50 平穏と緊張
秘密裏に……とは言っても。
ここは多くの衛兵の警備する王城内なわけで。
いかにリオンが内部の人間であるとは言っても、これはなかなかに難しい任務であった。
だが急がねばならない。
ここにローズがいるということは、当然私室にいるはずの王女がいないということ。それを彼女の世話人たち──特に、あの王女を溺愛する侍女キャスリンが知ったら城内は大騒ぎになるはずだ。
きっと血相を変えて、なりふり構わず王女を探し周るに違いない。
(同じ王女を慕う者として、それは忍びない……)
──などと。純朴なリオンはキャスリンに同情しているが……。
もし現実にそんなことになり、王女が深夜に寝衣でリオンのもとにいるなんてことを彼女が知れば、あの狂愛気味の侍女は、きっと恐ろしい顔でリオンに『…………○す』なんて暴言を吐くに決まっていた。
まあそれはともかく。
ここは急ぐべしと決めたリオンであったが、しかし寝衣姿のローズを直視も直接触れることにも抵抗がある。騎士は迷った挙句、王女には布団にくるまってもらうことにした。布団と上掛けの二枚を組み合わせ、すっかり寝入ってしまった娘を頭まで丁寧に包みこむ。王女の呼吸を阻害しないよう、できるだけ苦しくないよう最大限に配慮して抱き上げた。
「……っ」
途端腕にその重みを感じ、彼女の体温で温まった布団の温度を感じ……リオンは痛感した。
……今まで、こんなにも複雑な思いをして抱き上げたものは──ない。
まずは何より恥ずかしくてたまらない。勝手に彼女に触れているようで、無礼な気がしてそれも落ち着かない。
それに、傷つけてしまわないか恐ろしいし、他の者に見つかってしまっても一大事。
しかも、もし途中でローズが目を覚ましてしまったら。彼女はこの状況に、きっと大いに混乱すること間違いなし。
彼は今その疑問を深く考えることを意識的に避けているが……。どうやら王女は、この危機的状況を夢の中だと思い込んでいたようだった。そこで彼女が目を覚まし、自身が寝衣姿でリオンに抱えられている現実を知ったら、彼女はどれだけびっくりすることだろう。
が……今のリオンには彼女を起こして抱き上げる許可をとる勇気もない。
信じがたいが……聞き間違いでなければ、リオンは先ほど彼女に『好きだ』と言われた。
思い出すだけで顔から火が出そうだし、叶うことなら、今すぐ王女に『本当ですか⁉︎』と、やってしまいたい……。が。
(だ、だめだリオン! 今は考えるな!)
リオンは激しく自分を律する。
この状況は王女の名節に関わる問題で。以前、彼女の騎士になりたいと訴えた身としては、彼女の安全と名誉を第一に考えなければならない。
どんな時でも、彼女の将来を自分が潰すようなことがあってはならないのだ。絶対に。
その思いが、ローズの香りと寝息の間近でかろうじてリオンに冷静さを保たせた。
とにかく、この寝入り端で王女がぐっすり眠ってしまっている間に、彼女を私室までなんとか辿り着かねばならなかった。
リオンは意を決して、布団につつみ込んだローズを抱え、まずは少しだけ部屋の扉を開け慎重に廊下の気配を探った。人気がないことを確かめると、リオンは静かに部屋の外へ滑り出た。
幼少よりしっかり訓練を詰んできたリオンは、人一人を抱えていても、足音も床を軋ませることすらなく歩くことができる。
幸いもう深夜という時刻。あたりは暗く静まり返って、隊舎にいる同僚たちは寝静まっているようだった。
これならばとリオンは少しだけ安堵する。
彼は同僚たちの行動、騎士や衛兵の警備ルート、交代時間等も把握している。その情報を駆使すれば、きっと無事王女を部屋まで送り届けることができるだろう。
「…………」
──スッと、暗い廊下を見渡すリオンの瞳が鋭くなった。
ローズのために、暗闇の先にあるわずかな脅威も見逃さぬと決意したような強い眼差しであった。
そうして気配を殺し進もうとして──しかし彼は、ふとローズをくるむ布団に少しの隙間ができていることに気がついた。
そこから覗く白く柔らかい布団につつまれた彼女は、相変わらず平和そうな寝顔でかすかな寝息を立てている。その安らかな表情を目にしたリオンは、こんな時にも関わらず、つい幸せな気持ちに満たされる。
思わず微笑んでしまったリオンは、そっとつぶやいた。
「……しばし我慢なさってくださいね……」
優しく語りかけて、リオンは布団の合わせ目を柔らかく閉じる。
(……早く……この窮屈な状態から解放して差し上げなければ……)
リオンは気配を消して静かに暗闇のなかを進みはじめた。




