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23 ローズの失敗と奮闘

 

 恋とは恐ろしいものである。

 それを、身をもって思い知ったローズは、己を立て直すためには相当な努力をしなければならないと考えた。

 いや──そう、思い込んだところもあったのかもしれない。

 初めて触れた恋が、あまりに鮮烈で、己の感情が制御できなくて。

 これまで王太子が彼の恋愛のために彼女を邪険にしてきたことも少なからず影響した。

 元々彼女はこの世には、根からの悪人はいないと思っている。だからこそ、実状よりも大袈裟に恋を恐ろしいと思い込んだ節がある。


『将来一国の君主になろうというお方が、あれほど執着してしまうほどのものなのだから、己とて、それ相応にあがかねば、この感情からは逃れられないのだろう』──と。


 恋愛に不慣れだからこそ、とにかくローズはそう思い詰め、必死になってしまったのである。


 そのようなわけで。ローズはさまざまなことに奔走するようになった。

 政務を中心として、積極的に人にも会ったし、礼拝堂にも出向いた。単純に、忙殺されればリオンのことも忘れられるのではと考えたのだ。

 きっと今までは打ち込み方が足りなかったのだ。ローズは朝から晩まで分刻みのスケジュールを組み立てて、見事にそれをこなしていった。

 そんな王女の奮闘を、国王や領民、教育係たちはたいそう褒めた。が──意気込みすぎもあったのだろう……五日もすると、ローズの身体は次第に無理がたたって重くなり、疲れた精神は癒しを求め、からきし集中できなくなってしまった。


「………………」

「姫様?」


 数日後、ローズの執務室でせっせと補佐をしていたキャスリンが、ふと気がついて主人の顔を見上げると、領民からの手紙に返事を書いていたローズが、いつの間にか手を止めている。

 背筋を伸ばして椅子に座っていた主人の頭は斜めに傾き、卓上の一点を見つめたまま動かない。その顔は寝不足がたたり色濃きくまが刻まれている。しかし、何故だか瞳だけは爛々と光り輝いている。……なんか怖かった。


「だ、大丈夫ですか姫様……ちょっと休憩いたしましょう⁉︎」


 主人の様子にただならぬものを感じて。キャスリンは慌ててローズに声をかけた。だが、ローズの耳にはそれが届いていないようだった。


「姫様? 姫様、聞いていらっしゃ──……」


 ──と。キャスリンが彼女の肩に触れようとした瞬間、そのローズが唐突に椅子を立つ。びっくりする侍女の前で、彼女は生気の薄い顔のまま机を離れ、インクの滴る羽ペンをもったまま、部屋の扉のほうへふらふらと歩いていく。

 キャスリンはギョッとして彼女を引き留める。


「姫様⁉︎ そんな状態でどちらへ⁉︎」


 と、キャスリンの問いに、ローズは前を見たままぼんやり言った。


「ちょっと……リオンの顔を見に──……」


 そう口走った瞬間に、ローズは自分でもハッとしたようだった。

 両目をこぼれそうなほどに瞠って、自分を引き留めていた侍女を振り返り、慄いた顔で訴える。


「だ、ダメだわキャスリン……この手は……この手は逆効果だわ! 疲労が過ぎて、リオンの顔が見たくて死にそうになってきた!」

「⁉︎」


 どうやら瞳の鋭い輝きは、渇望が滲み出たものだったらしい。

 ──と、いうわけで。

 務めに邁進し、リオンへの想いを頭から追い出そうという作戦は、あえなく失敗に終わった。

 ならば趣味なら打ち込めるのではと思ったが──やはり同じ結果であった。

 ピアノに読書にレース編み。好きなことを片っ端からやってみれば気が晴れるだろうと思ったが、ちっとも楽しめず、集中もできないのである。

 今や、あんなに楽しかったレース編みですら彼女を無心にはしてくれなかった。

 出来上がった歪な形のドイリーを己の顔の前に掲げて、ローズは情けなさそうな顔をする。編み目が揃わず泣きたくなるほどの出来栄えだ。これにはローズは、さらに己に自信を失くす思いであった。

 そもそも、ローズはこれまで自分が楽しむということにあまり重きを置いてこなかった。

 自分の時間のほとんどを、王太子の婚約者として、王族としての学び、稽古、政務に時間を使っている。圧倒的に遊び下手なのである。

 そんな己に改めて気がつき、ローズは落ち込んだ。


「…………これだから私、王太子殿下に、『お前はつまらん女だな』と、言われるのよね……」

「そ──そんなこと! そんなことありません! 姫様はつまらなくなんて! わたくしめなんか! 姫様が誰かに褒め称えられるだけで、嬉しくてひと月は小躍りしてますよ⁉︎ そんなつまらんなんて──あのクソ……‼︎」

