常世にて
[ひさときくんのお守り]を二人で鞄につけ、神社の周囲も散策してみる。
国道は神社などより一段下の崖沿いにあるため、車からでは見えなかったが、上に来てみると緩やかな平原が広がっており、なかなか美しい光景だった。一面に広がる田畑。見た目はよくある農地に見えるけれど、どこか洗練された雰囲気があり、眺めているだけで気持ちが良い。
この辺りの観光ガイドには先ほどの神社は必ず紹介されているのに、周囲の風景についてはほとんど言及されていないのが不思議なほどだ。
「ここって、なんでこんなに綺麗に見えるのかな?」
マイちゃんが風景をじっと見つめ、考え込む。
「計算されて整備された土地だからじゃないかな?
しかも、無理に切り開いた感じがない。
山を削って無理やり土地を広げた場所って、土地に不自然な凸凹ができるでしょ?
ここにはそれがほとんど見当たらない感じ」
言われてみて、確かにと気づかされる。愛華のいた土地は、どちらかというと地形に合わせて田畑を広げたような印象で、畦道もばらばらに作られていた。そして山には醜いワッフルのコンクリで覆われた部分が散見していた。
でもこの土地は、綺麗に区画整理されている。細い畦道の他にも、車が通れるほどの道がバランスよく整備されており、それらが奥にある白い大きな建物へと続いている。効率を考えてデザインされた土地であることが伝わってくる。これが「機能美」というものなのかもしれない。
「つまり、久刻様の教えに基づいた地層学や都市計画学の成果が、こういう形で現れているのかな?」
「愛華がいたような、いかにも“普通の田舎”とは大違いですね。
こんな素敵な環境なら、美意識も育ちますよ。優秀な芸術家が二人も輩出されたのも納得です〜」
私は苦笑しながらうなずく。
あたりを見渡すと、農作業をしている人がちらほらいるだけで、気になるような存在はいない。
むしろ私たちは少し浮いているように感じる。
ふと気づくと、マイちゃんがジッと私を見つめていた。
「ナオコさん、そろそろ常世村へ行きませんか?」
その言葉は、笑顔ではなく真剣な表情で、少し驚く。大きな瞳が私の心の奥を見透かしているように感じた。
常世村は、港の近くの入り江を利用して船大工たちが築いた都市。
海風から街を守るため、正面には高い土塀が設けられており、遠目には町全体が一つの建物のようにも見える。
門をくぐると、迷路のように入り組んだ小道が続き、木造の味わい深い建物が並んでいた。二人で地図を片手に、楽しく探索を始める。かつての木造小学校や郵便局など、街全体に一貫したテーマがあり、景観を損なうものが一切ない。町全体が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているのも納得だ。
「へぇ、面白い〜♪ どこもかしこも可愛い!」
マイちゃんは、この旅の本命の場所に来られたのが嬉しいのか、ご機嫌だった。どこを歩いても素敵な街並みで、迷うことさえ楽しい。
その町の一角にあるレストランで、遅めのランチを楽しむ。地中海風の料理を提供するその店では、港で獲れた新鮮な魚介類だけでなく、地元の野菜もふんだんに使われていて、どれを食べても美味しかった。
「でも、こんなに複雑な街の構造って、なんでだろう? 歩く分には楽しいけど、住むとなると大変そう!」
食後のコーヒーを飲みながら、テーブルに広げた地図を眺めてマイちゃんがつぶやく。
「それはですね――」
水を補充しに来たウェイターが話しかけてくる。
「ここは漁業の人々が暮らす街であると同時に、防衛の拠点でもあったからなんです」
「防衛?」
「今でこそ国道が通っていますが、昔はそこはただの崖で、不死原家を攻めるには内陸からの街道か、あるいは海路しかありませんでした。そしてこの入り江は、奥から内陸に登ることができる地形だったため、ここが防衛上重要な拠点になっていたんです」
「それで、正面に高い土塀があるんですね」
「ええ。しかも街の建物に使われている木材は、不燃性の溶液を染み込ませた特別なもので、火事にも強くできています。外敵が正面を突破しても、複雑な構造の街中では思うように動けないし、建物の多くが二階建て以上なのも、上から侵入者を撃退するのに有利だからです」
お洒落で可愛い町だと思っていたら、そこには意外なほど苛烈な意図が隠されていた。
そして、ここでも耳にする「不死原」の名前。私は自然と、隣の椅子に置いた鞄に目をやる。そこには、さっき神社で手に入れた御守りがついている。
これを持っていたら、何かが起きるんじゃないか。
そんな予感をかき消すように、私は首を横に振った。
不死原渉夢に会えたとして、私は何を話せばいいのだろう。命華とは違って、人格者らしいのできっと普通の会話ができる。でも、やっぱり怖い気持ちもある。
店を出て、マイちゃんと街の探索を再開する。
「防衛の要……そういう視点で見たら、また面白く感じますね」
「ですよね〜。よく見ると、お城にあるような“矢狭間”みたいな穴が、あちこちにあるんですよ」
マイちゃんはスマホで楽しそうに写真を撮っている。
「なんかこういう街、物語に出したくなるな。普段は活気のある港町だけど――」
「それ、面白そう!」
ふと、長髪の男性の姿が目に入った。通り過ぎようとしていた狭い路地の奥。
私はドキリとして、思わずその方向に目を向ける。
彼もこちらの視線に気づいたのか、振り返った。彼のナップサックに下がっているサーフボードのキーホルダーが揺れる。
アロハシャツを着た派手な雰囲気の男性。しかし、それは不死原渉夢ではなかった。
