40 月明かり ①
ギルベルトが部下に追い立てられるように出て行ったあとも、リオンは隊舎の端から動かなかった。言葉も発せず、隊服もそのまま。まだ彼は夕食すらとっていない。
暗雲を背負いうなだれる様は、まるで壁際の暗闇と同化してしまったかのようだった。
そんな青年を見て、ギルベルトにあとを任された男たちは、顔を見合わせる。
託されたはいいが……事情も知らず、あんな状態の男を、いったいどうしたらいいのだ。
しかも、相手はあのリオンなのである。普段から無愛想な彼の慰めどころなど、誰も知らない。
「おい……どうするよ……」
「いや、見とけって言われてもな……」
「あいつ、夕刻の稽古で十人抜きしたんだろ? すごい気迫だったって負かされたやつが言ってたのに、なんで今はああなってんだ……?」
「知らねえよ……っと……」
その時リオンの後ろで困惑していた男たちのうちの一人が、手に持っていた何かを取り落とした。
カツンカツンと軽く転がる音に、リオンの背中がピクリと揺れる。
不動に思えた男が急に動きを見せたことに周囲は驚き、誰もが息を殺した。
緊張したいくつもの視線に見守られながら、のっそり身体が重そうに立ち上がったリオンは、そのままふらふらと隊舎の奥へ歩いていく。
「お、おい……リオン……」
すれ違いざまに同僚が声をかけたが、リオンは生気のない顔で会釈をするだけだった。
青年は無言のまま、まるで影のように廊下の奥へ消えていった。
その背中が、あまりにも侘しく見えて。誰も、それ以上声をかけることができなかった。
「…………」
──どうしてだろうかと考えて……。
色々と考えて。
やはり自分が愛想のない男だからだろうかと考えては──落ち込む。
いや、と、ぽつりと言葉が暗い部屋の中に溢れる。
「……俺如きが、ローズ様のご尊顔を見せていただこうというほうが厚かましいのか……」
どうやら今日、王女は鍛錬に勤しんでいたらしい。きっとお疲れだったはず。
そんな方が、お部屋に帰って休もうとするところを、邪魔しなくてよかったのだと思い直した。
それでも心の中の物悲しさは薄れなかったが、そういえば、明日も仕事なのだと思い出し、リオンはノロノロと寝支度をはじめる。今は苦しいが、明日、仕事の時間になれば、ローズの顔をまた見ることができるかもしれない。
そう考えると、少しだけ心があたたまって。とにかく明日に備えようという気になった。
しかし、夕食は省くことにした。腹は減っていなかった。というより、食欲がない。
ため息ばかりが溢れてくる喉は、今は食べ物を受け付けそうにない。
リオンは隊服の上着を脱ぐと、椅子の背にそれをかけて私室の外へ出た。
隊舎では余程の上官でない限り、洗面台やそのほかの水回りの施設は共用だ。
リオンは、もう今日はさっさと寝てしまおうと、洗面所へ向かった。
暗い廊下には誰もいない。石造りの床に、月明かりがうっすらと差し込んでいて、その明かりを頼りに廊下を進む。
気落ちしているせいか、何故だかとても身体が重かった。
あと数歩進めば洗面所、というところで。廊下の窓から外を見たリオンは、ふと昔のことを思い出した。
もう随分昔のことだが──幼い頃。ある夜に、リオンたち見習いの子供部屋に、ローズがこっそり現れたことがあった。
そんな時間に、高貴な幼ない姫が一人で自分たちの住む場所へやってきたことに、子供たちはいったいどうしたのだろうと不安がっていたのだが。
小さなローズは子供たちを前に言うのである。
『……きょう、わたし、王太子殿下に、髪をひっぱられたの……』
青ざめた顔で言う王女に、皆は、王太子に仕返しでもしてくれと頼まれるのかと恐々とした。──が、違うのである。
青ざめた王女は必死に言った。




