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ペトリコールに融けるふたり  作者: 白い黒猫
世界の秘密を求めて旅に出る

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17/60

二つの世界

 高速バスに乗って松馬で降りると、私たちは早々に温泉旅館へと向かった。

 ウェルカムドリンクを楽しみ、二人で部屋に付いている温泉に浸かり、ようやくホッとする。

 並んで湯船に浸かりながら、中庭をぼんやりと眺める。


「マイちゃん、今日はありがとう。……もう、あの命華と関わることはないと思うから、安心して」


 それでもマイちゃんは、まだ少し不安そうに私を見る。


「何があったんですか? あの女の家の前で」


 私は手ですくった“美肌効果がある”という湯を顔に優しくかけながら、考える。


「うーん。何が“あった”ってわけでもないかな。怖いことをされたわけでもないし。

 ……ただ、釈然としない出来事の“答え合わせ”に行ったって感じ」


「答え合わせ?」マイちゃんが首をかしげる。


「私だけに見えていた命華の存在が、どうにも不可思議で気になっててね。

 たとえば彼女が触れられる物と触れられない物があることとか。

 私しか見えないはずなのに、誰か別の人とコミュニケーションを取ってるような感じがあることとか……。

 ほら、スタバの出入り口で逆ギレしてた様子もそう。今日も誰かとケンカしてた感じだったし」


「……それって、単にあの女が“アレ”だったって話じゃなくて?」


 私は苦笑する。

 もちろん現実でも、一人でブツブツ話してる人は見かけるけど、そういう人ってたいてい同じ言葉を繰り返す。でも彼女は異常なことを言ってはいても、その場その場で違う内容を話していた。


「それに昨日はフラペチーノ飲んでたし、タブレットを持ってた。今日は服も違ってたのよ」


「幽霊や亡霊って、“着たきりすずめ”なイメージありますよね。まあ、それって私たちの勝手なイメージかもしれませんけど……。

 でも確かに、食べ物を持ってたり、電子機器を持ってるのは不思議です」


 私は頷く。


「だから、“異なる時空にいる”という仮説を立ててみたの。今日、それを確かめに行ったの」


 マイちゃんが興味津々といった様子で私を見る。


「命華と私たちは、違う次元――いわば“別の世界”にいる存在なのかも」


 マイちゃんの目がさらに大きくなる。


「……いわゆる、創作物でいう“パラレルワールド”みたいなものですか?」


「そう。ほとんど同じ世界が二つ存在していて、たまたまその二つの世界の“同じ場所”に、それぞれの人間がいたから、見えてしまった……そんなイメージ」


「ということは、ナオコさんが見た命華は、私たちが知ってる命華とは“別の命華”ってこと?」


 少し言葉を選んで、私は答える。


「ほぼ同じではあると思う。少なくとも、私の本の表紙を描いたって言っていたし、トレパクとストーカーで騒ぎになった過去があるらしいから。本人は認めてなかったけど。

 でも、その命華は“死んでいない世界”に存在しているのかもしれない」


 私はあえてごまかした言い方をしてしまった。

 本当は、ある嫌な仮定が過っているけどマイちゃんの前で口にしたくなかった。


「その世界では、命華は自由に動けてる。あの街は彼女にとっての日常の行動範囲なんでしょうね。

 虚栄心と自己顕示欲の高い彼女が、クリエイティブなアーティストを気取れる場所は、あの街には“スタバ”しかなかったのかもしれない」


「え? スタバってそんな、お洒落でクリエイティブな空間でしたっけ?」


「田舎者にとってはね、スタバって都会的でお洒落なお店で、ちょっとした“憧れ”なのよ。

 パソコンを開いて作業してると、“自分、カッコイイ”って気分になれる場所だったりするの」


「へぇ〜」とマイちゃんは面白そうに笑う。

 千葉県育ちの彼女には、もしかしたらあまりピンとこないのかもしれない。


「ナオコさんって、田舎はどちらなんですか?」


「……小樽」


「え、小樽!? 私の実家と違ってオシャレタウンじゃないですか!」


 北海道民にとって、関東ってだけで都会に感じるものなのよ、と私は苦笑した。

 そして小樽にはコメダはあるけど未だにスタバはない。わざわざスタバに行くために札幌に行った。


「ま、そんな話は置いておいて。

 命華はスタバで、無邪気にフラペチーノを楽しんでる感じじゃなかった。すっごく“気取った”感じでね。

 “スタバでクリエイティブな作業してる私”に酔ってる感じ? もう痛々しかったの」


 マイちゃんが思いっきり顔をしかめる。


「落書きや人間観察のため絵を描いている事はあるけど、プロのイラストレーターがあんな落ち着かない場所で創作作業する? 狭いし、視線気になるし、ないない!」


「だよね。私も、そういう人って何なんだろうって思う。人に見られるの前提? 自意識過剰すぎない?」


 マイちゃんが深くため息をついた。


「ヤバい上にイタい! ナオコさん、もう本当に愛華とは関わらないでくださいね! たとえ生きてる人間だったとしても、あれは地雷系女ですよ。近づくのは危険です!」


「大丈夫。もう接触することはないよ。……見てるだけで不快だったし、あんなに短絡的で感情的じゃ有益な情報も得られそうにないしね」


 マイちゃんが真顔で確認する。


「……その“現象”ってつまり、二つの世界の人間が“同じ場所”にいて、しかも“あの本”がそこにあることが条件なんですよね?」


「そういうことになる、かな」


 マイちゃんはぱっと笑顔になる。


「じゃあ私があの本を持っていかなければいいだけですね! それであの女が現れることはない! 最高じゃないですか!」


 命華と接触する条件はかなり限定的。こちらの行動で対処はできる。だと思う。

 私は嬉しそうなマイちゃんの方に体を向けて、まっすぐ見つめた。


「あとね、マイちゃんに一番お礼を言いたかったのは……マイちゃんが“見えていない”にも関わらず、私の話を信じてくれたこと。

 そのことが、どれほど心強かったか……」


 マイちゃんはワタワタと身体を動かす。


「そ、そんな……私、別に大したことしてないし、役に立ってないし……」


 私はゆっくりと首を横に振る。


「信じて、一緒に悩んでくれた。……それだけで、私は本当に助けられたの。ありがとう、マイちゃん」


 マイちゃんは目を見開いて、そしてその瞳から、ぽろぽろと涙が溢れた。


「こんな世界で、一緒に歩んでいける仲間がマイちゃんで、本当に良かった。……これからも、よろしくね」


 私は彼女の頭を優しく、ぽんぽんと撫でた。


「そろそろ、夕食が運ばれてくる時間だから、出ようか」


 私は立ち上がり、湯からあがることにする。


「どうする? ビールにする? それともワイン?」


「……ワインで!」


 マイちゃんは涙を拭いながら、笑顔で答えた。

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