41 月明かり ②
幼くふっくらした王女の顔はすっかり青ざめていて、胸の前で組み合わせた手はワナワナと震えていた。
そんな王女を見たリオンたちはとても戸惑った。
しっかり者の王女ローズがこんなふうに泣きそうになるなんて……いったいどんなことが起こったのだろう。聞くのが怖いような気持ちで待っていると、王女は早口でまくし立てるように訴えるのだ。
『あのね! わたし、王太子殿下に髪をひっぱられるのは、もう十回目だったらしいの。わたしはそんな数おぼえてもいなかったんだけど……わたしの侍女はしっかり数えて、記録までしていたみたいで……それで彼女ったら王太子殿下にすっかりおこってしまって……殿下に呪いをかけたっていうのよ……!』
子供たちの間から、え、と声が漏れる。
王女は青ざめた顔で、まだ小さな手をぶるぶる震わせながら外を指した。
『侍女はね……そ、そこの中庭のどこかに呪いの人形を埋めてやったっていうの! 『王太子のお粗相が大台に乗ったらやってやろうと準備していたんです……』……て言うのよ! そ、そんなものが、もし明日あかるくなって大人に見つかったらたいへんだわ! お、おねがい、さがすのをてつだってくれない⁉︎』
王女の言うその中庭は、広く、それにもう日も暮れていてあたりはすっかり暗かった。
使用人たちの区画の庭だから、そこまで趣向を凝らした庭ではないが……。そこそこ庭木などもあり物陰も多い。そこから小さな人形を探そうというのは、確かに王女一人では難しいだろう。
それでも場所さえわかれば探し出すことは可能だろうが……その度胸のある侍女は、かなり怒っていて。王女がどれだけ問いただしても人形をどこに埋めてきたのか口を割らなかったらしい。
それで困り果てた王女は、こうしてこっそり部屋を抜け出して。一人中庭を捜索していたらしいのだが……。
夜間の城というのは結構な物々しさがある。リオンたちはもうここで暮らしには慣れているから平気だが、よそからやってきた王女からすると、きっととても不気味に恐ろしく見えていたのだろう。
庭にしても、灯りは遠い城壁の歩廊の上にある篝火や、月明かりくらいのもの。しっかり者の王女も、さすがにそんな中一人で呪いの品を探してウロウロするのは怖かったようだった。
人形も見つからないし、次第に日が暮れてくるしで大いに困っていたらしいローズは、途方に暮れた顔で子供達に手を合わせる。
『おねがい、みなさん、わたしに手を貸してください! キャスリンはとってもだいじな侍女なの……!』
もし、他国からきた王女の侍女が、王太子を呪っているなんてことが明るみに出れば、たとえそれが子供のいたずら程度のことでも侍女は罰を受けるだろう。
そう話すローズの瞳からは、今にも大粒の涙がこぼれそうで……。
皆とても驚いた。
あのわがまま放題な王太子に呪いとは。それはまた──ある意味ありそうな話であり、しかし侍女の身でなんと度胸のあることだろうと──まあそんな思いもよぎったが。
この時の子供達はそれよりも。今まで、自分たちをその王太子のいたずらから何度もかばってくれた王女のすっかり動転した様子に驚いていた。
彼女は幼いながらにいつでも凛としていて、上品で。普段んはこんなに取り乱した様子など見せたことがなかった。
だから、そんな彼女がここまで怯えている様子がとても子供たちには稀なことに思えて……。
──特に、彼女に密かに好感を抱いていたリオンは、一気に心を捕らえられる。
どうにかして彼女を助けたいと、少年の小さな胸に、初めて震えるほどの勇気が宿った瞬間であった。
そうして彼らは、王女のために暗い庭へお供することになる。
それはさながら王女を守る本物の騎士のようで。将来騎士を目指していた彼らは、大いに奮起したのだった。
「…………」
窓の外の月明かりを見て、当時のことを思い出したリオンはふっと顔をほころばせる。
あれは子供の頃の自分たちにとっては、困っている王女様を助ける大冒険であった。
そしてその話がそのあとどうなったかと言えば……。
王女が部屋を抜け出してきたことが世話係たちにばれて、中庭には、悲壮な顔をした侍女が慌てて王女を探しにきた。
そこで結局は、呪いの人形は侍女のただの願望、口先だけのことであって。本当に隠し、王太子に呪いをかけたのではなかったということが判明した。
そんな侍女の話をすっかり信じ込んでいたローズは、何度も謝る侍女の腕の中でぽかんとしていたが──。その後、自分の勘違いですっかりリオンたちを振り回してしまったと猛烈に反省していた。
何度も謝ってくれた王女には申し訳ない気もするが……リオンにとっては、あれは初めてローズの手助けができた幸福な思い出である。
リオンの口からぽつりと気持ちが漏れる。
「……また、あの日のように何かお力になれるといいが……」
いつか彼女だけの騎士になりたい。
そのためにはどうしたらいいのだろう。
「…………」
考えて、リオンはため息をついた。結局のところ、今はコツコツ誠実に職務をこなすしかないと思った。いつか大きな手柄を立てることができたら、正式に、堂々と国王に嘆願することもできるだろう。
「……頑張ろう」
リオンは月明かりに照らされた廊下で、一人決意をつぶやいた。
──と。
不意に、廊下にゴスッと鈍い音が響いた。
「?」
リオンの眉がピクリと反応し、その視線が暗い廊下に走る。
そこには彼の他に、人影はない。どこから──と周囲の気配を探ると……続けて小さな呻き声が聞こえる。
──と……ぃ……。
苦しげに聞こえる人の声。リオンは声のしたほうへ、さっと手持ちの灯りを向けるがやはり人影はない。ならば外だろうかと足早に窓際へ歩み寄って。手早く鍵を開け、窓を開け放つと、開放された窓からは、冷えた空気が廊下に流れ込んだ。
「──誰か、いるのか?」
タイミングの悪いことに、それまで冴え冴えと明るかった月明かりが、雲に遮られ、あたりはとても暗くなっていた。
リオンは目を凝らすが、窓の外には隊舎の備品や倉庫があり、物陰も多い。
どこかに曲者が潜んでいるのか、もしくは同僚が具合でも悪くして身動きが取れなくなってでもいるのだろうか。
どちらにせよ早く気配のもとを突き止める必要があった。
「……どこだ……?」
リオンがつぶやく、と。不意に、そばで息を呑むような音が聞こえた。
「──ん?」
気配をたどって窓の下を見ると、建物と、誰かが置きっぱなしにしたのだろう木箱との間に、白いものが丸まっている。騎士はそちらに向けて灯りを差し出し、目を凝らす、と。
白いものがゆっくりと動いた。同時に雲間から月が現れて、周囲に明るさが戻ってきた。
うっすらとした光に照らされて、自分を驚いたように見上げる瞳と目があった。
「え」
リオンが短くもらす。
見たものを一瞬頭が理解できなかったのか、驚きが表情に広がり、声が封じられていた。
唖然とそれを凝視していると……白いものが「……ぁ……」とか細い声を漏らす。
どこか困っているような声だった。
「……えっと……」
そこで身を起こした人物は、白い滑らかな光沢の薄布をまとっている。そして、リオンを見て、モジモジと両手の指をいじり、気まずそうな顔をした。
「ご──ごめんなさい……あの……」
消え入りそうな声でそう言った人物は……。
まごうことなく──王女ローズ、で、あった……。
月明かりにも赤い顔が明らかな彼女は。──何故か、額から血を流している。
侍女…やっぱりお前か…というお話(^ ^;)




