9 初デートのような罠
──そこには大きな齟齬があったが、まだこの時は、誰もそのことには気がついていなかった。
ローズはリオンを警戒し──というよりは意識し過ぎて緊張に顔を硬くこわばらせながら、王宮の廊下を進んでいた。
その後ろを、王女に配慮しながらヴァルブルガが着いて歩き、さらにその後ろを、騎士リオンが着いてくる。
一番前を歩くローズは、複雑な思いで胸も頭もパンパンだった。
なぜ、自分はリオンをキッパリ突っぱねられなかったのだろうか。ただ一言、『いえ、それはできません』と言って、これまで色目を使ってきた男たちと同じようにすっぱり申し出を断ればよかっただけなのに。
本来彼女は人を拒絶することが苦手だが、度重なる王太子のハニートラップのおかげで、今ではすっかりそれも板についてしまった。
拒絶は時に人を傷つけるが、それはローズの選択の主張。相手が王太子のためにローズを謀にかける選択をしたのなら、その選択をローズは『きっと何か事情があるのだろう』と、尊重するが、その代わり、ローズがそれを受け入れるかの選択も相手に尊重されなければならない。──そう考えるようになってからは、幾らか気持ちも楽になった。
それに変な隙を相手に与えては事を長引かせるし、キッパリ言ったほうが、結果相手の傷も浅いということもある。そういうふうに割り切ってからは、拒絶も上手にできるようになっていた。
──はず、なのだが……。
リオンに真剣な顔で『二人で話がしたい』と、請われると──ローズは思い切り動揺してしまった。
『え……あ、あの……そ、それは……』
リオンに見つめられたローズは、毅然とした態度を取るつもりが──口から出てくるのは意思の濁った言葉だけ。
冷静になろうとしても、リオンの青い瞳は真っ直ぐに自分を見ていて、それは、彼女が彼の望みを受け入れることを熱望しているようであった。そんな彼の瞳を見ているだけで──顔がとてつもなく熱くなって。ローズはうろたえた挙句、つい──助けを求めるようにヴァルブルガを見てしまう。……と、その瞬間のこと。リオンがとても苦しげに顔を歪めていた。
『⁉︎』
その表情にハッとしたときには、彼はすでにローズの前に片方の膝を突いていた。
下から縋り付くような哀願の眼差しを向けられたローズは、天地がひっくり返るほどにびっくりしたのである。
──騎士であるリオンが、国王でなく、自分に跪いている……。
片膝を王宮の床につけ、恭しく利き手を胸に当て、首を垂れて。その横顔の……なんと麗しいことだろうか。
『ぅ……』
たじろぐローズの瞳には、いつもは見えない彼のつむじが見えた。綺麗な形の頭のてっぺんにある、可愛らしい金色のうずまきに……ローズが見事に心臓を射抜かれる。
『ひっ!(つむじかわいい!) あ、あわわわわ……リ、リオンやめて! (カッコ良すぎて見てられない!)』
『ローズ様……不躾は承知の上で申します。お願いです、私の話を──』
『っわ──わかったから! わかったからその(子犬のような)顔をやめてちょうだい! (可愛かわいそうで)見ていられないわ!』
『……申し訳ありません、お見苦しいものを……』
『あわわわわ……⁉︎』
言った瞬間、リオンがまたしゅんとして。その寂しげな顔にローズがまたうろたえて。リオンがまた懇願するような視線をあげると、その目を見たローズが真っ赤になって、気が遠くなったような顔をする──……。
そんな二人のやりとりを。傍で控えて見ていたヴァルブルガが、つぶやいた。
『……なにこれ……もしかしてエンドレス……?』
おもしろ、と、思ったのは、どうやら彼女だけではない。周囲で見守っていた騎士兵士、使用人たちも皆、彼女同様生温かい表情でローズたちを見ていた。
するとそんな周りの注目にやっと気が付き、ローズが慌ててリオンを立たせて……。
──と、そのような顛末で。
リオンの話を聞くと言ってしまったローズは、現在、彼と自分の侍女とを引き連れて、こうして王宮の廊下を歩いているというわけだった。
