16 手紙
この話のあとの王女と侍女たちの行動はさまざまだった。
ローズは思い悩んだような顔で消沈してしまって、今は誰とも話す気力がないようだった。
キャスリンは王太子とリオンに本当に腹を立てていた。
ローズのそばにいると、彼らに対する小言が止めどなく溢れ出そうだったが、沈み込んだ主人にはそれを聞かせたくなくて、彼女はやることをやってしまうと、洗濯物を手に足早に部屋を出て行った。
残るヴァルブルガは飄々として、いつも通りに振る舞っていたが。しょんぼりした王女をいたわる表情は、やはりどこか思うところがありそうだった。
ローズが落ち込んでいたのは、まず第一に、なんだか国民にとても申し訳ないような気がしていたからだ。
将来の彼らの国母として望まれている自分が、王太子以外の男性に惹かれてしまったことが、なんだかとても後ろめたかった。
だが、それ以上に彼女の気持ちを重くするのは、リオンのあの申し出を断るために、自分が何かいい方法を考え出さねばならないということである。
これはどう考えても大きな試練である。
リオンの前に出るのですら緊張するのに、彼に、彼の望むことを『できぬ』と拒絶するというのだから。それは今のローズにとっては途方もなく難しいことのように感じられた。
彼女が王太子のように、王族である自分の気持ちが第一で、他の者の気持ちも都合もどうでもいいという性格だったのならば、そんなことは微塵も気にならなかっただろうが、ローズは違う。
自分がそう言った時、リオンがどんな感情になり、どんな顔をするだろうかと考えると──……。
ちょっと血の気の引くような恐ろしさを感じた。
(……彼に悲しそうな顔をされたら……嫌われたくなくて、『今のは嘘よ! ぜひ私の騎士になってちょうだい!』とか、口走ってしまいそう……)
このまま無策で挑めば、本日の昼間の庭園での失態の二の舞を演じてしまうことはうけあいで……。もしそんな有様が王太子に伝われば、それこそ狡猾な彼にリオンは有力な駒として目をつけられてしまうだろう。
「これは……直接言うのは無理かも……」
でも人伝なんてことも感じが悪すぎる。
どうしたらいいだろうと考えて、考え尽くし、悩み尽くして。
「──あら⁉︎」
ふと気がついて、ローズは素っ頓狂な声を上げた。いつの間にか、目の前には己の執務机。手にはペンが握られていて、卓上には、たくさんの上書や資料が広がっている。
「⁉︎ い、いつの間に…………」
慌てて時計を見ると、あれからもうかなりの時間が過ぎていた。
どうやら──リオンのことで悩むあまり、無意識のうちに現実逃避しようとしたのか、仕事を始めてしまっていたらしい。
サクサク進んでいた仕事を前に、ローズはちょっと呆然とした。
手にしていたペンは、祖国の領地を管理する者に対する指示を書き記している。
実は彼女は祖国に広い領地を持っている。
国の両親が『将来のための学びになれば』と、授けてくれたもので、もう随分若いうちから領地経営には携わってきた。
ローズは、その手塩にかけてきた土地と領民たちを思い出し、少しだけ気持ちがホッと和らいだ。
彼女の領地は比較的この国に近い川辺の土地で、河口には湿地帯が広がり、そこには美しい野鳥が多く住む。
領地屋敷の周りは、彼女が有名造園師を招き、数年かけて美しく整備させたため、景観が素晴らしくいい。領民たちに解放された広大な外庭園は、観光地としても名高かった。
そこでは春から夏の盛りまではずっと造園祭りを開催していて、その収益でチャリティーも行う。
今書いていた指示書は、そのチャリティーに関するものだった。
白い紙面に目を落としたローズは、そこで、あ……と小さな声を漏らす。
(そうだ……リオンへも手紙を書いてはどうかしら……)
どうして思い付かなかったのだろう。
自分は情けなくも、リオンを前にすると、どうしてもアガってしまって平静ではいられない。
しかし手紙なら。
紙にゆっくり気持ちをつづれば思考もまとまるし、言いづらいことも直接よりは伝えやすい。もちろん書き直しも可能だから、出来うる限りリオンを傷つけない言葉選びもできるではないか。
「そ、そうね、いい考えだわ……」
ローズは一人頷いてから、便箋や封筒を探しに椅子から立つ。と、壁際を埋め尽くすような棚の引き出しの中に目当てのものが見つかった。が……。手にした便箋と封筒を見て、ローズがうっと眉間にシワを寄せる。
「あ、あら? 薄薔薇色……? こ、こんな可愛いらしい色しかなかったかしら?」
