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67 裾の汚れと靴

 

「ええ! また! 『リオンリオン』と、繰り返し、繰り返しおっしゃっておいででした」

「ぐ……⁉︎」


 いささか芝居めいた報告には大いに含みがあった。

 それを聞いたローズは、寝台のうえに身を折って沈む。

 ここ最近、ローズはよく寝言でリオンを呼んでいるらしい。

 それがあまりにも恥ずかしくて……いや、リオンを夢に見るのはとても幸せだ。しかし、寝言はいけない。

 何せ夢は理性で制御できない。

 夢の内容いかんによっては、何か、思い余って煩悩のままに物凄いことを叫んでしまいそうで怖かった。

 布団の上でプルプルしている娘に、侍女はため息を吐く。


「姫様は昔からそうですよねぇ、目が覚めている時は慎み深く思慮深くを貫いておいでなせいか……寝言では本音がよく漏れる漏れる……」

「………………」


 ローズは真っ赤な顔をよろよろと上げ、たった今羞恥の沼から這い上がってきたばかりというげっそりした表情で、キャスリンに尋ねた。昨晩はなんと言っていたのかと。

 そんな主人を見るキャスリンの瞳は生温かい薄笑い。


「昨晩はけっさくでした。なんと、墓石に、騎士リオンの顔を彫れと」


 その言葉に、ローズがギョッとする。


「ぼ、墓石⁉︎ だ、だめよそんなの! そんなことしたらリオンに迷惑じゃない!」


 勝手に墓石に人の顔を彫るなんて、ストーカーの極みもいいところ。

 ローズは夢の中の自分に呆れ……キャスリンはそんなローズに呆れ顔である。


「私……そんなに思い詰めているの……?」

「そのようですね。──で、」


 呆れのあまりか、キャスリンはさっさと話題を進めようとする。


「姫様はそのあともなにやら大いに苦悩しておいでで。呻いたり、急に笑い出したり。ああ、大笑いとかではなく、『うふふ……』と」

「…………不気味ね……」


 きっとお花畑でリオンと茶を飲んでいた頃合いのことなのだろう。


「不吉なことをおっしゃっていらっしゃるし、お目覚めいただいたほうがいいかなとも思ったんですが。でも、あんまりにもリオンリオンと繰り返しておいでなので、起こしてしまっては、あとから姫様に恨まれるかしら──なんてことを迷っているうちに、姫様はベッドから落ちてしまって」

「……」


 つまりどうやら夢の内容も忙しかったが、寝相のほうもずいぶんアグレッシブだったらしい。ローズは納得した。


(……なるほど、つまり……この怪我はそういうことね……)


 ローズは額の傷にそっと触れる。

 リオンの夢を見て、叫び、転がり落ちる時に柱か何かにでもぶつけたのだろう。

 そう思っていると、キャスリンがローズの額を覗き見る。


「それでそのお怪我なのですが──」


 その視線にハッとしたローズは、侍女の視線が呆れているように感じられて、慌てて手を振った。


「ああええと、ぶつけたのよね⁉︎ ごめんなさい! でも昨日は夢が千客万来で……! い、忙しかったの! 王太子殿下やクラリス嬢まで出てきたし──あ、ち、違う!」


 途端、キャスリンの顔がカッと鬼顔になったのを見て、ローズは慌てて寝台から飛び降りてそこに揃えてあった室内用の履物を履く。


「……あの野郎が夢でも姫様を困らせたのですか……⁉︎」

「キャスリン、夢の中はノーカウントよ! 相手のせいじゃないんだから! えっと、そ、それより身支度をしましょう! 昨日の夜はあんまり食欲がなくて食べられなかったから、お、お腹が空いたわ! ね! キャスリンご飯にしましょう!」


 寝衣を脱ぎつつ、慌てて言うと。ローズの空腹や疲れに敏感なキャスリンは、渋々という顔で戸棚のほうへローズの服を撮りに行った。


(あ、危ないところだった……)


 いかに王太子が普段の行いが悪いとはいえ、人の夢の中の所業でまで責任を負わせられない。

 しかし、これはキャスリンに言わせると、それだけ王太子が日頃からローズを困らせ、悩ませているのだということになってしまう。

 言動には気をつけなければと、ローズは寝衣から己の腕を抜いた。


(……あら?)


 と、そんなローズの目に、寝衣の裾が留まる。

 白く長い裾の端が汚れていた。持ち上げて見ると、どうやら土汚れのようである。


「? え……なぜ……?」


 昨晩着替えた時には、寝衣はまっさらで綺麗だった。それなのに。

 怪訝に思ったが、と、そこへ今度はヴァルブルガがやってきた。


「おはようございますローズ様。おや? 寝衣がどうかなさったんですか?」

「え? ええ、どうしてかしら……裾が汚れているの……」


 その汚れを見ていたローズの脳裏には、一瞬小さな引っ掛かりが生まれた。

 何か、夢のもやもやとした雲の向こうに、何か忘れていることがある気がした。


(……何? いったいいつ……)


 考え込もうとした瞬間。

 傍にあった手が、彼女の腕にあった寝衣をさらりと取り上げた。


「? ヴァルブルガ?」


 キョトンと見上げると、男装の侍女は微笑んだまま言った。


「申し訳ありません、きっと私どもの掃除不足です。お部屋のどこかが汚れていたのですね」

「え?」

「他にどこか汚れているところはございませんか?」


 問われたローズは自分の身体を見回した。

 特に、他に汚れているところはなさそうだ。

 そう返すと、ヴァルブルガはにっこりして、「そうですか」と言った。

 それからローズは彼女に急かされて鏡台のほうへ。

 鏡を覗き込むと、ちょっと芸術的なほどに頭の上で寝癖が踊っている。


「⁉︎」


 思わずギョッとして。鏡台の上に置いてあった櫛で慌てて髪と格闘し始めたローズは──。

 

 自分の背後でにこにこした侍女が、寝台傍にあった外履き用の靴をそれとなく持って部屋を出ていったことには気がつかなかった。



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