74 青年の苦悩 ④
静かな室内で、誰かの喉がごくりと鳴った。
リオンの話を聞いて、彼のまわりに座った男たちは、互いに間合いを測っているような顔をしている。どうやら皆、まず誰が最初に切り出すのかと様子を伺っているらしかった。
と、沈黙に耐えかねたのか、一番年長のグレーの髪と豊かな髭が特徴的な騎士がうめくように漏らす。
「……は……初恋、か……」
その言葉には、なんだか軽い調子で『当たって砕けてこい!』的なアドバイスなどはけしてしてはいけないような響きが潜む。
皆、自分の在りし日の初々しい恋を思い出し、甘酸っぱい気持ちに陥っていた。
年長の騎士が、ど真剣な顔で言った。
「リオン……それは、暴走と失敗だ……」
「突っ走りと、恥、ですね……」
「冷静さを失うお前の気持ち……わからんでもない……」
「ぇ……あの……?」
重苦しい顔の同僚に、肩をポンと労るように叩かれて。
人生の先輩方の、何やら苦悩が滲む沈痛の面持ちに、リオンが呆気に取られている。
どうやら……皆、初恋には色々と痛い思い出があるらしい……。
三名のため息が重い。
「まあ……とはいえだ……」
顔を上げた年長の騎士が言う。
「そういう恥もかなぐり捨てられるのが恋愛だと心得ろ。周りの目も気にせず愛を熱烈に語ったりしちまって、後から思い出すと、自分狂ってたな……なんて死ぬほど恥ずかしくなりもするが……」
「それも醍醐味っすよね……黒歴史ですけど」
「確かに……。いいじゃねーかリオン、お前も突っ走ってこいよ。お前、それだけ男前なんだから、どこの令嬢でも好きと言われて悪い気はしねぇだろ」
そう励まされ(?)、リオンは余計に困惑した表情。
なんだろうか……「お前も道連れだ」的な空気も感じ、微妙な気持ちでもあったのだが。
一番は、遠かったはずの同僚たちが、思った以上に自分の話に同調してくれたことがとても意外だった。
「し、しかしですね……私は、ロー……あ、いえ、その……お相手のお姿を見るだけで頭が真っ白になってしまうのです……」
「あ? なんだ、好きすぎるとかそういうやつか?」
リオンが恐る恐る告げると、それを聞いた同僚は渋面で応じる。
その指摘が恥ずかしくて、リオンは身を斜めにしながらそうではないと言った。髪の根本までの真っ赤になった額には、もはや玉のような汗が滲んでいる。
「い、いえ、そうではなく……いや! 好きすぎるのは好きすぎていますし、今も本当はお顔を見に走りたいくらいですが! どうにもそうはできないと言いますか……!」
恥ずかしそうにごねごねと続ける青年を、同僚たちは意外な思いで見守っていた。
彼らから見たリオンは、いつでも冷たく厳しい顔をした男である。そのくせ仕事はできるもので、面白くない気持ちも多少はあった。
そんな同僚たちの戸惑ったような視線にも緊張しながら、リオンは思い切って打ち明けた。
「その、実は俺は……極度のあがり症でして…………」
途端、それを聞いた同僚たちがキョトンと顔を見合わせた。
「はぁ?」
「…………あがり症……?」
「お前がか……?」
不審そうな反応に、リオンはかろうじて頷いたものの、彼らの次の反応が怖くてまた視線を下げてしまった。
目の前のテーブルに、額からぽたりと汗が一雫落ちていった。
(い──言ってしまった…………)
自分のあがり症のことを、彼がギルベルト以外に告白したのは初めてのことだった。
俯いた向こうの三名は、すっかり黙り込んでしまって。漂う空気は、怪訝に濁っている。
リオンは咄嗟に後悔した。
(ぅ……ローズ様のことでアドバイスが欲しいあまり、同僚との適切な距離感を間違えたか……やはり……親しくもない俺が急にこんなことを尋ねるのは非常識か……)
そもそも、この状況はこれまで自分のあがり症を克服してこなかった自分のせいである。
人付き合いは苦手だとか言ってないで、もっと積極的に同僚たちともコミュニケーションを取っておけば、彼らの反応もまた違っただろう。
リオンは情けなくなって。それに、と、心の中にローズの顔を思い浮かべる。
(ローズ様にも、もっと……)
そう切なくなった、その時だった。
「……それはあれだな……」
「……え?」
顔を上げると、腕組みした年長の騎士がリオンを見ている。
「これがそのあがり症を克服できるいい機会なんじゃねーか? 良くも悪くも突っ走れるのが恋愛だ」
渋く断言する騎士に、傍らの騎士も神妙に頷く。
「確かに。お前がそれだけその女性のことが好きなんだったら、あがり症もかなぐり捨てられるんじゃないか?」
「……ですね。だってお前──職務以外で俺たちにお前のほうから話しかけてきたの初めてだぞ?」
