6 動揺誘う罠
「キャスリンっ!」
「ローズ様⁉︎ ど、どうされました⁉︎」
部屋に飛び込んでくるように戻ってきた王女。彼女は出迎えた侍女に気がつくと、途端へにゃりと泣き顔になって。そのまま嘆きながらキャスリンに縋り付いこうとして──……。そこでドレスの裾を踏んづけた。
絨毯の上にものすごく運動神経の悪さを感じさせる格好ですっ転んだローズに。キャスリンがとてもギョッとしている。
「ひ、姫様⁉︎」
「……」
侍女が駆け寄るも、ローズは床の上でピクリともしない。そしてそこで叫ばれたのが──先出のセリフだ。
「……っ! リオンが異次元的にかわいすぎて──つらいっっっ‼︎」
「──は……?」
キャスリンは、ローズにとにかく落ち着くように言い、彼女の肩を支えて床から引っ張り上げる。するとローズはうなだれながら立ち上がり、悲壮に弱り切った顔。しょんぼりしおれた表情に、キャスリンはハッとして王女の顔を覗き込んだ。
「姫⁉︎ またあのクソ野郎に何かされたんですか⁉︎」
「……その言い方で誰だかわかる私もどうかと思うけど……違うの、王太子様じゃなくて……リオンが……」
「あ! ハニートラップの件ですか⁉︎」
合点がいったのか、キャスリンがグッと眉間にシワを寄せる。どうやらローズがリオンに不埒な真似をされたと思ったらしい。怒りを滲ませた侍女は、すぐに誰かの名を叫んだ。
「ちょっとヴァルブルガ! ヴァルブルガ!」
すると、ローズが駆けてきたのと同じ方向から、背の高い者が小走りでやってくる。
「はいはいキャスリンさん、私ならここに。もーローズ様ったら……いきなり走って行っちゃうんだもの、びっくりしましたよ」
のんきに笑いながらやってきた侍従──いや、どうやら侍従用の制服で男装した女は、ニコニコしながら二人の元へやってくる。
色白の柔和な顔に、まつ毛の長い黒い瞳。髪も黒く、とても短い。ひょろりと高い身長と広めの肩幅とあって、一見青年のようにも見えるが、こう見えて、彼女はれっきとしたローズの侍女である。
「ちょっとヴァルブルガ早くきて!」
キャスリンは、本日の王女の供を務めた彼女を慌てて呼び寄せる。
「なんですかキャスリン様? ……あれ? ローズ様、もしかして転びました?」
やってきた侍従姿の侍女は、ローズの服の裾が少し乱れているのをめざとく見つけると、彼女の傍らに片膝を突いて跪き丁寧に乱れを正した。その優雅な仕草は、まるで淑女にかしずく騎士が如き麗しさだった。
「ローズ様、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「うん……ありがとうヴァル……」
「いえいえ、お怪我がないのなら何よりです」
しょんぼり答えるローズにヴァルブルガはにっこり答える。と、そんな甲斐甲斐しい男装の侍女に、しかしキャスリンは少し苛立った調子で言う。
「ちょっとヴァルブルガ! あなたちゃんと姫様を見張ってたの⁉︎ 騎士リオンを近づけるなっていったでしょう⁉︎」
「あー……それですか……ええと、それがですねぇ」
キャスリンが説明を求めると、ヴァルブルガは苦笑してローズをチラリと見る。と、その当人が、「違うの……」と、弱々しく答えた。
「私が、自分で行っちゃったの……リオンの傍に……だって……リオンがあんまりにもしょんぼりするから……」
「は……? しょ、んぼり……? ええと、あの……騎士リオンが……ですか……?」
王女の肩を支えるキャスリンの脳裏には、いつでも仏頂面で愛想もクソもない騎士の冷淡な顔が思い浮かぶ。あの顔に、『しょんぼり』なんて表現の似合う表情が浮かぶところなど、微塵も想像できなかった。
王女の言葉に困惑したらしい侍女の目が、傍にいるヴァルブルガを見ると、彼女はやはり苦笑している。
ヴァルブルガは困ったなぁという顔で「それがですねぇ」とその顛末を語り始めた。
あの日、リオンが王太子の命令で、ローズにハニートラップを仕掛けようとしていると知って。
彼女はその企みについては、知らぬふりをする、もし、これまでの男たちのようにリオンに言い寄られても、毅然と対処すると、決意した。
ローズの考えでは、王太子に謀られるたびに、自分のポーカーフェイスもかなり熟練度が上がっているはずだった。
