28 乙女の地獄
高齢の医務官を連れ、彼を引っ張るようにダンスホールに駆け戻ってきたキャスリンは、そこでローズを抱き抱えているリオンを発見すると、当然すぐに激昂した。
「っおのれ騎士リオン! 私のかわいい姫様にいったい何を⁉︎」
弱り目のローズにハニートラップを仕掛けられたのかとでも勘違いしたのだろう。まるで親の仇にでも突撃するかの如く叫びながら、騎士リオンに襲い掛かろうとして──当然ギルベルトやヴァルブルガに慌てて止められた。彼女が連れてきた老医務官は、その後ろで微妙そうに引いている……。
「……若者は血気盛んですなぁ……」
「キャスリンさん落ち着いて落ち着いて」
「⁉︎ 離しなさいヴァルブルガ! 王太子の刺客はすべてこの私が伐──ぅえ⁉︎」
笑顔のヴァルブルガに「まあまあ」と羽交い締めにされていたキャスリンが、唐突に変な声を出して目を瞠る。
その目が凝視するのは、騎士リオンの膝からさっと抜け出し、びたんと床に落下したもの──それすなわち王女ローズ。
「ひぇっ⁉︎ 姫様⁉︎」
「⁉︎」
キャスリンが叫んだ瞬間、リオンもギョッとする。
それは彼が、唐突なキャスリンの突撃に驚いて、膝に抱いたローズを庇うように後ろを向いた……その瞬間のことだった。大切に抱きしめていたものがいきなり己の腕の中から消えて、リオンも弾かれたように呆然とする。
今、ローズは明らかに、彼女を支えている自分の手を振り払っていったのだ。これにはリオンも驚いた。
「……ローズ様⁉︎」
「姫様!」
「ローズ様⁉︎」
ダンスホールの中に、リオンとキャスリン、そしてヴァルブルガの慌てた声が響く。
美しい大理石の床に、顔を隠したまま転がり落ちたローズ。
──見事な……横回転、だった……。
さっと身体を捻り、リオンの膝の上からゴロゴロッと勢いよく逃れた王女に、キャスリンも、周りも慌てるが。しかし、皆が驚いている間に、ローズは無言でむくりと起き上がり、傍にいた己の侍女に素早く跳びついた。
腰元にタックルされて、目を白黒させるキャスリン。ローズはそのまま彼女に張り付いて、キャスリンの白黒の制服をまとった腰にぎゅっと腕を回し、まるで子供が母にするように侍女のエプロンに深く顔を埋めた。
「え……ひ、姫様……?」
ローズはそのまま動かなくなり……一同は一様にぽかぁんと黙り込んだ。
皆、怪訝な思いである。
(ぁ……ら……? ローズ様……?)
(めっちゃ……機敏だけど……?)
(今にも倒れそうだと……聞いたが……???)
オーバーワークで疲れ果て、医務官を呼ばれた挙句、倒れかけたはずの王女、の……俊敏で、不可解な行動に、場には戸惑いの空気が流れる。それは憤怒していたキャスリンですら一瞬黙らせた。
もしこれが、リオンに襲いかかったキャスリンをなだめるための策ならば、大いに成功と言える、が。
しかし、ローズとしては、そのようなつもりはカケラもなかった。
キャスリンの怒号を耳にして、彼女は我に返って気がついたのだ。自分が、今いったい誰の膝の上にいるのかを。
『彼に会えて元気になっちゃったのが恥ずかしい……』だのなんだと羞恥に震えている場合ではなかった。それ以前に、現状が、恐ろしく恥ずかしい。
間近に見える青年の首筋と胸板。背中に感じる温かさは、間違いなく彼の膝のぬくもりで。腕に感じる感触は、きっとリオンの手のひらで……。鼻をくすぐるなんともいえない爽やかな香りを感じると──ローズは地獄に叩き落とされた。
──あ……私、今、ものすごく汗まみれだわ──……。
こうなると、本当に、乙女としては地獄なわけである。
はっきりいって、王太子が傍にいるときは、汗なんかどうでもよかったし、彼にボロボロだと笑われようと、ちょっとムッとするくらいだった。
しかし今は……リオンに自分の汗の匂いが届いているかもしれない。いや、それどころか、この麗しく恐ろしく可愛い騎士の尊い膝を、あろうことか! 自分の汗で汚してしまっているかもしれないと考えると──……痛恨である。死ぬほど申し訳なく、そして恥ずかしかった。
そう胸を羞恥に抉られた瞬間、ローズは突発的にリオンの膝から逃げ出していた。とてもではないが、そのままそこにはいられなかった。
そうして傍にいたキャスリンに無我夢中で抱きついた。
少々奇抜な動きをしてしまったが、そんなことを気にしている余裕などなかった。ただ、ローズが膝から逃れた時、一瞬リオンがびっくりしたような顔をしていたのが見えて──それだけがとても気がかりだった。
「ひ、姫様‼︎ ど、どうなさったのですか⁉︎ まさか騎士リオンにどこか触られたり──⁉︎」
小刻みに震えるローズに抱きつかれたままのキャスリンが、ギッとリオンを睨む。だが、リオンはといえば、キャスリンのメデューサ顔どころではない。青年騎士は、こちらもまたローズが心配なあまり鬼のような顔をしているが。しかし、彼女がしがみつく侍女から、王女を取り戻すわけにもいかず……。強張った顔はそのままに。お、おろろ……と、困る様子はこちらもキャスリンに負けず劣らず奇怪そのものであった。
お読みいただきありがとうございます。
困ったことに、インフルエンザのワクチンを打って、今回初めて副反応で寝込みました(^ ^;)
ワクチン打った部分もいまだに腫れていて痛いです;なんでしょうか…コロナ禍にすごく免疫が下がってしまっていたのかもしれません;皆様も体調にお気をつけて!
誤字報告してくださった方、感謝ですm(_ _)m




