3 思いがけない罠
本当は、ローズだってわがままな王太子が夫になるなど嫌である。
ローズだってもうとっくにお年頃。侍女たちが嬉しそうに話す華やかな恋の話には憧れるし、叶うのなら、自分が尊敬できて、愛し愛される関係の人に嫁ぎたいに決まっている。
この婚約に両国の同盟なんて重大なものが乗っていなければ、すぐにでも婚約破棄を受け入れ、もう勝手にしてくれと言ってやりたかった。
さりとてこの婚約は、両国の平安のため、国民のため。
幼い頃から、それが王家に生まれた者たちの役目だと教育された。
それに反発した王太子とは逆に、ローズはなるべくして責任感の強い娘に育ったわけだ。パートナーである王太子が奔放なのを見続けてきたから、余計にそうなったのかもしれない。
立派な王太子妃になるために懸命に励み、身を慎んで。そこに助力してくれた多くの者たち──この国の王や、涙ながらに送り出してくれた両親、その後のローズの身の回りの世話を引き受けてくれた者たち。指導してくれた教師たちも。彼らの期待を背負っていることを考えても、ローズは絶対この婚約は破棄するわけにはいかないと固く思っていた。
(それなのに──)
ローズはげっそりして、目の前の恥じらう騎士を見る。
王太子の護衛である、金髪碧眼の若い騎士。
これまでは。思惑を持って近づいてくる者たちには、初めこそ戸惑い、ときめくこともあった。だが、裏を知って仕舞えばときめきようがない。男性(時々麗人)の熱心なアプローチにも、今ではすっかり慣れ切ってしまって、カケラも心が動かなくなっていた。
美男が意味ありげに流し目をよこしてきても、それとなく親切にされても、『ああ、また王太子殿下は新しい恋人ができたんだな……』と、察し、いっそう身が引き締まる思いになるばかりであった。恋に夢中になると、王太子は職務を放り出す。それを穴埋めするのはいつもローズなのである。
けれども……。
どうしたことだろうか……今、その若い騎士を目の前にして。どうやらこれもまたハニートラップらしいと察しても。彼女はいつものように王太子のフォローについて思考する余裕がなかった。
動揺の理由は、その青年が、あまりにも意外な人選であったことも大きいだろうが……。大きくは、単純に胸が痛むほどに高鳴ってしまい、それどころではなかった。
彼の名は、リオン・マクブライド。
優秀な騎士の輩出で名高いマクブライド家の出身で、将来有望な近衛騎士。
職務にとてもストイックで、他人とは馴れ合わない性格らしく愛想のいい人物ではない。
彼は王族を守るのが務め。ローズも、王太子に会いにいくとたびたび彼に会うが、これまでは、笑った顔はおろか、その冷たい表情が崩れたところを一度だって見たことがなかった。
いつも事務的で、感情を見せない。話しかけても、要らぬ話はしてくれるなと言わんばかりに無表情で、返ってくる言葉も冷淡に思えるほどに短かった。
噂では、美貌に引き寄せられた豪胆な美女が幾度か彼に秋波を送ったが……それはもう冷酷なまでに無視されたらしい。目撃者曰く、『まるで虫けらを見るような迷惑そうな目だった……』とのこと。
そんな目撃談が広まるものだから、口さがない者たちは、彼が唯一近衛騎士隊の隊長を慕っていることをあげつらって、もしや……などと、無責任な憶測を流し、彼は余計に隊の中でも孤立したようだ。きっと振られた女性たちの負け惜しみもあったのだろう。
だが、そんな噂が流れても、リオン自身は淡々としていて特に感情を見せなかった。
周囲の噂や色眼鏡にも左右されない彼を見て、ローズはとても強い人だなと感心して。しかしだからこそ、ローズは油断していた。
きっと彼は、王太子にハニートラップを仕掛けろなんてくだらないことを命じられても、承伏したりしないだろうと。
ならば冷たくされればされるだけ、好感が持てるというもの。
以前、王太子の周りにいる若手騎士や侍従たちがハニートラップを仕掛けてきたこともあり、王太子の近辺も警戒していたローズだったが、彼なら大丈夫だと思った。
それからローズは、王太子のところにきて、何か必要があれば彼を通すことを徹底した。
事実、その対策はとてもよかったと思う。
リオンは相変わらずローズに塩対応だったが、彼が傍にいると、彼を快く思っていない者たちは近寄ってこないし、リオンはそっけなくても仕事は他の者よりも丁寧なくらいだった。
ローズはそんな彼に、とてもほっこりして、とてもとても安心して、いた……の、だが…………。
もう幾月かで婚礼というここへきて、そんな彼がローズに対して、突然態度を軟化させてしまったのである。