指摘されて、リオンは瞳を瞬いた。
そういえば……そうである。
突破口を求めるあまり必死だったせいだが、これまでは、孤立しがちな彼は、師であるギルベルトにすら職務以外では自分から話しかけることは稀。
とにかく雑談という類のものが苦手で、話の切り出し方となると、さらに分からなかった。
つまりと年長の騎士。
「お前はあがり症で、想い人にも、俺たち同僚にも話しかけられなかった。だが、今お前は、想い人との恋をどうにかしたくて、あがり症を突破し、俺たちに話しかけた。……そういうことだろう?」
違うか? と言われ。リオンはぽかんと同僚たちを見つめる。なんだか同僚たちの顔が……とても頼もしく見えた。
「……確かに……そう、ですね……」
これまでのリオンは、困った時に同僚に助けを求めようなんてことは思いもしなかった。
なんだか非常に目から鱗が落ちたような気持ちだった。
戸惑っていると、同僚たちはそのまま話を進める。
「あがり症ねぇ……でもお前、職務中にそんなそぶり見せたことあったか?」
「え……? あ……職務は、職務なので……」
問いかけにおずおずと答えると、同僚たちは「なんだそりゃ」という顔。
だが、彼らが特に迷惑そうではないことに、リオンは気がついた。それどころか、どこか楽しげである。
「なあ、じゃあいっそ任務だと思って会いに行けばいいんじゃねえか?」
「えー……それは流石に色気がないでしょう……」
「仕方ねえじゃねえか! 逢瀬だなんて思って行ったら自爆しそうだって相談だろこれ⁉︎」
なぁ? と、同意を求められ、リオンは思わず押されるようにうんうんと頷いてしまう。
同僚たちは、そんなリオンを置いて、やいやいと話を先に進めている。
当のリオンはといえば。
もう長い間一人で悩んできたことを、こうもあっさりと同僚たちに受け止められて。なんだかとても盛大に肩透かしを喰らったような気分だった。
ただそれも。彼が思い切って彼らに話しかけたことが大きかった。
同僚たちがすぐに彼の話を受け入れたのは、リオンの必死な顔を──真っ赤で、苦しげな、青年の真剣さを目の当たりにしたせいだった。
彼らにとって、これまでリオンは単に融通のきかない生真面目な男であったが……。
こうして恋愛に過剰に悩み、壁に激突したり、額を割ったり。
かと思えば、ストレートに初恋をぶっちゃけて助言を求めてくるその必死な姿は、あまりにも──身につまされる。
リオンはまったくそんなつもりはなかったが。誰しも恋愛ごとで一度くらいは失敗を犯しているものだ。
いくら彼らにとって、これまでのリオンのいけ好かなくとも。この必死な有様を見てしまっては、彼が本人の訴え通り、非常に不器用な人間なのだと認めざるを得ない。
そうだったのかと思うと、男たちとしても、どうにも同情心が湧いた。
そうして男たちはああだこうだと案を出しあっていたが。
不意に年長の騎士が立ち上がり、リオンに気合を入れるように、その背をバシッと叩く。
「!」
「とにかくまずは場数だ! お相手を見ても頭が真っ白になるなら、慣れるまでとことん会いに行け!」
「と、とことん……ですか……?」
体育会系なノリのアドバイスに、リオンが不安そうな目をする。
「しかし……気持ちを抑えられず、何か不埒な行動をしてしまったら……」
お顔を見てしまうと、何かしらの感情が爆発しそうで……と呻く青年に、別の同僚たちはうんうんと訳知り顔でうなずきながら、リオンの肩をさする。
「そうかそうか、じゃあまずは遠目からやってみようか。……失敗しても大丈夫だぞリオン、初恋なんてみんなそんなもんだ」
「そうそう、あがって当然と思って行け。そう思えば少しは気も楽だろ。あとは一生懸命やれ、その姿が相手の心を打つってもんだ……」
「……そう、なの、ですか……?」
生温かい表情で同僚たちに諭されたリオンが、戸惑い気味にそう問い返すと。
同僚たちは口の端を持ち上げて笑い、同時にグッと拳を握り親指を立て見せる。
──グッドラック。
──行ってこいリオン。
──俺たちが骨は拾ってやるぜ。
なんだかそんな声が聞こえるようであった……。
謎の連帯感。
しかし本来素直なリオンは乗せられた。
「……わ、わかりました! なるほど……! 皆さん、ありがとうございます!」
青年はそう言って椅子を立つと、同僚たちに、大きな動きで頭を下げる。
そしてリオンは、来た時とは打って変わって晴れやかな表情で、駆けるようにして詰所を飛び出ていった。
その後ろ姿を見て──年長の騎士が一言。
「……、……、……あいつ、あんなにかわいい奴だったか……」
やっとローズに会いに行けそうです!( ´ ▽ ` )