だから、親しみを感じていた騎士リオンに対しても、きっと自分はうまくやれるはずだと、そう考えていた。
しかし──あれから数日後。
彼女が、実際にリオンの前に出てみると、それは面白いくらいにうまくいかなかった。
なぜなのか……これまでの、彼に対して感じていた親しみのせいなのか──ローズはどうしても、彼に出会うと過剰に身構えてしまうようになってしまった
今ではもう、顔すらまともに見れなくて。ローズはそんな自分にほとほと困り果てていた。
それならば、そもそもリオンを避ければいいのではないか? と思われるかもしれないが……。
将来の王太子妃と定められて王宮で暮らすローズは、毎日、国王や王太子への挨拶を欠かさない。──残念ながら、最近は王太子には本格的に避けられ始め、彼には門前払いされることもしばしばだが──ともかく。それはローズの大切な役目なのである。
ゆえに今朝も、ローズは彼らに挨拶をするべく、ヴァルブルガを連れて国王らの居室へご機嫌伺いに行ったわけなのだ、が……。
そうして王族の住まいに出入りすると、どうしても近衛騎士隊に所属するリオンとは顔を合わせざるを得ない。
本日も、もれなく国王たちの居室の前で、その警護をするリオンに鉢合わせてしまって……。
居室の前に来た時、階段上に見えたその姿に、ローズは階段の途中でギクリと足を止めた。同時にリオンのほうでもローズを見つけたらしく、彼の瞳と彼女はしっかり視線が合ってしまった。
いつもなら。ローズはここで彼に微笑み、会釈でも送るところなのだが──……。
「……ぅ……ぅう……」
彼に、確信に近い疑念を抱いたローズは、まずいことに、この時咄嗟に彼から視線を逸らせてしまった。
しかし、逸らした後で、すぐにしまったと後悔する。
(あ──駄目だわ……⁉︎ あ、あまりにも不自然な逸らし方だったんじゃない⁉︎ ……あ……ど、どうしよう……)
こんな態度をとってしまっては、何かあると彼に知らせてしまっているようなものではないか。おまけに動揺した彼女の顔は、どんどん赤くなっていく。これは──まずかった。これでは、見ている者たちに、“騎士リオンはローズに脈がある”“彼の色仕掛けなら、効果があるのでは”と、思われかねない。それは、王太子たちに企みを諦めさせたいローズにとってはどうしても避けたいところだった。
ローズとしては、できれば王太子たちには、『誰がハニートラップを仕掛けようと、ローズはびくともしない、無駄なのだ』とさとらせて、早々に、そして穏便に諦めて欲しい。
そのためには、やはり自分が毅然としているべきで。ローズは、リオンに自分の動揺が伝わっていませんようにと願いながら、そろりと彼を見て──。
「⁉︎」
と、その瞬間。リオンを見たローズの顔が、強烈にこわばった。
彼女の背後に従っていたヴァルブルガは、一瞬飛び跳ねるようにビクッと肩を震わせた王女に、不思議そうな顔をした。
「? ローズ様?」
男装の侍女は、キョトンとして王女を呼んだが、ローズはリオンを見たままおろおろしている。ヴァルブルガの声などちっとも聞こえているふうもない。
と、ローズが彼女に小声で助けを求める。
「ヴァ、ヴァル! ヴァル! ど、どうしよう、リオンがすごく悲しそうな顔をしているわ⁉︎」
「え──? ……そ……う、ですか???」
言われて彼女もリオンを見たが──正直なところ、ヴァルブルガには、彼の顔はいつも通りにしか見えなかった。いつも通り、厳しそうな目つきでローズを見ていて……そういえば、いつもより少し眉間のシワが深いような気もするが──悲しそうというより、怒っているような顔にしか見えない。
それなのに、一体何を目撃したのか……ローズはなんだかとても慌てている。
「わ、私やっぱり不自然だったのね……きっと変に思われたんだわ……」
どうしようと小さな声で繰り返すローズ。そのひどく心を掻き乱されている様子を見て、ヴァルブルガはとても驚いた。いつもは企みを胸に近寄ってくる男たちにも、いたって冷静な彼女らしからぬ反応であった。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァルブルガ…名前間違えそう(^ ^;)