ローズは、げっそりした顔で廊下を進む。──なんてことない、ときめき疲れである。
(…………と、ときめくって、案外つらいのね……)
もっと心がふわふわしたり、幸せな気持ちになったりするようなものを想像していたが……実際は、心臓が飛び跳ねたり、ぎゅっと掴まれたように痛んだり。かと思えばリオンがちょっと眉尻を下げて表情を曇らせただけで、凍りつくように胸が軋んだり。
こんなに慌ただしく感情が起伏するものなのだと初めて知ったローズは、とにかくひたすらに気力を削られた。
しかし、それは現在進行中の症状であって、ローズはまだ危機(?)を脱してはいない。
何せ、今彼女の後ろにはリオンがいる。まだ、メインイベント“二人での会話”にたどり着けてもいないのだ。それを思ったローズは、全身を揺さぶるほどの動悸に苦しんだ。
彼の要求を受け入れただけでこの体たらく。本当に二人きりでなんか話をしたら、その内容いかんによっては……ローズは自分が塵と化す気がした……。
(……、……、……、……ちょっと一旦トイレとか言って休憩なんていただけたりしないのかしら……)
げっそりそんなことを思ってから、しかし心の中で打ち消す。
(いえ駄目だわ……リオンの前でトイレとか……今の私には言えっこない……! ……やっぱり……『ごめんなさいまた今度ね』とか言ってうまくうやむやにすればよかったのでは……? で、でもあんな人前で、大袈裟に騒いでしまったあとで私がそんな逃げるような真似をしたら……リオンが私のせいでみんなの笑い物になったら? う……そんなの耐えられない……)
ただでさえリオンは騎士団の中では孤立している。
それを思うと、ローズとしては、せめて彼が職務で王女に話しかけたのだという体を装って、『あ、ああ、王太子殿下の件かしら?』と、了承する他、手がなかったのである。──たとえ……周りの者にそれがバレバレの誤魔化しで、皆になんとなく色々察せられていたとしても。
(あああ……え? あら? でも、そういえば私……いったいどこでリオンと話せばいいの? 私室……は、駄目だわ。周りから変な誤解を受けてはいけないし……庭園……? もしくは廊下の隅、とか……???)
つい先導するように一番前に立ってしまったが……この混乱状態では、行く当てなど思い浮かばなかった。ローズは、まるで突然発生してしまった初デートの行先に困る恋愛初心者が如く、彼とどこで話すのがふさわしいのかを迷い、困り……つい、あてどなく王宮内を彷徨った。
こうして──奇妙な三人組のおかしな王宮徘徊がはじまった。
「⁉︎ ⁉︎ ⁉︎」
時間が経てば経つほど、歩き回れば歩き回るほどにローズは混乱し、彼女が真っ赤になったり青くなったりしながらズンズン進む後ろを、うっすら口元に微笑みを張り付かせた男装の侍女と、冷淡な顔でその侍女を警戒しているふうの騎士がついて歩く。
見かけた者たちの証言によれば……一番前を歩く王女の顔はとてもおろおろしていたらしい。ただ、後ろの二人が不気味やら、怖いやらで。皆、王女に声を掛けるのを躊躇した。
おかげでローズは混乱したまま、二人を連れ回すことになる。
騎士と侍女は共に忠義で我慢強い性格であったため、どちらもそれを苦に感じなかったし、そして同時に彼らは互いに警戒し合っていたため、二人ともうっかり王女を止めなかった。
ゆえに、王女は迷走した。
(ど、どうしたらいいの⁉︎ ど──どこに行ったらいいの⁉︎)
リオンが背後にいると思ったら、ひたすら焦って延々歩いてしまうローズ。
かわいそうに……散々歩き回ってなんとかここはと思える庭園の隅に辿り着いた時、彼女はもう息も絶え絶え。頭の中は真っ白け、だった……。
お読みいただきありがとうございます。
ローズがひたすらオロオロ回( ´ ▽ ` ;)
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ブレアとエリノアが可愛くて、書き手溺愛の女豹夫人も貫禄たっぷりに描いて頂き、とっても素敵です♪
こちらもぜひよろしくお願いいたします!(^ ^)