64 隊長の苦悩
渋い顔のギルベルトに、リオンは説明する。
先ほど詰所に飛び込んだときは、時間がなくて詳しい話はできなかった。
──夜間に思いがけずローズが隊舎を訪れたこと。
彼女がそのまま眠ってしまったこと。
ローズが寝衣であり、他の者に見られてはまずいと隠し通路を使用したこと。
しかし彼女を部屋に送り届けるさなかで、酒に酔ったセオドアと鉢合わせそうになったこと。
できるだけ詳しく事情を説明したが、ただどうしても、ローズが口にした寝言めいた告白のことだけは話せなかった。
いきなりだったにも関わらず、自分を無条件に信用し協力してくれた師に対しては後ろめたくもあったが……。
(……い、いや、しかし……あれは幻聴かもしれない。もしくはローズ様の言い間違い……もしくは俺の妄想かも……)
あれだけはっきり面と向かって言われておいてそれか……と呆れたいところだが。
リオンからすると、とりあえず今はそうとでも思い込んでいなければ、とてもではないが冷静さを保っていられそうにない。
その時のことを思い出すと、今も頭にカッと血が昇るようである。
しかし、目の前には渋面の上官。
これまでの自分の行動を考えても、きちんとした報告は必須。ここで取り乱すわけにはいかなかった。
必死で冷静に振る舞うリオンと、その話を無言で聞くギルベルト。
「……、……、…………」
いかめしい顔でリオンの話を聞いていた騎士の長は、不意に己の大きな手でゆっくりと顔面を覆った。
そうして肘をついた執務机の上に、頭を落としうなだれる。
広い木製の卓上には、上官の低い呻き声がこぼれ落ち、その苦しげな音を聞いたリオンは、やはり師を失望させてしまったかと、とてもとても申し訳なく思った。
──が、違った。
リオンから表情を隠し、呻き声を漏らしたギルベルトは、この時言いようもなく甘酸っぱい気持ちに襲われていた。
(ああ──ローズ様の……青春が爆発しておられる…………)
年長者ギルベルトは、リオンの話を聞いて。彼が語った以上の諸々を察した。
リオンがローズの告白の話を伏せていても、どうしてローズがそのような行動を起こしたのかを考えれば、理由は明らかである。
察してしまうと、己まで気恥ずかしくなって。リオンの手前、厳しい顔をしていたいのに、どうしてもギルベルトの顔は生温かく緩む。
(ローズ様……随分思い切ったことを……そこまででいらしたか……)
昼間やそれ以前の様子からなんとなく察してはいたが……まさかあのしっかり者がそこまで衝動的になるとは驚きである。
今日までの王女の真面目さを知っているからこそ、今晩リオンのところへ向かった彼女の気持ちを思うと、ギルベルトは──……
──正直、応援以外の何もしたくない。
「……ぐっ……」
「? 隊長?」
そう思った瞬間、込み上げてくる青いものをぐっと耐えた男を、リオンが怪訝そうに見ている。
ギルベルトは思った。
あの王女偏愛キャスリンが、リオンに対して手のひらを返すはずである。
(……ただ……どうにもローズ様の葛藤を感じるな……)
まあそれはそうかとギルベルト。
ローズにはポンコツでも婚約者がいる。
その王太子の本日の振る舞いを思い出し、ギルベルトは思わずため息をこぼした。
彼からすると、王太子セオドアも“王宮の子”である。
リオンやローズたちと同様、この王宮で育ち、騎士たるギルベルトはその成長を、ずっと見守ってきた。
セオドアの父王や亡き王妃と同様に、王太子にはしっかりしてもらいたいと心から願っている。
しかし……今晩のような周りの気遣いも無碍にするようなセオドアの振る舞いが続くと、どうしてもローズが気の毒に思えてしまうではないか。
申し訳ないが、このような時セオドアの味方をしたいとは思えないのである。
たとえ、リオンが臣従の誓いを破っていても。
(……しかし……これはお世継ぎとしてセオドア殿下は致命的だぞ……)
臣下の心を得られなければ、君主としての道は険しいものになるだろう。
ギルベルトは国の将来を案じて気が重くなる。
おそらく、このような状態であるからこそ責任感の強いローズも葛藤が深いのだろう。
彼女は間違いなく、この国の支えである。王太子が頼りなければ頼りないだけ、彼女には重圧がのしかかる。
(お気の毒に……)
ギルベルトはなんとかして差し上げたいと心の底から思った。が……。
ひとまず、今彼にできることは、こたびの一件を穏便に収めることくらい。そのためにも今目の前で非常に申し訳なさそうな顔をしている青年から、ことの詳細を聞き出しておかなければならなかった。
ギルベルトの大地の色の瞳が再びリオンに向けられる。
「……それでリオン、お前よく誰にも悟られずにローズ様を送り届けられたな? お部屋の前には衛兵もいたし、部屋の中には侍女もいただろう? いったいどうやった?」
尋ねると、リオンは素直に語り始める。
……もうあと一息でローズの部屋という時、彼の背後には王太子が迫っていた。
しかし前方には衛兵。ぐずぐずしていては、挟み撃ちにされてしまう。
そこでリオンは、咄嗟に方向転換。王太子たちが向かってきている方向へ戻り、彼らに見つかる直前でその手前の廊下へと飛び込んだ。
そちらの通路を進むと、階下へ続く階段があり、そこに現れる廊下を進むと階下からローズの部屋のほうへ回り込むことができる。
階下から大回りし、再び階段を登って、ぐるりと迂回してローズの部屋の前を目指した。
そうすると、リオンたちはローズの部屋の入り口を守る衛兵たちを挟んで王太子たちとは反対からその部屋へ向かう形になる。
「……賭けではありましたが、他に道はありませんでした。しかし、王太子殿下は酔っておられ進行速度は遅く、私は足には自信がありますから……十分間に合うと踏みました」
「……ふむ」
とはいえ、王女を抱えてである。言うほど容易くはなかっただろうと思いながら、ギルベルトはリオンの顔を見た。その額に光っていた汗はすでに乾いている。
「ローズ様のお部屋の前の警備は厄介でしたが……殿下が大声を出して近づいてくれば、衛兵は必ずそちらに駆けつけます。そして衛兵に止められた殿下は怒ってまたお騒ぎになるので、きっと詰所にいる控えの衛兵も応援に出てこざるをえないと考えました」
衛兵が出てくれば、当然扉の鍵を開ける。
「そうか、つまり殿下の騒ぎに乗じてそこからローズ様のお部屋に侵入したというわけか。しかし──それだけでは開くのは前室の扉の鍵だけ。ローズ様のお部屋に辿り着くにはもう一枚扉がある。そちらはどうした? 使用人たちの控えの間を通ったのか? だが、そこには夜勤の侍女がいただろう?」
見咎められなかったのかとギルベルトが怪訝な顔をすると。そこでリオンはいささか複雑そうな顔をした。




