超常現象? の検証
少し騒ぎを起こしてしまったこともあり、私たちはサンドイッチをさっと食べ終え、店を出ることにした。
ちょうど出口に向かおうとしたときにまた、耳障りな声が聞こえてきた。
命華の声だ。今度はレジカウンターの横で、何かを叫んでいる。
その声に身体が竦む。
けれどその声は、私に向けられたものではなかった。
彼女は、誰もいない空間に向かって怒鳴っている。
「迷惑行為ってどういうことよ!!
私はただ、ファンと楽しくお話ししていただけよ!」
まるで、店員に抗議しているかのような口調だった。
私がその場に立ち止まると、マイちゃんが不思議そうにこちらを見る。
「……まだ、いる。ここに」
私の呟きを聞いて、マイちゃんは軽く眉をひそめた。
命華は、私にはまったく気づいていないようだった。私は視線をそらし、そのまま店の外へと出る。
何度か振り返りながら様子をうかがっていると、ふいに命華の姿が消えた。
私は少し考えてから、ゆっくりと店のほうへ戻ってみる。
すると、ガラス越しに、白いワンピースを着たふくよかな女性の後ろ姿が見えた。
店内の奥、さっきと同じように立っている――命華だ。
私はその姿を注視したまま、ゆっくりと後ろへ下がる。
すると、またしても命華はふっと姿を消した。
もう一度前へ出ると、また現れる。
……距離。一定の距離を超えると、見えなくなる。
「ナオコさん?」
マイちゃんが心配そうに声をかけてくる。
その間にも、命華は怒りの表情のまま、ドシドシと大股で出入口に向かってくる。
自動ドアが開き、こちらに出てこようとしたその瞬間、私はとっさにマイちゃんの手を引き、近くの駅前案内板の陰に身を隠した。
怒りに夢中になっていた命華は、私たちに気づかないまま歩き出す。
そして、私がさきほど“見えなくなった”あの地点に差しかかると――そのまま、スッと姿を消した。
「……そういう仕様なのか」
私は思わず、ぽつりと呟いた。
マイちゃんは状況がまだ飲み込めていないのか、不安そうに私の顔をのぞきこむ。
「マイちゃん、ひとまず……落ち着ける場所に行こうか」
私は静かに、彼女に微笑んだ。
※ ※ ※
何駅か先にある、大型のインターネットカフェに移動した。
完全個室タイプの部屋を選び、マイちゃんには店内にあるシャワールームで汗を流してきてもらうことにした。
彼女はまだ話を聞きたそうにしていたけれど、私自身、少し一人で考えたかった。
部屋に一人になると、私はタブレットを開き、今日あったこと、命華の言動をひとつずつ書き出していった。
思い出せる限りの出来事を並べ、次に「わかったこと」「不可解なこと」と項目を分けて入力していく。
こうして文字にしてみると、思っていた以上に……いや、あらためて常識外れなことばかりだと実感させられる。
命華が見えるのは、私だけ?
なぜマイちゃんには見えなかった?
命華の出現には距離の制限があるようで、少なくとも彼女自身と、彼女が表紙を描いた本と、私の三者が一定の範囲に揃っていることが条件になっているように思える。
距離が開くと、彼女は見えなくなる。そして近づけば再び姿が現れる。
ただ、命華は私のことを“誰か”としては見えているのに、“時雨結”であるとは気づいていない様子だった。
言葉の端々からは、時雨結という作家に対して憎しみはなく、むしろ「誇らしい過去」として語っていた。
それは……不気味なほど陽気な、誇大妄想じみた口ぶりで。
それにしても理解できないのは――なぜあんな場所に現れたのか、ということ。
命華が亡くなったのは竜巻の事故現場。今回現れたのは、私たちがたまたま入った地方都市のスターバックス。
しかも彼女は、私を認識していなかった。
ならば、なぜあの場所に出現したのか?
私たちを「待ち伏せていた」わけではない? では偶然?
それと、命華が“触れられるもの”と“触れられないもの”の線引きも不明だ。
パソコンの画面には触れず、テーブルには触れていた。タブレットを操作し、フラペチーノも飲んでいた。
……まさか、私は“触れられるモノ”の側に入っていたのでは? そんな仮説すら頭をよぎる。
そしてもうひとつ気になることがある。
店員に怒っていたあの場面――あの怒鳴り方は、見えている人が他にいた可能性を示している。
実際に迷惑行為と判断されて注意を受けていたなら、命華の姿は少なくとも一部の人には見えていたということだろうか?
だとすれば、命華は「一部の人には見えて、他の人には見えない」状態なのか?
私たちが見た命華の姿と、周囲の人が見ていた姿は同じなのだろうか?
さらに不可解なのは、命華が普通にフラペチーノを飲んでいたことだ。
注文していたということになる。つまり、店員には「客」としての命華が見えていたことになる?
でも、フラペチーノをぶちまけたときに駆けつけた店員さんは、明らかに私に話しかけている命華と私の間を遮るようにして清掃していた。
その反応を見る限り、彼女には命華は見えていなかったように思える。
一体どういう基準で“見える・見えない”が分かれるんだろう……。
命華という人物についても、改めて異様だった。
自意識過剰で、自己評価がありえないほど高い勘違い女。
トレパクやストーカー行為についての罪悪感はゼロ。
それどころか、自分が悪く言われていることを“誹謗中傷”と断じ、裁判で「私たちはお付き合いしていた」などと主張していた。
それも、言い逃れというより、本気でそう信じ込んでいたように見えた。
物事を都合の良いように解釈し、自分にとって不都合な現実はなかったことにする。
それが彼女の認知の仕方だった。
あれだけのことをしておきながら、まだ“イラストレーターとして復帰”する意欲があったことも、恐ろしい。
けれど……私たちの身に起きているこの怪異が、彼女の怨念だけで説明できるとは思えない。
命華と私たちがまったく無関係だったとは思わないけど、短絡的にすべてを結びつけるのは危険な気がする。
どういうことなのだろうか。
タブレットに映る文字の海を前に、私は深く息をつき、考え込んだ。