「キャスリン……クソはやめなさいね……」


 鬼のような顔で憤る侍女に、ローズはしょんぼり言った。

 肩を落とした王女に、侍女はやや勢いを削がれ気遣わしげに声を掛ける。


「……あの、どういたしましょう? お時間ですが……また礼拝堂に参りますか……?」

 

 本日ローズの立てた計画表によると、次は礼拝堂へ行く時間だ。

 王宮には王族だけが使える礼拝堂がある。そこに一人こもり、天に向かってひたすら祈るのは、己を戒め、大義を思い出させるためにはいいことだとローズは思っていた、のだ、が……。

 昨日、礼拝堂の女神像に向かって跪き、祈り始めると、ハッと気がついた時には二時間以上の時間が経っていた。


『──ですから女神様、リオンはとっても目が綺麗で、あんな素晴らしき存在をこの世に生み出してくださった天とご両親には感謝しか──……あらっ⁉︎』


 ローズはまた愕然として素っ頓狂な声を上げた。

 精神修行のはずが、ローズは天に向かって初恋の幸せさ、辛さ、そしてリオンの素晴らしさをこんこんと語っていた。長々とした惚気を捧げられていた女神像も、どこかいつもより困り果てた表情に見えた……。


 そんな己の所業を思い出し、ローズは痛恨という顔。


「…………私は……もしや学習能力がないの⁉︎」


 これでは手紙の時と同じ展開である。

 ローズは両手でびたんっ! と顔を覆い、恥ずかしさに打ち震えた。


「あろうことか、女神様に向かってリオンのことを熱く語り続けたなんて……! 申し訳なさすぎて天に顔向けできない! 私……礼拝堂に……行ってもいいの⁉︎」

「そ、そんな……女神様は慈愛の象徴ですよ? 恋愛について語ったくらいでは礼拝堂を出禁になんてなさいませんよ……!」


 キャスリンはそう慰めたが、信心深いローズはガクッと音がしそうな勢いでうなだれたまま顔を上げてくれない。

 これにはキャスリンも困り果てた。

 ローズのリオンへ向ける恋心は、知れば知るほど計り知れない。キャスリンは長いこと王宮の女性社会で生きてきて、年頃の娘を千と見てきたが……。

 恋の一つに、ここまでオロオロと右往左往する娘を、他に見たことがなかった。


 と──失意の底という様子でうなだれていたローズが、不意にが低い声でつぶやいた。


「……こうなったら……」

「え? ひ、姫様……?」


 顔を上げた主人の目は、何やらとても据わっている。目を細め、眉間にもしわが寄って……まるで、今から政敵に立ち向かおうかという表情である。


「……もうこうなったら。天へ懺悔も兼ねて、肉体の強制的な酷使で忘却を図りましょう!」

「強制的な酷使⁉︎」

「祈るのが駄目なら、修行よ!」


 言うが早いか、ローズは一度ばふっとスカートの裾を翻すように正して、そのまま颯爽と私室を出て行った。──もちろん、出ていく前に、きちんとレース編みの道具を片付けるのを忘れなかった……。



「…………これはいったい……」


 ──部下に呼ばれてその現場に駆けつけた男は、一瞬戸惑う目をした。

 彼、近衛騎士隊長ギルベルトの視線の先では、王宮の広々としたダンスホールの中を、動きやすそうな微服に着替えたローズが、外側の壁に沿って延々と走り続けている。

 ぜいぜいと荒い息をこぼし、一心不乱に駆け続ける王女の後ろにはヴァルブルガが伴走。しかし、けろりとした侍女に比べ、ローズのほうはすっかり疲れ果てている。

 ここだけの話、ローズはあまり持久力がない。おまけに最近は政務も忙しく、そちらの疲労もあるのだろう。

 ギルベルトは、傍らでイライラしている侍女に困惑の眼差しで問う。


「キャスリン、なぜお止めしないんだ?」

「っわたくしだってお止めしたいんです! でも……姫様が、絶対に止めるなと……!」


 そう唸る赤毛の侍女は、心配やら、腹が立つやらを耐えるので忙しいらしく、声も刺々しかった。どうやらこれも、彼の部下、王女ローズ付きの近衛騎士たちが、困ってギルベルトを呼びに来た原因の一つらしい。

