嫌いなもの
好きなもの。ポテトサラダ、イチゴ、漫画、散歩。
苦手なもの。トマト、パプリカ、飛ぶ虫、高いところ。
嫌いなもの。恋愛映画。
高校二年のとき、友人の家で恋愛映画を観た。俺は感動して大泣きし、友人三人のうちの二人に爆笑され、ばかにされた。もう一人の友人、弦田は観察するように俺を見ていて、それも気に食わなかった。そんな見方をするくらいならいっそ笑ってくれればいい。腹が立って怒鳴り散らした覚えがある。
それから俺は恋愛映画が大っ嫌いになった。
「吉井、久しぶり」
二十七歳になり、高二のときの担任が定年を迎えるというということで集まれる人は集まることになった。恋人もいない平凡な会社員の俺は土曜日の夜に特に用事もなく、参加の返事をした。
声をかけられて振り返ると、見覚えのあるイケメンが微笑んでいる。どう見ても弦田だ。ちょっと嫌な思い出が蘇るけれど、とりあえず口角を上げて挨拶をする。
「久しぶり、弦田」
「卒業以来だな」
「ああ」
大学は別のところだったから、もう九年ほどになるのか。高校の頃より弦田は社交的になったように見える。かっこいいのにおとなしくて、物静かだった弦田。ちょっと雰囲気が明るくなっている。話しているうちに嫌な思い出は消えていった。当然のように弦田は女性達に声をかけられるけれど、さらっと躱している。スマートになったものだ。
「おー、吉井と弦田! ここ座れよ」
仲の良かった友人が隣の席を勧めるので、弦田とふたりで座る。もうひとり仲が良かった友人は欠席だった。
最初は他愛のない話をしていた。けど、なぜか左隣…弦田のほうから視線を感じる。なんだ。じっと感じる。びしびし感じる。
「そういや、覚えてる? あれ」
ほとんど俺と友人が話していると、友人が突然“あれ”と言うので首を傾げる。友人がにやにやと笑って俺の肩に手を置く。なぜか弦田がぱしっとその手を払った。
「痛っ」
「えっ」
なに?
「あ、ごめん」
友人も俺も、全然悪くなさそうに謝る弦田を見る。弦田は真顔でグラスを傾けている。どうしたんだ。友人とふたりで疑問符を浮かべながら、まあいいやと話の続きに戻る。
「俺んちでさ、映画観たじゃん」
「………」
嫌な予感。
「吉井が大泣きして」
…………最悪。
「いやーあれは笑った。思い出しても笑える。あんな泣き方しないだろって」
「………悪かったな」
グラスのビールを呷って席を立つ。もう帰ろ。なんか一気に萎えた。とりあえず先生に挨拶はできたし、目的は果たしたから。
幹事に参加費を払って居酒屋を出る。駅に向かって早足で歩いているとちょっと息苦しい。思ったより酔っているようだ。
いいものを見て感動してなにが悪い。感動して泣いてなにが悪い。
さっさと店から……友人のいる店から離れたくて更に早足で歩く。…本当に友人だと思っているのかな、と考えながら。
突然足が止まった。うしろから手を掴まれたから。
「待って」
「弦田…?」
息を切らせた弦田が俺の手を掴んでいる。深呼吸をして、俺の隣を歩き始めた。
「大丈夫?」
「……なにが?」
「さっきの」
「………」
そういえば弦田は泣いている俺を観察してたっけ、と思い出す。笑われるよりきつかったかも。
「…気にしてない」
「嘘」
「なんで嘘だってわかんの」
「ずっと吉井を見てたから」
………。
なんて言った? 『ずっと吉井を見てたから』?
