7 波乱を招く罠
ヴァルブルガは思いがけないローズの取り乱し方に驚いたものの、ここは王宮の中。ひとまず主を落ち着かせなければならなかった。
「ローズ様、落ち着いてください。ね? リオンさんはいつも通りですよ? ハニートラップを警戒するあまり見間違えられたのでは?」
小さな声でなだめると、ローズからは縋るような視線が返ってくる。泣きべそかきかけの王女の目を見て、ヴァルブルガは、これはまずい傾向だなぁと思いつつ、王女を安心させるようにニッコリと人好きのする笑顔を浮かべた。
「大丈夫、ローズ様ちょっと深呼吸してみましょうか。そしてもう一度騎士リオンをご覧ください。……ほら、いつもどーりの塩っけの強いイケメン顔で立っておられますよ? ぜんぜん悲しそうな顔なんてされていません。あれはきっと、職務に一生懸命になっておられるお顔です。ね?」
──まあ、その一生懸命になっている内容が警護なのか、それとも王太子から受けたローズに関する不埒な命令なのかは分からないが……。それを思うと、彼女も少し騎士リオンに対して気持ちがピリッとする。
──が、柔和な顔のヴァルブルガは、それはおくびにも出さない。
ローズを安心させるように微笑むと、ローズもそのほがらかさに後押しされて恐る恐るリオンへ視線を送る。
「……ほ、本当……?」
確かに……階段上に他の騎士や警備兵と共に立つリオンは、いつも通りの毅然とした姿で立っていた。ローズは困惑した。さっきは確かに、リオンが悲しそうな顔をしているように見えたのだ。──が、今、彼の表情は、真面目そのもの。
(あ、あら? 気のせい……だった……?)
思い詰めるがあまり、幻でも見てしまったのだろうか。
釈然としなかったが、ともかくローズはここを突破しなければならない。
この階段を登り、廊下を少し進んだ先に、彼女が目的とする国王たちのいる部屋があって、ローズはそこに顔を出さなければならないのだ。
そのためにはどうしても、リオンやその同僚たちの前を通る必要があった。ローズは緊張した面持ちで、ギュッと手のひらを握りしめた。
「そ、そうね……そう言われると見間違えたのかも……そうよ、あの冷静沈着なリオンが私の挙動がおかしいくらいで悲しんだりするわけないわよね⁉︎」
きっと緊張のあまり、自分の目には変なフィルターでもかかってしまっていたに違いない。……そう、自分に言い聞かせ。ローズは深呼吸を一つ。階段を登り始める。
だが、それでもどうしてもリオンのことは意識せずにはいられないらしい。ローズの細い肩はわかりやすくビクビクしていて……後ろを歩くヴァルブルガはとても気の毒に思った。
どうやら──とヴァルブルガ。騎士リオンの前を通り過ぎるだけでこの騒ぎとは。つまり王女は、本当に彼をとても特別に思っていたらしい。きっと、それは憧れをとっくに通り越してしまっていたのだろう。男装の侍女はぽそりとつぶやく。
「……ちょっと妬けちゃいますねぇ」
しかしそんな侍女の言葉を拾い聞けるほど、今のローズには余裕がない。
まずは勇気を振り絞るようにして、階段を一歩登ろうとする、も──どうにもこうにも足がプルプル震えておぼつかない。今にも緊張顔のまま、スカートの裾を踏み、つまずいてビタンといってしまいそうだ……。
それは、可哀想だとヴァルブルガの顔が曇る。
ローズは、普段から王太子の婚約者として、人並み以上に所作や身振りに気を使い、修練に励んでいる。それなのに、王太子の策略のせいで、王女が足を引っ張られて。王宮内の者たちだとはいえ、国民らの前で彼女が転んだりしては哀れではないか。
そこでヴァルブルガは、階段を上がるのに苦労しているローズの斜め前に進み出た。
……本来なら、あまり侍女が主人の前に出るものではないが……。もしかしたら後で厳しいキャスリンには叱られるかもしれないが。それでも彼女はローズの少し先へ出て、微笑んで主に手のひらを差し出した。
「え……ヴァル?」
「ローズ様、お手をどうぞ」
