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ペトリコールに融けるふたり  作者: 白い黒猫
宙に向かう道

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23/49

時間の距離と心の距離

「今までそれを試してなかったなんて意外! ナオコさんなんて一回目で察して、二回目にはもう検証までしてたっていうのに〜」


 マイちゃんが佐藤(ひろし)に向かってからかうような口調で言い、にっこり笑う。……マイちゃん、酔ってる?


「言い訳に聞こえるかもしれないけど……俺は永遠さんとは彼の回顧展の映像で繋がったし、廻くんとはWEBラジオでだった。

 だから、こういう“物理的距離”でも繋がれるという発想自体、なかったんだ。

 君たちは、どうしてそれに気づけたんだい?」


「私は、たまたまこういう形で繋がったからだと思います。

 その際の相手の“見え方”に違和感を抱いたことが、きっかけです」


「なるほど……。

 でも、核となるルーパーが“同じ場所にいる”だけでなく、“過去のルーパーに関する何か”も必要なんだな。

 新たなルーパーと会うのは、かなり難しい」 


「そうですね。私が一年前のルーパーに会えたのは、運もありますが、彼女の行動範囲が非常に狭かったことも大きいです。彼女の住所も知っていましたし。

 私たちは調査のために、二人で出歩いていました」


「つまり、偶然出会える確率は低いということか……」


 佐藤は真っ直ぐこちらを見つめてくる。

 その視線には、真剣さと必死さが滲んでいた。


「あと、貴方の時のように“不自然な重なり”がないと、それがルーパーだと分からない点も問題ですね。

 私は、舞さんには見えないという違和感があったから気づけましたが」


 私の言葉に、佐藤は少し悲しそうな顔をする。


「貴方に人望がないから、そちらの仲間に協力してもらえないんですか?」


「マイちゃん!」


 明らかに悪意を感じさせる言葉に、私は思わず声を上げてマイちゃんを見た。

 画面越しに佐藤を睨みつけていたマイちゃんは、私の視線に気づいて少し困った表情になる。


「どうしたの? マイちゃんらしくないよ。

 申し訳ありません、この子、少し酔ってきたみたいで……」


 マイちゃんは黙ったまま、佐藤の映る画面を見つめていた。


「まあ、俺が不甲斐ないせいで、こっちの仲間には協力を頼めていないってのは、事実だから」


 佐藤は穏やかな様子で、そう言った。


「仲違いしたんですか?」


 私の問いに、佐藤は困ったように笑って肩をすくめた。

 マイちゃんがふうっとため息をつく。


「失礼なことをたくさん言ったのは謝ります。

 でも、いきなり現れた“得体の知れない人”に警戒するのは当然でしょう?

 貴方の“本音”を引き出すには、怒らせるのが一番手っ取り早いと思ったんです」


 確かに、彼女は「見極める」と言っていた。けれど、まさかこんな方法を取るとは思っていなかった。


「確かに、得体の知れない相手に見えるのは仕方ない。

 でも、俺は純粋にこの現象の謎を解明して、日常を取り戻したいだけなんだ。

 それが本音で、嘘はないよ」


 マイちゃんは、画面越しに佐藤と真剣に向き合う。


「とりあえずは信じます。

 そして、今後もその“スタイル”を貫いてください。

 命華の時のように、ナオコさんを悩ませたくないので」


 ……これで、二人は何とか和解できたと言っていいのだろうか?