「……どういうこと?」
足を止めて弦田のほうを向く。弦田も歩みを止め、俺を見る。突き刺すような真剣な瞳に吸い込まれそうになり、寒くもないのに小さく身震いする。すると、弦田が俺に手を差し出す。
「手」
「手?」
「手」
「?」
言われたとおりに手を伸ばすと、その手を取られてきゅっと軽く握られた。弦田の指先はちょっと震えている。
「ずっと、吉井が好きだった」
付き合ってほしいけど、すぐに答えは出さなくていいと言われた。わかった、と答えて連絡先を交換して別れ、翌日日曜。朝から脳みそフル回転。
ずっと好きだったって、高校時代から? 今までずっとってこと? どこを? なんで? どうして? 疑問符ばっかり。でも、嫌だとは思わなかった。
うーんうーん唸っていたらスマホが短く鳴った。
『昨日はいきなりごめん。よかったら今度、食事でも行かない?』
「ほんとに社交的になったな、弦田。高校時代には誰かを食事に誘うなんて絶対するタイプじゃなかっただろ」
……スマホに話しかけてしまった。
『いいよ。詳細はまた相談しよう』
返信。
どうも冗談ではなさそうだから、俺も真剣に向き合わないといけない。でも、本当になんで俺なんだ。特徴もない、一度会って二度目には忘れているような平凡な男を捕まえて好きになる物好きな奴がいるとはびっくりだ。
結局その日は弦田のことばかり考えて過ごした。
次の日曜日、弦田と食事をすることになった。店は任せてと言われ、連れて行ってくれたのは小規模チェーンの個室居酒屋。この近辺に住んでいれば特に珍しいわけでもないのでどうして?と思って聞いてみると、弦田は酒類メーカーで働いていて、このチェーン居酒屋は得意先で自社リキュールを使ったカクテルやデザートなどの提案もしているらしい。
「吉井に飲んでもらいたくて」
はにかみながら言う姿が、高校時代の姿と少し重なった。そういえば昔から俺と話すときはこんな笑い方をしていた気がする。
生ビールと一緒に運ばれてきたカクテルは透明で、フルートグラスに入っていた。飲んでみると炭酸がしゅわっとして、甘酸っぱい。ほんのちょっと、微かにほろ苦くって、なんだか…。
「なんか……これって」
「どんな感じ?」
言いたいけれど、少し恥ずかしい。もごもごしてしまう。
「……笑わない?」
「俺が吉井の言うことで笑うことなんてない」
優しく微笑んでくれるので、思い切って言葉を紡ぐ。
「……………初恋、みたいな」
言葉にするなら、それが一番しっくりくる。初恋をしたときの“初恋”じゃなくて、大人になって初恋を思い出したときの“初恋”という感じ。俺の勝手な初恋のイメージ。
「正解。俺の中の吉井のイメージ」
「!?」
カクテル噴き出すかと思った。固まる俺に弦田は更に優しく微笑む。
「ずっと吉井だけなんだ」
「……なんで俺?」
考えても全くわからなかった。だってこれと言って秀でたところなんてないし、好きになってもらえる理由なんて思い浮かばないくらい、なにかをしてあげた覚えもない。友人ではあったけれど、特別なにかがあったという思い出もない。
「見た目で判断しないところ」
「? 見た目?」
「吉井は俺を釣りの餌みたいに使ったりしなかったから」
「……使うわけないだろ」
そういえば他の奴らは弦田に『女子誘うのに一緒に来て』とか、ふざけて言ったりしてたっけ。単なるおふざけだったんだろうけど、弦田にはショックだったのかもしれない。
「あと」
「あと?」
「泣き顔がすごく綺麗だった」
「!!」
顔が熱くなる。あれは思い出してほしくない。
「……忘れろよ」
カクテルを一口飲んで言うと、弦田は首を横に振る。
「あんな綺麗な表情、忘れられるはずない」
「……やめてくれ」
いいものを見て感動して泣くのは悪いことじゃないと思うけれど、その泣き顔を…それも自分の泣き顔を…綺麗と言われたら、否定以外できない。お世辞でも“綺麗”はかなり無理がある。
「忘れようとすることもできない。それくらい特別」
その弦田の言葉のほうが、特別だった。
照れくさいようなむずむずするような、落ち着かない気持ちで食事を終え、駅で別れた。心がくすぐったくて、酔いではないふわふわ感につつまれたまま帰宅する。
なんとなくだけど、また会いたいと思った。
それから何度か弦田と食事をした。店の雰囲気は毎回バラバラで、食事もできる落ち着いたバーだったり、賑やかな創作料理店だったり、最初に行ったようなチェーンの居酒屋だったり。
いつも共通しているのは、弦田とだと、どこに行っても楽しいということだった。
そのうち食事だけではなく、ふたりで買い物をしたり、なにをするでもなく街を歩いたりするようになった。
一緒にいると落ち着くし、なにより弦田が俺に真剣に向き合う姿勢に徐々に惹かれていく。
弦田の気持ちに応えたい。自然にそう思うようになっていった―――。
「どこ行くの?」
「こっち」
