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68 逃亡の騎士

 


 冷静に考えれば。

 ローズにも、あの夜の出来事は、記憶のいくつかが夢でなかったのだと拾い出せたかもしれない。

 あるいは、彼女がリオンと事実の答え合わせをできれば。リオンがひどいあがり症でなければ。

 二人にはいくらか違ったロマンチックな展開があったかもしれない。


 けれども、その日以降。ローズはある事情から多忙を極めることになった。

 あの夜の次の朝の朝食後。ローズは慌ただしく国王に呼び出された。

 そこで知らされたのは、兄の妃の妊娠。

 つまり、王太子セオドアの姉王女エマが子を宿したとの報せであった。


 ローズはとてもびっくりして、そしてとてもとても喜んだが──そんな彼女の前で、大きな身体の国王は、非常にうろたえている。

 無理もない。国王は王妃を亡くして以降とても心配性。

 しかも王女エマは国王のたった一人の娘で、今回が初産とあっては国王の動揺も仕方がなかった。

 そしてエマ王女は、出産育児で本格的に身動きできなくなる前に、一度里帰りしたいと手紙をよこしたらしい。

 ローズはその出迎えの準備の監督を任された。

 その場にはローズや、セオドア以外の国王の他の王子たちも顔を揃えていたが、同性のほうが気がつくことも多いだろうということで、ローズもそれを前のめりの二つ返事で請け負った。


 なにせ大切な兄の妃とその子供のことである。

 その子供は、祖国の未来の国王ともなるかもしれない存在で、ローズの甥っ子か姪っ子なのである。

 ローズにとって、これは他の適任者を押し除けででもやりたい大仕事。

 王女エマが移動可能になる安定期に入るまではまだ一月はあるらしいが、ローズは大いに張り切った。

 そうして、あの夜のことを考える余裕がなくなっていたのである。


「……エマ様のお出迎えの手配、お部屋の支度──ああ、殿下がつまずいてしまいそうなものは、王宮中から排除させて! お世話に上がる者の身辺調査も念入りに。もし殿下に何かあったら兄に申し訳なさすぎるもの!」

「ローズ様ぁ、贈り物の提案書がまいりましたよ〜♪」

「⁉︎ 見せて! ……ああどうしよう! 贈り物がきちんと出来上がらなかったら! 縫い子が間違ってまち針を残してしまったら⁉︎ この世に生まれた甥っ子か姪っ子を初めて傷つけるのが私だったら……どうしたらいい⁉︎」


 悲壮な顔で思い詰めた様子のローズに、お付きの娘はケラケラ笑う。


「ローズ様ったらぁ、王宮勤めの縫い子はそんなヘマしませんよぉ、ちゃんと私らも点検しますから大丈夫ですってぇ」

「そ、そうよね⁉︎」

「そうですよぉ、ああ、新しいプリンスかプリンセスの誕生が待ちどぉしいですねぇ♪」

「そうね⁉︎ そうよね⁉︎ そうだわ……王宮で使われている水の水質調査をしましょう。もし妊婦と胎児に悪いものが含まれていたら大変だわ!」

「へえ〜、そんなことまで調べられるんですねぇ!」


 すごいな──と。

 その極端な二人の会話を。部屋の戸口で黙って聞いていた者たちは、揃って複雑そうな顔をした。


「…………」

「……ふふ」


 ここはローズの執務室。戸口にやってきた侍女はキャスリンとヴァルブルガ。

 二人が見ている室内には、幾らかの官や使用人、そしてローズと侍女のアニスの姿。

 はあはあ言いながら思い詰めているローズに対し、アニスのほうはなんとものんき。二人の会話は噛み合っているのか、いないのか。非常に微妙なところである。

 と、官に水質調査の手配を申しつけたローズが勢いよく椅子を立った。


「さ、アニス! では今からエントランスから謁見の間、それからエマ様のお部屋までを実際に歩いてみましょう! もしかしたらまだ気がついていない危険箇所があるかもしれないわ!」


 勇ましい顔で部屋を出ていくローズに、アニスは嬉しそうについていく。


「はーい了解ですー♪ お城の中のお散歩って結構楽しいですよねぇ、迷路みたいで♪」

「ええ、お願いね。あなたは私と性格が真逆だから、きっと着眼点も違うと思うの。その方が色んな危険が発見できるわ、きっと! じゃあ行ってくるわね二人とも!」


 ローズは、スキップするアニスを引き連れてキャスリンたちの前を通り過ぎて行った。

 ヴァルブルガが心配そうにキャスリンに問う。


「……お付きはアニスさんで大丈夫でしょうか?」

「…………まあ……よしとしましょう。報せが来て以降姫様はずっとああだし……のんびり屋のアニスがそばにいると多少気が落ち着くみたいだから……」


 神経質な自分よりも今は適任だろうと、難しい顔でため息をつく侍女に。ヴァルブルガは(自覚はおありだったんだなぁ)と、密かに思った。


 まあそれはともかくとキャスリン。


「姫様がおろおろしておられる理由は……別にもあるようだしねぇ……」

「そう、ですね……」


 さらにため息を重ねるキャスリンに、ヴァルブルガは困ったように笑った。


 ──さて。そうして宣言通り、王宮のエントランスを目指すローズ。

 その視線は、廊下の左右上下へと忙しなく、そして鋭く動いている。

 もちろん、これは廊下に危険な箇所がないかの点検。

 当然彼女は使用人に命じればいい立場だが、しっかり自分の目で見ておかなければ気が済まないのである。


「天井の装飾は留め金に緩みがないか点検させた……、床の絨毯はぴっちりたるみもない……、床の破損箇所は修復させたわ……あとは、床はきれいに磨いて、でもツルツルすぎると危ないかしら……」


 ローズは難しい顔で、いずれこの廊下を歩くであろう身重の王女エマに思いを馳せ、大理石の床の輝きを睨んだ、……その時のことだった。

 下を見て歩いていたローズが廊下の角を曲がった時、そのうつむいた頭がドンッと何かに当たる。


「あ! ご、ごめんなさい私──」


 ハッとして顔を上げた時、その目に映ったのは、金の髪の後頭部。そして、肩越しに振り返り、こちらを見て見開かれた瑠璃色の瞳だった。

 ローズが息を呑む。


「──あ──リオ──……」


 と、彼女が呼ぼうとした時にはもう遅かった。

 ローズの顔を見て驚いたような顔をした騎士は、サッと顔を真っ赤にする。

 そしてまるでローズの視線を避けるように慌てて頭を下げて、そしてあっという間にローズの前から立ち去っていった。

 その素早さは、まるで風のようだった。

 廊下の先に消えていった騎士の背中に、ローズが呆然としている。

 片手が彼を呼び止めようと持ち上がっていたが──なんだかそれがとても物悲しかった。


 すると、彼女の背後で廊下を点検していたアニスが、ローズ越しに伸び上がり、リオンが消えて行った方向を見て言う。


「あれ? 今のは騎士リオンですか? もしや……また逃げていかれたんですか? 最近あの方どうなさったんでしょうか? ローズ様を見るなりいっつも逃げ出したりして。おかしな方ですねぇ」

「……、……、……、……ぅ……」


 のんきに首を傾げるアニスの言葉を聞きながら。ローズは顔をしわくちゃにして泣きそうになる。

 ──そうなのである。

 あの夢の夜以降、リオンはずっとこんな調子なのである。

 その理由がわからないローズは、今、過去一困惑している。




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