 二人の様子を気にして見守っていた私に、佐藤が視線を向ける。

 目が合うと、私を安心させるように、優しく微笑んだ。

 そのとき、佐藤のスマホが震えた。


『宙さん、到着しました!』


 土岐野廻が、下の階に着いたようだった。



 自分で「五メートル理論」を言い出しておきながら、本当にここで実証されるのかは正直不安だった。

 AIに聞いたところ、商業ビルのフロア高はおおよそ2.7〜3.7メートルらしい。

 コンクリートや金属が電波を妨害する可能性もゼロではない。

 そういった話をする前に、土岐野はもう動き出してしまった。

 私はスマホを手に緊張したまま下の階へ向かう。

 なぜ私なのかというと、ひとりで来ている佐藤が店外に出るのは少し目立ちすぎる。

 かといってマイちゃんでは土岐野の姿を確認できない。

 そこで私は「電話をかけるために席を外す」という体で合流を図った。

 結論から言うと、土岐野の姿はしっかり視認できた。

 ただ、私を見た瞬間、彼の表情がわずかに残念そうになったのを見逃さなかった。


「佐藤さんじゃなくて申し訳ありません」


 そう言うと、彼は苦笑する。


「いえ、別の年のルーパーであるあなたと会えたことも嬉しいですよ。


 でも…長くオンラインでやりとりしてきた人と、オフで会えるかもという期待があったので」


「長く支え合ってきた仲間なら、余計にそうでしょうね」


 私の言葉に、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに照れたような笑みを浮かべた。


「宙さんは仲間である前に恩人なんです。

 長くループに苦しみ、孤独に押し潰されそうになっていた俺を救ってくれた」


 遠くを見るように目を細める土岐野。

 明るく飄々とした雰囲気の裏に、長い時間の苦しみが透けて見える。

 私はマイちゃんという仲間がいた。もし私がひとりだったら、今のように平常心ではいられなかっただろう。


「改めてお礼を言わせてください。

 あなたは宙さんに新しい希望を与えてくれた。

 あなたと会えたことを、宙さんは心底喜んでいました。

 あんなに明るく笑う宙を久しぶりに見ました。本当に感謝しています」


「俺たち」ではなく「佐藤宙だけ」に希望を与えた——その言い方に、私は何かを察してしまう。

 私の表情を、彼は真っすぐ見つめた。

 その肩に触れることはできないが、そっと手を伸ばすと、彼はふんわりと微笑んだ。


「触れられなくても、リモートでは味わえないこういう向き合い方はいいですね。

 より相手を見て、感じられる。新しい仲間があなたのような方で良かった」


「私のようなって?」


 少し揶揄するように返すと、彼は間を置かず答える。


「優しくて素敵なお姉さん?」


「おだてても何も出ませんよ」


「お世辞じゃないんですがね」


 そう笑ったあと、彼はふっと真顔になる。


「それと、あなたに折り入ってお願いがありまして」


 人の良さそうな笑みを浮かべたまま、意外な頼みを切り出してきた。


「あなたは頭の回転が早くて、しかも優しい方だと思う。だから…お願いします。

 じゃあ、記念撮影でもしますか?」


 そう言って、彼は自撮りのようにスマホを構え、私の横に寄る。

 しかし、画面には土岐野だけが映る。


「やっぱり一緒の写真は無理みたいですね。

 私はあなたのすぐ横にいるようで、そちらの世界には存在していない」


 その時、私のスマホが震えた。マイちゃんからの動画通話だ。


『ナオコさ〜ん、そちらの様子はどうですか?』


「無事合流できたよ。色々確認もしてた。

 でもやっぱり接触はできないし、カメラにも映らないみたい」


 カメラを彼の方に向けるが、映像には何も写らない。

 マイちゃんはその旨を宙に報告している。

 少し心配だったが、二人は平和に過ごしていたようだ。

 ベンチに腰掛けた土岐野は、タブレットでWeb会議室に再入室する。


「なかなか複雑な仕様ですね。

 こうして井上称央子さんが隣にいるのに、俺のカメラには映らない」


「鏡もレンズも、その時その場所の“現実”しか映さないんでしょうね。

 私の前年度のルーパーも、鏡には映りませんでした」


 私はLINE経由でWeb会議室に声だけ参加する。

 下の階で再集合しようとしたが、その階の店は彼らの時代とはまったく違っていた。


『あの〜、他に佐藤さんが作ったシステムってないんですか?』


 マイちゃんがそう尋ねてきた。

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