ある日、弦田に連れて行かれたのは映画館。すーっと嫌な汗が伝う。見るとリバイバル上映されているのは、あの日の恋愛映画。足が止まる。
「………どういうこと?」
友人ふたりの笑い声が脳内に木霊する。弦田の気持ちがわからない。恋愛映画が嫌いだと何度も話したのに、どうして……しかもきっかけになったこの映画だなんて。
弦田は俺の手を取る。
「吉井とこの映画をもう一度観たくて」
「本当は笑いたいだけだろ!」
弦田の手を振り払い、踵を返す。引き留める声が追いかけてくるけれど無視して駅に向かう。
なんなんだ。どうしてこんなことをするんだ。せめて相談してくれたらよかったのに、今日の予定に限って『秘密』と言われていた。
もしかしたら最初から俺の泣き顔が綺麗だなんて思っていなかったんじゃないか。笑いたいだけで、俺の反応を心の中で面白がっていたんじゃないのか。今まで楽しいと感じた時間も全部、今日の笑いのために積み重ねたんじゃないのか。
駅の階段で手首を掴まれた。
「吉井!」
「………」
「笑いたいなんて気持ち、本当にない」
「………」
「ただふたりで一緒にあの映画が観たい。それだけなんだ」
振り返ることができない。手首を掴む弦田の手の力があまりに強くて真剣さが伝わってくるのに、俺はまだ弦田を疑っているから。
「……嘘だ。俺の反応を心の中で面白がってんだ」
「そんなことしない」
「どうだか」
「吉井」
ぐっと手を引かれてそのまま抱き締められた。周りの人が見ている。それなのに俺は、いつものように真剣な弦田に安心している。
「なにも言わずに連れてきたのは悪かった。言ったら絶対嫌がるだろうと思って…」
「……」
あたりまえじゃん。嫌だよ、嫌に決まってる。
「本当に、面白がる気持ちなんて微塵もないから」
「……」
「だから、お願い」
真剣なお願い。そんな風に真剣にお願いされたら、断れない。渋々頷いて、映画館に戻った。
一度観た映画だけれど、大人になって観ると違う発見があって、俺は高校の時以上に感動して涙が止まらない。
ハンカチをバッグから出そうとしたら隣の弦田が俺の手にハンカチを握らせた。申し訳ないと思いながらも有難く使わせてもらうことにする。
エンドロールのときには弦田と手を繋いでいた。館内が明るくなると、弦田はゆっくりと俺の肩を抱いた。
「この映画、悔しいけどやっぱりいいよな…」
恋愛映画嫌いが吹っ飛んでしまうくらい、二度目でも『いい』と思う。涙声で言うと、弦田は俺の顔を覗き込んで恥ずかしそうに笑った。
「俺は、高校のときも今日も、吉井しか見てなかった」
ぐずぐずする俺の涙が収まってからカフェに移動。遅いランチをとりながらちょっとむくれる。
「…なんで俺しか見てないんだよ」
「ごめん。だって今日の俺の目的は“映画”じゃなくて“映画を観てる吉井”だったから」
「………」
約二時間、ずっと俺を見ていたのかと思うと顔が熱くなる。どんな顔をしていただろう。みっともない泣き方をしていただろうな…。
それに、今日だけじゃなくて高校のときもだなんて、恥ずかしすぎる。
「やっぱり綺麗な泣き顔だった」
「……そんなわけなさすぎる」
「あるんだって」
あるわけない。だって絶対変な顔をしていたに決まっている。でも、弦田はお世辞を言っているようにも嘘を言っているようにも感じられない瞳で俺を見るから、つい聞いてしまう。
「なんで」
「吉井だから特別なの。いいものをいいって泣ける吉井だから」
アイスティーを飲みながら微笑む弦田。かあっと頬が熱くなった。
そういえば。
「……勘違いして、ごめん」
「え?」
なんのこと、という顔をするので、小さく頭を下げてから続ける。
「弦田も、やっぱり俺を笑いたいだけかと思ったんだ、本当に」
「俺も…吉井が嫌がるかと思って言えなくて…黙っててごめん」
「うん。びっくりしたしショックだった」
「ショック?」
首を傾げる弦田に頷く。
「泣き顔が綺麗とか色々言ったくせに、全部嘘だったのかって思ったら…すごくショックだった。楽しかった時間も全部嘘だったのか、とか考えちゃって……ごめん」
「それは、吉井の心が俺に向いてきてるってこと?」
はっきり聞かれると恥ずかしいけれど。
「……そう」
どきどきしながら素直に答えると、弦田はアイスティーのカップを倒しそうになって慌てて支える。
「ごめん……嬉しすぎて動揺した」
「う、うん」
弦田がテーブルに置いた俺の手におずおずと自分の手を重ねる。
「……嫌じゃない?」
「映画館でしっかり手繋いだじゃん」
「あれは………うん」
思い出したのか、弦田は整った顔を真っ赤にしてしまった。熟れ切って、触れたらはぜてしまいそうでちょっと可愛い。
「また一緒に恋愛映画観たいな」
俺の手の甲を指でつんつんとつつく弦田の微笑みが、窓から入る陽射しで輝いている。
「俺が泣いたときのためにハンカチ五枚は用意しといて」
「まかせて」
一旦手を離し、ふたりでランチの続きを食べ始めた。
END




