34 クラリス・レガーレ ②
じろりと睨まれて、側仕えの娘はしまったと口ごもった。
自分に相当自信を持っているクラリスではあるが、王太子がなかなか婚約者を追い出せないことにはいらだっている節がある。
自分の魅力にかかれば、すぐにとって代われるだろうと思って侮っていたはずが、今日まで待たされていることが不満でならないのである。
娘は慌てて両手を振る。
「い、いえそういう意味では……」
と、クラリスはすっかり縮こまってしまった娘を横目で睨め付けながら吐き捨てる。
「ふん、あんな女のどこがいいんだか……どう見ても女としては断然私のほうが上じゃない。ろくに王太子殿下のお相手もせず、仕事仕事って。あれね、あの方は妃よりも、文官に向いていると思うわ」
その顔をおずおずと見て、付き添いの娘はおや? と思った。
いつもならば、もっとねちねち攻撃されるのだが……今日はそれがない。どうやら令嬢はいつもより機嫌が良かったらしい。
「お嬢様……? 何かいいことでもおありになったんですか……?」
娘が尋ねると、クラリスは目を細めてうっすら唇を持ち上げる。
「そうねぇ、確かにいいとがあったわ。王太子殿下がね、王女ローズの弱点をやっと手に入れたの。ほんと、ずっと殿下を焚き付け続けた甲斐があったわ」
やれやれとため息をついて。でもと、クラリス。
「相手があのリオン・マクブライドだなんて思わなかったわ……」
その言葉には、少々面白くなさそうな響きが滲んでいた。
リオン・マクブライドといえば、端正な顔立ちの優れた若騎士である。金髪碧眼で見目もいいとあって、当初はたくさんの娘たちが群がったが、すぐにそれは騎士の冷たい態度で散っていった。
だがクラリスとしては、そういう他の女にはおとせないような男を自分に夢中にさせることが大好きである。
彼の身分がさほど高くないこともあって、本気ではなかったが、何度か粉をかけたことはあった。
──が。
彼にはあっさり他の女たちと同様にあしらわれただけだった。
その男と、王女ローズがもし本当に恋仲なのだとしたらなんだかとても面白くない。
クラリスはまたいら立ちを見せる。
「どうなのかしら……でもあの手紙だけではね。案外王女の片思いかもしれないわ、だって、あの王女なのよ⁉︎ 堅物で、かわいげもないと殿下いつもおっしゃっておいでだわ。騎士リオンが相手にしたりするかしら⁉︎」
不満そうに声を荒げる令嬢には、娘が少々慌てた。
「お、お嬢様、こんな街中であまり大きな声を出さないでください。うちが王女の批判をしているなんてことがバレたら大変ですよ!」
娘はしきりに馬車の外を気にしているが、そんな娘をクラリスは鼻で笑った。
「何言ってるの、平気よ。走っている馬車の中の会話なんて誰にも聞き咎められやしないわ」
言いながらクラリスは窓の外を見た。
固く舗装された道をゆく馬車の車輪は、ガラガラと大きな音を立てているし、外の街は賑やかで、誰もクラリスたちの馬車のほうを見ている者はいない。そんな人々を上から見て、クラリスは断言する。
「いずれにせよ私には王太子殿下がついているのだもの。こんなところに住んでいる者たちに何を聞かれたところで、どうってことはないわ」
自分はいずれ王太子妃となる。
城下町に住んでいる国民などアリにも等しい。
往来を見下すような目で眺めていたクラリスは、ふとその向こうに遠ざかっていく王城に目を留めてため息をついた。
「ああ、早くあそこを我が家にしたいわ……」
見上げるほどに大きな城を眺めていると、クラリスの中ではどんどん夢が膨らむ。
あの荘厳な城の中で、大勢の使用人に傅かれながら悠々と暮らす未来が楽しみで仕方ない。そんな夢を見てしまったあとでは、実家のレガーレ家のなんと粗末に思えることか。
クラリスは、この夢が覚めてしまうような、王城からの帰宅の時間が嫌で嫌でたまらなかった。
「……この最悪な時間を消し去るには、早く王女ローズをあの城から追い出さないと……こうなったからには、どんな手を使ってでも、絶対にあの女を引き摺り下ろしてやる」
そもそも不相応なのだ。
なぜ外国の王女が我が国の国母になるのか? 王太子に想われてすらいないくせに。
美貌を持ち、将来の国王に愛されていて、この土地で生まれた私こそが国母に相応しいはふさわしいではないか。そう憤慨して並べ立てたクラリスは、「そうでしょう⁉︎」と、使用人の娘を振り返って同意を求めた。
──と。
「絶対私のほうが──」と、言いかけたクラリスは、ふと怪訝そうに眉を持ち上げる。
「……あら?」
今、遠くで誰かに呼ばれたような気がした。
微かな声はもちろん目の前の娘でも、外の御者台にいる男の声でもなさそうだった。
どこから聞こえたのだろうかと、令嬢は窓の外を見回す。と、街の賑やかな音に混じって、確かに自分を呼ぶ声が追いかけてくる。
「……ス! クラリス! 待ってくれクラリス!」
「え……?」
呼び声に気がついたクラリスは、窓に身を寄せるようにして馬車の後方へ目をやった。
と、ゆるやかに街中を走っていた彼女の家の馬車を、数頭の馬が追ってきていた。