 ギルベルトが、どうしたものかと王女へ視線を戻すと、キャスリンはさめざめと嘆きながら訴えた。


「姫様は、邪念(※リオンの顔)が頭から消えるまでは走るとおっしゃって……もう一時間近く走っておいでなのです……でも、止めようとすると、まだ邪念が消えていないとおつらそうな顔をするから……! ひーんっ!」

「お、おい泣くな……。しかし……邪念? そんなものがあのお方にあるのか……?」


 嘆くキャスリンを宥めるものの、その説明は、ギルベルトにはさっぱり分からない。が、とにかく王女がとても真剣であるということだけは分かった。

 いつでも身綺麗にして、何をするにも品位を重んじている王女が。今は顔に流れ落ちる汗を拭うこともせず、気力の力だけで前へ進もうと懸命な姿は、何かを振り払おうともがいているようにも見える。

 身体はもう足がもつれそうなほどヘロヘロなのに、表情には戦士のような気迫が滲む。何か心の中に強い信念がなければ、あのような状態にはならぬだろう。あれを見た一介の騎士が、止めていいものか判断に困るのも無理はない。それほどに、王女の姿は鬼気迫るものがあった。

 ギルベルトは唸る。


「ローズ様はいったいどうなさったんだ……?」


 あの真面目な王女にいったい何が起こったのだろう? 疑問を漏らすギルベルトに、キャスリンが泣きついた。


「どうしたらいいんでしょうかギルベルト様! わたくしめ、このままだと暗殺者に転職したくなるかも……何もかもあのクズの…………」

「やめたまえ」


 キャスリンの恨みがましい闇の滲む双眸に、ギルベルトがまともに突っ込む。もちろん彼女の言う「クズ」は王太子のことで間違いない。

 とにかくとギルベルト。ここは自分が一役買って出たほうが良さそうだ。

 彼はひとまず、ローズがちょうど自分たちの近くまで走ってきたタイミングで、もはや亡者のような顔で走っていた彼女に止まるように求めた。

 すでにだいぶ前に体力の限界を超えていたローズは、声をかけられるまでは彼がダンスホールに来ていたことにも気がついていなかったらしい。声をかけてきたギルベルトを見ると、あんなに頑固に走っていたローズが、驚きもあってか、やっと足を止めた。


「あ、あら、先生いらしたの? ご……ごめん、なさいね……ちょ、ちょっと待ってくださる……? どうやら私、今まで惰性で走れていたみたい……い、一度止まるとだめだわ……あ、足が……」


 弱々しく言いながら足をプルプルさせる王女に、ヴァルブルガが寄り添おうとしたが、それをギルベルトが制する。ギルベルトはそのまま王女を易々と抱き抱えて、ヴァルブルガを振り返った。


「ヴァルブルガ、王女を休ませよう、着いてこい。キャスリンは医務官を」

「は、はい!」


 命じられたキャスリンはすぐに廊下のほうへ駆けていく。

 抱えられたローズは、大人しく──いや、足はぶっるぶるに激しく動いているが──ともかく。ちんまりとギルベルトの腕の中に収まって。しおしおの顔で、急に何歳も歳をとってしまったかのようなかすれ声で謝罪する。


「ごめんなさい……面倒をおかけします……本当に……」

「ははは、これしきなんでも。しかしローズ様、どういったご事情かは存じませぬが、ローズ様は相変わらず、少々生真面目がすぎますな。やりすぎは禁物とお教えしたはずですが?」

「はい、面目ありません……」


 幼い頃から見守ってもらっているこの陽気な男には、ローズは警戒心が皆無である。

 すっかりしょげた顔のローズに。彼女を抱えたギルベルトは、やれやれという顔で、そのまま近くの休憩所へ足を向けた。

 が──。

 そんな慌ただしく移動しようとする一行の前に、不意に立ち塞がる者があった。


「「!」」


 その先頭にいる者に気がついて、ローズを抱えるギルベルトも、ヴァルブルガも、さっと表情を固くする。

 男は鼻を鳴らして言った。


「おやおやおや……いったい何事かと思えば……そこでぼろぼろになっているのは、もしかしなくても、我が婚約者殿では?」


 言い放ち、高慢に顎を上げる男の言葉には、明らかなる嘲りが滲んでいる。



 




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