水占い
命華との邂逅以外、何の変化もないまま、私たちはループを繰り返している。
7月12日には進めないけれど、それ以外はとても平和だ。
ELEVENタワー4階にある喫茶店【Onze bonheurs】での事故のニュースさえ意識しなければ、私たちは日々を楽しく過ごせていた。
マイちゃんとは、ほぼ毎日会っている。
一緒にどこかしらに出かけ、他愛のない話をして笑い合う、穏やかな日々。
ただ、それは決して無理のない生活とは言えなかった。
マイちゃんは毎日0時に目覚め、私は深夜1時に起床する。
このループの開始時刻がそこだから。
当初は、マイちゃんが一足早く起きて近くの24時間営業のカフェで待機し、私がそこに駆けつけて合流するというスタイルだった。
でも、さすがにこれは長く続けられる生活じゃない。
睡眠を取らなければ、いずれ精神的にも身体的にも崩れてしまう。
そう考えて、最近では「睡眠日」を作ることにした。
その日は、朝になってから「体調不良」として幹元さんに連絡を入れ、私は思いきり眠る。
午後からマイちゃんと合流し、遅めのランチを楽しむのが、今の定番のスタイルになりつつある。
ただ——その日、私はマイちゃんに隠れて、ひとりである調べ物をしていた。
マイちゃんには、ただ無邪気にこの不思議な日常を楽しんでいてほしい。
だから、今の私が感じているような疑念や不安は、なるべく見せたくなかった。
命華が「異なる時空」にいるという仮説は、もはや疑う余地がない。
あの現象を一番自然に説明できるのは、それしかなかった。
問題は、その異なる時空——その世界が「何なのか」。
そして、なぜ私とだけ、繋がれてしまったのか。
私と命華の共通点。
それは「誕生日が同じ11月11日」であり、「同じ日に死亡している」こと。
マイちゃんには、あれが“命華が死ななかった世界線”だと説明したけれど、私はむしろ、彼女もまた7月11日に閉じ込められている存在なのではないかと思っている。
ただし、それは1年前、2024年の7月11日のループ世界。
私と彼女を繋いだのは、あの——私のデビュー作の初版本。
私はあの本を受け取った日に事故に遭い、ループに突入した。
ならば、命華がループに巻き込まれた理由は?
なぜ彼女もまた、そこにいるのか?
その手がかりとして浮上したのが、「不死原渉夢」の存在だった。
命華が死亡したのは、彼が小学生たちと一緒に描いたという壁画の前。
ストーカー行為で命華に迷惑をかけられた当人であり、命華の死と無関係であるとは考えにくい。
私は改めて、不死原渉夢について調べた。
そして、思わずため息をついた。
不死原渉夢
1996年11月11日生まれ。数々の賞を受賞している画家。作品にはSHYUMUのサインがしてあり、画家としてはこちらで活動しているようだ。
2025年7月11日、地震で崩れた崖から転落し死亡。
遺体は損傷が激しく、本人確認が困難だったものの、衣類とDNA鑑定により特定された。
事故当時、現場には偶然そこを訪れていた観光客の女性もいた。
彼女も死亡していたが、身元の特定には至っていない。
遺留品が海に流されてしまったためだ。
ただし、タクシーの運転手の証言によって、彼女が20代〜30代の女性だったことだけは判明している。
事故が起きたのは、7月11日の11時を少し過ぎた頃。
——これは、もうただの偶然ではない。
「11」にまつわる何かに、私たちは巻き込まれている。
おそらく、もっと過去を遡れば、同様の事故は見つかるのだろう。
事故現場の映像を見ると、崖の角がまるごと崩れ落ちていた。
けれど、その中で奇跡的に無事だった石像が、変わらず海を眺めていた。
このループの謎を追い求めてどうなるのか? 果てしない混沌に足を踏み入れるだけのような気がした。
とはいえ、気になることを放っておけない――そんな自分がちょっと嫌だとは思うが、私は不死原渉夢が亡くなった「慈悲心鳥崖」に来ていた。
マイちゃんには、この崖の近くにある「常世村」への旅行ということで誘った。一人で遠出するとか言ったら、拗ねるから。
常世村は、入江に形成されたかつての漁村で、海風から家を守るために舟板を再利用した板壁の家々が、迷路のような路地に沿って密集している。最近ではドラマのロケ地にもなり、人気の観光地となっていた。
美しいものや素敵な風景をこよなく愛するマイちゃんは、大喜びでついてきてくれた。
問題の慈悲心鳥崖は、例の事故で大きく崩れ、今では海が一望できる見晴らしの良い道路となっている。
崖の向かい側には、赤く大きな鳥居があり、社号標には「慈悲心鳥神社」とあった。
その神社の手前には、あの事故の動画でも見た、海を眺めていた石像が移設されていた。
肩に鳥を乗せた侍の銅像。下の説明書きには「十一久刻像」とあり、この地域で功績を残した人物とのことだっった。
その侍の顔が、どこかで見た誰かに似ている気がする。
作者の名は「十一残刻」。像と同じ姓であるのも、どこか不思議だった。私は銅像の写真をスマホで何枚か撮った。
「どうせなら、神社にお参りして行きませんか?」
マイちゃんの言葉に頷き、私は銅像に気をとられながらも、鳥居の奥に続く石段を上ることにした。
マイちゃんは御朱印集めが趣味で、神社仏閣が好きだ。あの大量のお守りを持っていた理由もそれだ。
