62 深夜の横暴 ⑤ 溺愛の鬼女
近衛の長は言った。ごく軽い口調で。
「いいえ殿下。リオンは私と共にいました」
「……は⁉︎」
平然と告げられた言葉に、セオドアがポカンと振り返る。セオドアを見ているギルベルトは、さも当たり前のように続けた。
「先程も申しましたが……我らは殿下がたびたび深夜に王宮で酒宴を開き、使用人たちを困らせているという情報を得ましてな。ここ数日、密かに調査をしておりました。もちろん国王陛下の許可の上で、です」
父王の許可という言葉を聞いて、セオドアがたじろぐ。
セオドアとしては、父に失望されることが一番怖い。父は亡くなった王妃のために自分を守っているが、父のその情を失ってしまえば、セオドアは確実に立場が危うくなる。
明らかに焦っている王太子に、ギルベルトは淡々と説明する。
「その調査にこの者も加わっております。しかしこの者は事情により仲間と合流が遅れましてな。詰所で私が調査方針を伝達しているときに、殿下が王宮で騒いでおられるという報せが入りました」
そこでギルベルトはニッコリ笑い、堂々と、力強くのたまう。
「間違いがありません。この者と私は、ここに共に参りました」
「な、なんだと……?」
どこか高圧的に強調し、断言したギルベルトに。しかしセオドアは、それはおかしいとリオンを鋭く指さした。
「馬鹿を言うな! リオン・マクブライドの格好を見ろ! あれが騎士が任務につく格好か⁉︎ 明らかに職務中ではないではないか!」
セオドアは唾を飛ばしそうな勢いでリオンの部屋着を指摘する。が、ギルベルトは顔色も変えない。こんな状況下で男がはははと軽やかに笑うもので、セオドアが驚きたじろいでいる。事、このような駆け引きにおいては、狡猾なセオドアもまだまだ青い。片や、すでに彼ら若者の倍の人生を渡り歩いてきたギルベルトは、やや大袈裟な口調で返答する。
「ま……っことに残念ながら。ご存知の通り、近衛の中にも王族に金品を握らされ融通をきかせるような信用に足りない者がおりますからねぇ」
「っ……」
いかにもがっかりしたという表情でじっと見つめられたセオドアが、うっと怯む。その“王族”とは、明らかに彼のことである。気がつくと、周りの者たちが皆セオドアの顔を見ていた。リオンを含め、衛兵、そして彼の侍従までもが、皆どこか落胆の眼差しである。
「な、なんだ貴様ら! キルベルト! 貴様当て擦りか⁉︎」
視線に責められたセオドアは真っ赤な顔で逆上したが、近衛の長は平然と「いいえまさか」とニッコリ首を振る。
「我々はあくまでも、殿下にこそこそ護衛を外すようなことをされると、殿下の身の安全が保証できず、国の将来に関わるゆえ動いているまで。しかし、殿下も、融通を利かせた者も、しっかりしっぽを掴まれなければ、事をお認めにならないでしょう? それゆえ我々は殿下の協力者の目を誤魔化す必要がございました。ですからこの者には……」
言ってギルベルトは、沈黙しているリオンを視線で示す。
「一度普段通りに隊舎に戻ったふりをしてもらい、殿下の協力者を油断させてから任務に加わらせたのです。申しましたよね? 事情があり、仲間と合流が遅れた、と」
ギルベルトは「殿下の」を大いに強調しながら微笑んでいる。その瞳はいかにもどこかおかしいですか? と尋ねるようであり、セオドアはあからさまにその圧に押された。
「も、戻った、ふ、り……だと……?」
「お疑いなら、王宮内を調べてください。殿下の酒宴の場所を調査中の近衛が何名もおりますゆえ」
「な、なんだと……?」
セオドアは呆然とリオンを凝視した。
その騎士の顔からは先程の殺気のようなものは消え失せていて、いつもの任務中の彼の顔と同じ。
だが……彼を凝視していたセオドアはふとあることに気がついた。
リオンの額には、何故か大量の汗が滴っている。よくよく見ると、平静な騎士の胸は、小刻みに忙しく上下している。どうやら──男が乱れた呼吸を耐えているらしいと察し、セオドアは不審に思い、今度はギルベルトを見る。
この男は『リオンと共にきた』と言ったが……こちらは少しも息が乱れておらず、汗もかいていない。
普段から厳しい訓練を課されている騎士たちは、非常に体力がある。そう簡単に息を乱さないし、少し駆けてきたくらいでは汗もかかないことを、さすがのセオドアでも知っていた。
……にもかかわらず。
リオンはといえば、この暗いなか、微かな明かりに照らされて光るほどに汗を滴らせている。
「? おい、お前それは──?」
セオドアは怪訝そうにリオンのほうへ近づいていく。それを見たギルベルトが一瞬瞳に不安の色を滲ませた。
だが、リオンは。
侍従に灯りを持って来させ、自分のほうへ向かってくる王太子を決して避けようとはしなかった。
表面上は普段通り平静であるが、心の中では絶対に逃げたくないと思っていた。
今自分のほうへやってくるこの男が、先ほどローズのことを『あばずれ』などと侮辱しようとしたことを、リオンはもちろん聞き逃していない。青い瞳が、真っ向から王太子を見据える。
その険のある色に、王太子も気がついた。
「おい貴様、なんだその目は──……」
リオンの眼差しに気がついたセオドアがムッと顔をしかめ、場には険悪な空気が漂った──時。
不意に、彼らの背後から、その険悪さをも凌駕するような、不穏な気配が近づいていた……。
廊下の奥から響いてくる、殺気混じりのしのび笑い。
「……あーらあらあらあらぁ……?」
それは抑え込んだヒステリックな怒りを愉悦の下に敷いたような、歪な女の声。
──途端──その場にいた、リオンを除くすべての男たちが揃ってギクリと肩を揺らす。(※ギルベルトも)
皆が恐怖の眼差しで振り返ると、暗い廊下の先に、ぽつんと揺れるランプの灯り。まるで闇の中に漂う人魂のような怪しさで、ゆっくりと自分たちのほうへ進んでくる気配に、男たちは厄災の到来を予感した。
声は言った。
不気味に間延びした声で、笑うように。
「おかしいわねぇ──我が愛しのお姫様のお部屋の前が──……こぉんな深夜に、野太い声で賑やかなんて……相応しくないわぁ、ここには忠義な者たちの、姫様への敬愛に満ちた美しい声しか相応しくないはずなのに……? しかもなんだか酒臭いのは……気のせい?」
声は、ゆったりほほほと笑う。
「これは……いったい何事かしらぁ……?」
近づいてきた明かりに下から照らされた青白い顔は──もちろんキャスリンで……。
闇に浮かぶ侍女の額には、怒りで浮き上がった血管がヒクヒクと痙攣していた……。
その般若の形相を見て、きゃー⁉︎ と、叫んだのは──セオドアである。




