してしまう。
私の表情を、彼は真っすぐ見つめた。
その肩に触れることはできないが、そっと手を伸ばすと、彼はふんわりと微笑んだ。
「触れられなくても、リモートでは味わえないこういう向き合い方はいいですね。
より相手を見て、感じられる。新しい仲間があなたのような方で良かった」
「私のようなって?」
少し揶揄するように返すと、彼は間を置かず答える。
「優しくて素敵なお姉さん?」
「おだてても何も出ませんよ」
「お世辞じゃないんですがね」
そう笑ったあと、彼はふっと真顔になる。
「それと、あなたに折り入ってお願いがありまして」
人の良さそうな笑みを浮かべたまま、意外な頼みを切り出してきた。
「あなたは頭の回転が早くて、しかも優しい方だと思う。だから…お願いします。
じゃあ、記念撮影でもしますか?」
そう言って、彼は自撮りのようにスマホを構え、私の横に寄る。
しかし、画面には土岐野だけが映る。
「やっぱり一緒の写真は無理みたいですね。
私はあなたのすぐ横にいるようで、そちらの世界には存在していない」
その時、私のスマホが震えた。マイちゃんからの動画通話だ。
『ナオコさ〜ん、そちらの様子はどうですか?』
「無事合流できたよ。色々確認もしてた。
でもやっぱり接触はできないし、カメラにも映らないみたい」
カメラを彼の方に向けるが、映像には何も写らない。
マイちゃんはその旨を宙に報告している。
少し心配だったが、二人は平和に過ごしていたようだ。
ベンチに腰掛けた土岐野は、タブレットでWeb会議室に再入室する。
「なかなか複雑な仕様ですね。
こうして井上称央子さんが隣にいるのに、俺のカメラには映らない」
「鏡もレンズも、その時その場所の“現実”しか映さないんでしょうね。
私の前年度のルーパーも、鏡には映りませんでした」
私はLINE経由でWeb会議室に声だけ参加する。
下の階で再集合しようとしたが、その階の店は彼らの時代とはまったく違っていた。
『あの〜、他に佐藤さんが作ったシステムってないんですか?』
マイちゃんがそう尋ねてきた。




