54 昔の記憶
夢を見ていた。
周りはキラキラとふわふわとした虹色の雲に包まれている。ぬくぬくと暖かで、とても気持ちがよかった。
そしてなぜか、目の前には身体を丸めて座る子供がいて、ローズはその子供をじっと見下ろしていた。
なんだか奇妙な状況だ。
これが夢であることはなんとなく分かるのだが、どうしてこんな状況にあるのか皆目見当がつかない。だが、まあ……夢なんてそんなものかしらねと気にはならなかった。
しかし、ふとローズは気がついた。
(──見覚えのある子だわ……)
目の前でうずくまる子供は、類まれな容姿の子供だった。
紺のワンピースに白いエプロンをつけていて、その肩には金色の髪が流れ落ちている。子供特有の細い髪はまっすぐで、柔らかそうで。
こちらを見上げる瞳はぱちりと大きく、澄んだ氷のような色。その色が惚れ惚れするくらい神秘的で、相手は子供であるというのに、近寄りがたさを感じるほどだった。
ただ、本人はどこか気弱な表情。顔は色白ゆえに顔色がはっきり分かる。のぼせたように顔は真っ赤で、背筋も怯えたようにまるまっていた。
膝の上で指先は何かに耐えるように服をぎゅっとつかんでいる。それを見たローズは、なんだかとてもかわいそうになってしまった。
(あらまあこの子……ずいぶん緊張しているのね、ええと……)
うつむいた子供は今にも涙を流してしまいそうである。これは自分が王女であるせいだろうか? ローズはちょっと焦ってしまって。少しだけ逡巡したあと、ローズはその子供にそっと手を伸ばした。
(──あら?)
途端、なぜか身体の感覚が遠くなる。
意図せず動いた手が、そんなつもりはなかったのに、緊張した子供の肩にふわりと何かをかける。細い子供の背を覆った見覚えのある子供用のローブと、そこに添えられた自分の手を見てローズは驚いた。
自分の手が……とても……小さい。
『ごめんね、おどろかせた? でもどうしたの? たしかあなた……』
舌足らずな自分の声にローズは唖然とする。だが、なぜかしゃべっている自分の表面にはそれは出ていない。確かに自分の声なのに、まるで別人がしゃべっているかのようだ。ローズの意思とは関係ない言葉が次々口から出ていった。
『そのふく、キャスリンたちとおんなじ……メイドふく……』
表面のローズは自分のローブの下に見える子供の服を不思議そうに見ながら、その子供の隣に肩を並べるようにしてしゃがみこんでいた。
並ぶと子供の肩の高さはローズの肩よりも高い位置にあって、ローズがしゃがむと今度は彼女が子供を見上げる形になった。じっと見つめると、その子は恥ずかしそうにうつむくばかりで問いかけには答えない。
(──ああそうだわ、この時、この子は結局なにも事情は話してくれなかった……)
次第にわかってきた。これはローズの小さな頃の記憶である。
しかし、当時ローズはまだこの国に来たばかりで、日々目まぐるしく過ごしていた。だからこの頃のことはあまり覚えていない。でも、いつだったか、王宮の庭でこんなことがあった気がする。
でも、とローズは、記憶の目を通して隣の子供を感慨深く見つめた。
(……今ならわかるわ……この子は──リオンだったのね……)
見上げる幼さの残る子供の容姿は、とてもかわいらしくて性別を判断しにくい。でも面影はそのままである。
瞳の色が今と少し違う気もするが、それは成長過程で変わっていったのだろう。瞳の色は成長と共に変化することもある。
(…………感動だわ……)
中身のローズはじーんと胸が熱くなった。
そうか、考えてみれば、リオンも昔からこの城で見習いをしていたのである。
あの頃はとにかく新しい生活で毎日が目まぐるしく、夢中で日々を過ごしていた。だからまさか、自分が幼いリオンに会ったことがあるなんて考えもしなかった。
ローズは天に感謝した。
記憶に埋もれていたとはいえ、自分の人生の中に幼いリオンがいてくれたことが嬉しかった。
この頃、ローズはまだ彼のことをほとんど知らなくて。確か遊び相手の子供たちのなかにこんな子もいたなという程度の認識だった。でも、名前も知らないこの子が男の子であるくらいのことはちゃんと覚えていて。それが今なぜ侍女の服を着ていて、こんな庭園の奥などに隠れているのだろうと思ったのだ。
彼の肩にローブをかけたのは、なんとなく彼が恥ずかしそうだと思ったから。
彼がキャスリンたちと同じ服を着ているのを不思議だなとは思ったが、子供ゆえか別に変だとは思わなかった。
(あら? それで私はこのあと……どうしたのだったかしら……?)
あの時は幼かったからよく分からなかったが、今ならこの時のリオンの状態のおかしさがわかる。
なぜリオンはメイド服を着ていたのだったか──。
思い出そうと考えを巡らせはじめると、幸せ気分が一転した。
考えられるのは……当時子供たちを牛耳っていた王太子のいじめ。年下の幼女であるローズを相手に、彼がここまで恥ずかしそうに服を見せまいと身体を縮めているところを見る限り、リオン自身が望んで着ているわけではないだろう。
そう察した途端、幼い王女のなかでローズの顔がピンと張り詰める。
(……不覚だった……私としたことが……王太子殿下のおいたを見過ごしていたのね……)
この頃のローズは、まだ王太子とは出会ったばかりでよく彼の人となりを知らなかった。が、幼い頃から王太子は仕える者たちを物のように扱っていたという。それに自分より優れたものに対してはあたりがきつい性格だから、きっと美しい容姿で目立つリオンは、彼のいい標的になってしまっていたのだろう。
(殿下……)
ローズは強い憤りを感じた。いや、この不確かな記憶のみで今更王太子の子供の頃の悪さを糾弾するなど不可能だろうが……。甦った記憶の中のリオンはまだ年端も行かぬ少年だ。それが、望まぬ女性の服を無理矢理着せられていたとしたら、それはどんなに彼の心の苦痛となっただろう。そう考えると……どうしても身体の奥底から王太子を責める気持ちが燃え上がる炎のように湧き上がった。その怒りはローズの身体を突き上がってきて──。
(っ!)
ローズはカッと瞳を大きく見開いた。
(殿下……! 今からでもなんとかリオンにあやまらせてや──っ……、……、……あら?)
怒りのままに目を開けたはずが、どうしてだか頭がとてもぼんやりしている。
(な……に……? 暗い……)
ええと、と、ローズ。なぜだろう、周りはとても窮屈でなんだかとてもふかふかしている。
それに、この振動はなんだろう?
状況がよく──理解できなかった。
それでもなんとか胸の前に縮めていた手先を動かして、周りのふかふかしたものを掴んでみる。と──引っ張られたそれが彼女の頭上に薄い隙間をつくった。すると少しだけ視界が明るくなって。
(ぁ──見え………………え?)
途端、目にしたものに──ローズの目が点になった。
寝ぼけまなこに映るのは、金の髪の流れる横顔。
真剣で、精悍な眼差しに…………。
ローズの心は無になった。