ただの外国人観光客のようだった。
その瞬間、強く手を引かれる。その勢いで、構えていたスマホのシャッターが切れた。
「ナオコさん!! そっちには何もありませんよ!」
「えっ?」
「それより、あっちに果物を使ったかき氷の店があるんですよ!」
いつになく強引な様子で私の手を引くマイちゃん。いくつも角を曲がりながら歩いていく。
初めて来たはずのこの町で、マイちゃんはまるで道に精通しているかのようだった。
「マイちゃん……?」
私がそう呼びかけると、彼女は何かを誤魔化すように笑い、私の背後をちらりと見る。
「今日一日で、この街を遊び尽くさないといけないんですから! ぼーっとしている余裕なんてありませんよ!」
なぜか私は怒られた。
おそらく、マイちゃんはこの街に来ると決まった時点で、ここについて相当調べてきていたのだろう。
マイちゃんの案内で街を歩き回り、ホテルに着いた頃にはすっかりクタクタだった。
ホテルというより民宿に近いため大風呂はない。お風呂に入らせてもらい、椅子に座って今日撮った写真を見直していた。十一久刻の像、田園風景、そして常世村の街並み……。
ふと、違和感を覚える。なぜか、何の変哲もない路地だけを撮った写真がある。
「こんな写真、撮ったっけ?」
そう考えながら、その場所があの外国人観光客を見かけた路地だと気づく。
しかし、写真には誰の姿も写っていなかった。
私は、他にもおかしな写真がないかと、今日撮影した写真をもう一度見直す。
「ナオコさ〜ん」
突然後ろから抱きつかれて、思わずビクッとする。
「マイちゃん!!」
「何してるんですか?」
マイちゃんは私のスマホを覗き込みながら声をかけてくる。画面にはちょうど十一久刻の銅像の写真が映っていた。
「今日の思い出を見直してたの。
……あっ、そうだ。マイちゃん、この彫刻の顔、誰かに似てる気がしたんだけど……分かる?」
付き合いが深まってきて分かってきたけれど、マイちゃんは視覚的な記憶力がとても高い。
「ああ、これって不死原渉夢氏ですよね。
十一残刻氏とは親友だったって話ですし、モデルになっていたんじゃないですか?」
マイちゃんの大きな黒い瞳が、射抜くように私を見つめてくる。
「……ちなみに、十一残刻氏は二年前の七月十一日に亡くなってます」
私はその言葉に、二重の意味で驚いて言葉が出なかった。
「不死原渉夢氏のことを調べに、ここまで来たんですよね? ナオコさん」
マイちゃんは私の前にしゃがみ込み、椅子に座る私を見上げながら言う。
「私、そんなに頼りないですか? 一人で抱え込まないでください」
私は慌てて首を横に振った。
「頼りないんじゃないの。ただ……私が一人でウダウダ考えてることに付き合わせるのが申し訳なくて」
「コソコソされる方が悲しいです! その方が、よっぽど申し訳ないと思ってください」
潤んだ瞳で言われてしまい、私は言葉に詰まった。
「マイちゃん、ごめん。ただ……何の問題解決にもならないかもしれない。そう思ったら、ガッカリさせたくなくて」
マイちゃんは少し睨むような表情で、顔を上げた。
「ガッカリなんてするわけないじゃないですか!
この迷路みたいな街だって、ナオコさんと一緒なら楽しく迷えるし、悩めるし、楽しめる。
せっかく二人で来てるんですよ!」
私は椅子から降り、マイちゃんのそばに膝をつき、そっと抱きしめる。
「ごめんね。そして……ありがとう。
この世界にマイちゃんがいてくれて、本当によかった!」
「私もです!」
しばらくの間、二人で泣きながら抱き合っていた。
でも、ふと我に返るとなんとも気恥ずかしくなるものだ。
失敗したあとの猫が毛づくろいして誤魔化すように、私たちはティッシュで涙を拭き、ほとんど乱れてもいない浴衣を整え、テーブルを挟んで向き合って座った。
「それで……聞いてもいいですか?
さっき、常世村でナオコさんは、不死原渉夢さんに会ったんですか?」
私は首を横に振り、スマホの画面にさっきの路地の写真を表示して見せた。
「ここにいた男性。マイちゃんには見えてなかった?」
マイちゃんはコクリと頷く。
「じゃあ……なんで、あそこから離れようとしたの?」
「……ナオコさんが少し怯えているように見えたから。
それに、命華さんみたいにナオコさんの心を乱す相手だったら嫌だなって……でも、邪魔すべきじゃなかったかも」
私は悩む。あの人は、危険な感じはしなかった。
でも……外国人だったし、言葉は通じたのだろうか?
「あそこで私が見たのは、白人の男性だったの。目は青か緑、黒髪の長髪で、後ろでラフに縛ってた。派手なアロハシャツみたいなのを着てて」
「え? 外国人?」
「そう。赤いナップサックを背負ってて、普通の観光客にも見えた」
二人でしばらく黙って考える。全く知らない人だし、そんな人と繋がりがあるとも思えない。
「私に見えなかったってことは……異次元の人なんですよね?
でも、なんで今回もナオコさんだけが見えたのかな?
私たち、そんな人に関するアイテムとか持ってたっけ……?」
それぞれ自分の持ち物を思い返してみたけれど、その男性につながるものは思い浮かばなかった。
私は大きくため息をついた。
「見えたのが逆だったらよかったのに。マイちゃんが見てくれてたら、顔とか姿を絵にしてくれて、もっと一緒に検証できたのに……」
「ごめんなさい。私があそこから強引に離しちゃったから……」
マイちゃんが小さく謝る。
一応もう一度着替えて街を散策してみたけれど、あの男性の姿はもう見つけられなかった。