今日も御朱印は“なかったこと”にされるが、マイちゃんにとっては蒐集そのものよりも、受け取る際の会話や、開いた瞬間の感動が大切なのだという。
上へ登ると、思っていたよりも広く、厳かで静寂な空気に包まれた空間が広がっていた。石畳の先には、立派な鳥居と風格ある拝殿が構えられ、季節の花々が丁寧に手入れされた境内には、清らかな空気が流れている。
マイちゃんはお参りをすませると、嬉しそうに御朱印をもらい、社務所でお守りを眺めていた。今日は何かの式があるらしく、御朱印は書き置きのみ。巫女さんが申し訳なさそうに案内してくれた。
「ここって、素敵なお守りがたくさんありますね! コレ可愛い! この笑顔、素敵だと思いませんか?」
マイちゃんは「ひさときくんお守り」を手に取り、私に見せながら笑顔を見せた。その笑顔は、キャラクターの笑顔に負けていなかった。
そんな彼女を、巫女さんは微笑ましそうに見ている。
マイちゃんが尋ねた。
「この『ひさときくん』って、下の銅像の方ですよね? どんな方だったんですか?」
「十一久刻様は、この土地の農業と学問を発展させた立役者です。この神社自体も、もとは久刻様が開いた藩校が前身なんですよ」
巫女さんは、書き置きの御朱印に丁寧に日付を記しながら語ってくれた。十一と書いてトカズと読むらしい。
「藩校というと武士の子どもの学び舎というイメージがありますが、ここでは農民や商人の子どもも読み書きや算盤を学び、大人たちは地理や気象、農学などを学べたそうです。久刻様のおかげで、この土地は今でも豊かなんですよ」
マイちゃんは色違いの[ひさときくんお守り]を買い一つ私に渡してくれた。
「そういえば、あの銅像を作ったのも、十一さんというお名前ですよね」
穏やかな笑みを浮かべたイラストのついたお守りを見つめながら聞くと、巫女さんはどこか悲しげな微笑みを浮かべた。
「残刻くんは久刻様の直系の子孫なんです。普段はもっと抽象的な彫刻を作る人で、長の胸像なんか頼んでも『絶対にイヤ』って顔をしかめて断っていたのに……久刻様の像だけは嬉々として引き受けて、一気に作り上げたんです。
そのお守りのイラストはなんと不死原本家の方に描いてもらったんですよ! 有名な画家なのに、渉夢さんは快く引き受けて下さって……」
その口調には、懐かしさと誇らしさが滲んでいた。しかし十一残刻について話していた筈なのになぜか、お守りのイラストの作者不死原渉夢さんの話になっている。
気さくで紳士で素敵な人だったようだ。そして十一残刻氏は少し乱暴者でヤンチャだけど情が厚く根は良い人だとか。
「良いですね! 異なるジャンルの芸術家が親友同士って素敵!
そして巫女さんはお二人ともお知り合いなんですか!? すごい!」
「田舎だからね~。住民みんな知り合い状態よ」
「そういうの、素敵! 楽しそう!」
「まぁ、心強い反面、面倒なことも多いわよ~。彼氏作ると、その後ろにいる家族どころか親戚まで丸見え状態だし」
「でも、それなら“どこの馬の骨よ”なんて言われなくて済むじゃないですか!」
マイちゃんと巫女さんの会話が弾んでいる。
そのやりとりを耳で楽しみつつ、私は境内に視線を巡らせた。
どうやら今日は祭りか何かがあるのだろう。お堂の方からは祝詞の声が聞こえてきて、祭事が進んでいるようだった。
お堂の前は広場になっており、私たちがいる社務所の反対側には参集殿と集会所が建ち、その間には石畳の道がどこかへと続いていた。
参拝客はちらほらいて、地元の人々は掃除をする作務衣の男性に挨拶しながらお参りをして去っていく。観光客は、私たちのようにお参りの後、社務所でお守りと何か黄色い紙を買い求め、楽しそうに石畳の道を進んでいっていた。
「あの、皆さんあちらへ行っていますが、あの先には何があるんですか?」
私の問いに、巫女さんは優しく答えた。
「水占いができるんですよ。
あちらに御神木である鬱金桜の木がありまして、運を呼び込むと言われています。
願いを書いた紙を、木の前で祈ってから桶に浮かべて、沈む速さで願いがどれだけ早く叶うかを占うんです」
「おもしろそう! ナオコさん、やりましょう!」
「そうね、やっちゃおうか」
私たちは黄色い紙を買い、願い事を書き、線に沿って花弁の形に折った。
石畳の道を歩いていくと、マイちゃんが思わず声を上げる。
そこには、思っていたよりもずっと立派な桜の木があった。夏なので花は咲いていなかったが、幹の曲がり具合も味わいがあり、存在感のある木だった。
両手で花弁の形をした願い紙を持ち、桜の木の前で目を閉じて祈る。
『このループの謎が解けて、二人で無事ループから脱出できますように』
そして、二人で同時に、花弁を水の入った桶へと浮かべた。
マイちゃんの花弁は、舞いながら水面を揺らし、すっと沈み、ほどなくして、水に溶けて消えていった。
その様子は、願いが迷いなく天に届いたかのようだ。
一方、私の花弁は、水面をゆらゆらと漂ったまま、いつまでも沈もうとしない。
浮かび続け、揺れながら、ようやくゆっくりと輪郭を崩し、水に溶けていった。
まるで、行き先を決めかねる願い。あるいは、叶えようのない願いのように。
二人で顔を見合わせた。
「マイちゃん、何をお願いしたの?」
「ひみつ〜」
いたずらが見つかった子どものように、マイちゃんは笑って誤魔化す。
その笑顔には少しの照れと、ほんの少しの本気の祈りの思いが滲んでいた。
そして、願いの内容を教えてくれることは、最後までなかった。