恭しく首を垂れて、手のひらを上に向けて差し出す姿はとても様になっていた。ローズがキョトンとして立ち止る、と。その、どうしたのと問いかけてくる視線に、男装の侍女は頼もしい顔で請け負う。
「私が上までお連れします。緊張しておしまいになるのなら、騎士リオンを見ず、私の顔でも見ていてください」
「え?」
と、ここでヴァルブルガの顔は、少し悪戯っぽい表情となる。
「ご存知ないかもしれませんが──私、彼に負けないくらいイケメンなんです」
「あら……」
おどけた顔で飄々と言う侍女に、ローズが一瞬瞳を瞬いて。そして──ふっとおかしそうに噴き出した。
「ヴァルったら……」
「おや本当ですよ。王宮のお姉様方にも、私はとても評判がいいんですから」
澄ました顔で平然と言ってのける彼女が愉快だった。ローズはついついくすくす笑いながら頷く。
「そうね、ヴァルブルガは、誰にも負けないくらい素敵よ」
太鼓判を推すと、彼女は「光栄です」と、ニッコリ優雅にお辞儀する。
「しかも私は大恩あるローズ様をとっても愛しております。殿方なんて目じゃありません」
誇らしげに言われると、ローズはなんだかとてもおかしくて。気が和らいだローズは、微笑んで、彼女に向かって手を差し出す。
「……お願いできる?」
すると気持ちの良い笑顔が返ってきた。
「はい、承知しましたマイレディ」
ヴァルブルガの顔はいつも通りほがらかで爽やかだった。信頼している侍女に手を支えられると、ローズの顔もいっそう綻んだ。侍女のおかげで彼女もようやく動揺が収まり、先へ進む勇気が出たらしい。
ローズにとって、陽気なヴァルブルガは本当にありがたい存在。姉のようなキャスリンとはまた違った意味で己を支えてくれる頼もしい人。
彼女との出会いは波乱だったし、そんなに付き合いも長くはないが──今では本当に、彼女を傍に置く決断をしてよかった思える。
「──では、参りましょうか?」
「ええ。──ありがとうヴァル」
紳士然とした男装の侍女にエスコートされ、ローズは階段を登り始めた。
それでもさすがにリオンの前を通り過ぎるときは緊張が戻ったようだが──何か言われるのではとハラハラドキドキしたものの、それでも今度はなんとか彼にきちんと会釈することができた。
それに対し、リオンは特に何も言うことはなく、ただ、いつもより口が重い感じで僅かな会釈をくれただけだった。
ずっと、彼に何か──これまで向かってきた男たちのように──歯の浮くような口説き文句でも囁かれたらどうしようと怖かった。それをされてしまえば、ローズは将来の王太子妃として、彼にキッパリ拒絶の意を伝えなければならない。
それは、ローズに彼に好感があるだけに、とても気が重いのだ。
けれどもこうしてなんとかリオンの前を通過できて、ローズはとてもホッとしていた。それもこれも、隣で手を取ってくれているヴァルブルガのおかげと、彼女はその黒髪の侍女にニッコリ安堵の笑顔を見せる。
(──大丈夫……ヴァルブルガやキャスリンたちもいるもの。──うん、そうよ、きっと大丈夫)
支えられてばかりだが、彼女たちの主は自分で、本来なら自分が守っていかねばならないのだ。
ローズは心の中で、頑張らねばと気合を入れ直す。
謀を企まれているのはつらいが、彼女たちのためにも強くあらねばならなかった。
──しかし、この時ローズは知らなかった。
この仲睦まじい主従関係のせいで、現在進行形で自分たちには大きな波乱が降り掛かろうとしているのだとは。
「…………」
立ち去っていく二人の背中を、騎士リオンがじっと険しい顔で見ている。その目は鋭く、まるで睨んでいるようでもあった。
そしてローズが国王らに挨拶を終えて再びそこに戻ってきた時、それは起こったのである。
お読みいただきありがとうございます。
自分で言っちゃうところがヴァルブルガはかなり飄々とお調子者ですねw
そして…リオン、早くデレてくれ笑
そのうち、彼サイドも書きたいです♪
続きはよ〜!という方は、ぜひぜひブクマ、評価等で書き手にエールを送ってくださればと思います!
よろしくお願いいたします!(* ˊᵕˋㅅ)