手にした上等な便箋と封筒は、彼女が普段使いする彼女の名にちなんだ薔薇が控えめにあしらってある可愛らしいものだ。
使い慣れたレターセットだが、しかしローズはためらった。
なんだかよく分からないが、その淡く甘い色の便箋をリオンに渡すなど、想像するだけでむしょうに恥ずかしい。
どうしてだろうか、その色が、恋にうわついたような色に見えるからだろうか。ローズは赤くなって苦悩する。
今までこの淡い色が気にかかったことなど一度としてなかったのに、どうしてそんな些細なことが恥ずかしいのだろう。
そして結局ローズは、その便箋でリオンへの手紙を書くのは無理だった。
わざわざヴァルブルガに手配してもらって、スッキリ白い便箋と封筒を手に入れた。
『一通分』そう頼んだのに。話を聞いた彼女からは、何故か一抱えほどもある枚数の便箋を渡された。それには驚いたが──。
彼女はすぐに、侍女の不思議な行動の意味を知ることとなる。
次の日の夜明けごろ。小鳥がチュンチュンと牧歌的に朝を告げるなか。カーテンの隙間から朝日が差し込む寝室で、ローズがげっそりうなだれている。
「…………」
彼女は無言で、窓際にある机に着き、頭を今にも卓上に落としそうなほどに肩を落としている。王女は、己への失望を吐き出すような声でつぶやいた。
「……、……血迷っているわ…………」
そこへキャスリンがやってきた。
ローズの朝の支度を手伝いにやってきた彼女は。しかし扉を開けて、主人の姿を見るなり、ギョッとする。
「おはようござい──っど、どうなさったのですか姫様⁉︎」
部屋の奥にある机に向かい、げっそりうなだれた背中を見せているローズ。
さてはまた徹夜でもしたのかと言いかけて。侍女は、ローズの周りにおびただしい数の紙屑が落ちているのを目にしてもう一度ギョッとした。
くしゃくしゃに丸められた山のようなそれは、どうやら白い便箋のようだ。唖然としていると、振り返ったローズが言う。
「……ごめんなさい……一応かごにいれておいたのだけど、入りきれなくて……」
まずその声の弱々しさと、青白い顔にびっくりしたが。言われてよくよく見ると、紙くずの下にはチラリとカゴのようなものが見える。だが、それは入れられた物が多すぎて、受け止めきれず、埋もれてしまっていた。
ちなみにだが。ゴミは出た端から侍女たちが片付けてしまうローズの部屋には基本的にゴミ箱というものがない。おそらくあのかごは、その代わりに使われたもののようだが……。
キャスリンは、いったい何事だと紙くずの一つを拾おうと身をかがめる。が、そんな侍女の気配に気がついて、ローズが慌てて声をあげた。
「ま、待って! 拾わないでキャスリン!」
「え⁉︎ ど、どうしてでございますか……?」
紙くずに手を伸ばしかけていた侍女は、ギクリと身を硬直させる。
彼女を見るローズの顔は、先ほどまで真っ白だったのに、今は何故か果実のように熟れている。
「は、恥ずかしいから拾わないでちょうだい! 私、あとで全部自分で処分するから!」
お、お願い! と哀願するローズに、キャスリンは困惑顔。そんな彼女に、ローズは情けなさそうにことの次第を説明した。
リオンの顔もまともに見られそうにないので、手紙で断りを入れようと思ったこと。
それが一晩かけても全然うまくまとまらなかったこと。
ローズは悲壮感たっぷりの顔で訴える。
「……何故なのかしら……断りの手紙のはずが……いつの間にか、どうしても恋文になってしまうのよ……っ!」
「は……? はぁ……?」
大真面目に言われたキャスリンは、意味がわからないという顔でちょっと身をのけぞった。が、ローズだって同じだった。王女は疲労とクマの滲む顔で、引き気味の侍女の前でわっと嘆く。
「私も意味が分からないの! 傷つけまいとする気持ちがあるから⁉︎ それとも徹夜で根を詰め過ぎて、頭のネジがどこかに飛んでしまったのかしら……⁉︎ 何度書いても、最後に読み返すと、文章の端々にリオンへの気持ちが溢れていて……自分でもびっくりするくらいラブレターなのよ……!」
「ら、らぶ……?」
「私……これまでラブレターなんか書いたことないのに……な、なんでなの⁉︎」
「ひ、姫様落ち着いて!」
ローズはワナワナ手を震わせながら、しまいには、勢いよく卓上に突っ伏した。そして叫ぶ。
「こんな──“大好き”で溢れた手紙なんか──リオンに渡せるわけがない!」
両手の隙間に見える王女の顔は、湯気が出そうに赤い。
──どんな手紙を書いたのか、非常に気になるところである。




