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14 お約束のレンガの罠

 

 その時ローズは、ただひたすらに立ち尽くしていた。


「……、……、……」


 ──ついに、リオンからのハニートラップがはじまってしまった⁉︎


 そう疑惑を持つと、とにかく胸が痛くて。


 だが、用意してあったはずの断りの言葉が出てこない。喉はまるで詰まってしまったかのように苦しくて、すでに言い慣れて、もう幾度となく彼と同じような、王太子のまわし者たちにすんなり言えたはずの言葉が──出てこない。

 というか、頭は激しく真っ白だった。


「……、……、……」


 ひたすらに、リオンを見つめて数十秒。

 やっと思考が回復してきたが、すると今度は心臓の音が耳元にまで響いてくる。


(……ぇ? 待って待って。リオンが私の……?)

(専任騎士ってことは……)

(私の傍にいて、ずっと私だけを守ってくれるってこと……よね……?)

(……何それ…………)


 そこまでなんとか頭を動かしたローズは再び絶句。


 そんな彼女を。こちらもひたすら跪いて待ち続けていたリオンは。壮絶な羞恥の時間を過ごし続けていた。


(ぅ……ローズ様が黙り込んでしまわれた……)

(殿下は……どう思われたのだろう……)

(や、やはりご迷惑だったか……? ……それはそうだ……リオン、貴様今まで自分がどれだけローズ様へ無様な対応したのか忘れたのか……⁉︎)

(あのようにぶっきらぼうにしておきながら、どの口がお守りしたいなどと……)

(いや、しかし……お傍でお守りできたら、こんなに嬉しいことはない……)


 隠れ照れ屋の彼は、激しく落ち込んだが。それでもなんとか自分を励ましつつ、王女から与えられる無言の時間に耐えた。

 ガゼボの前に立ち上がった王女は、リオンを食い入るように見つめながら、その表情は驚きに固まっている。

 その顔を見てしまったリオンの額からは、冷や汗とも、焦がれたゆえとも分からぬ汗がつと落ちる。

 と、その汗が喉元に伝った瞬間のことだった。

 絶句していたローズの口から、彼女が沈黙の間に溜め込んだ気持ちがとうとうはち切れてしまう。


「っ何それ‼︎ す──‼︎」

「っ⁉︎」


 突然の発露に、リオンはギョッとして、ローズ自身もギョッとして。そしてそれを傍で傍観していたヴァルブルガは咄嗟の笑いをグッと堪えた。


「……ぁ……」

「⁉︎ ローズ様⁉︎」


 王女の顔には明確に(しまった!)と、書いてある。

 彼女が今、思わず叫びそうになった言葉の全容は『何それ素敵っ!』で、ある。

 それは、リオンが自分の騎士となってくれたら──という想像をうっかり頭に思い浮かべてしまったローズの魂の叫びだった。

 その光景を、彼女は夢のようだと思ってしまった。

 今のように、王太子に会いに行った時のみに与えられる一縷の癒しではなく。寝ても覚めても彼が傍に控えてくれている、天国のような生活。──とてもではないが……ときめきが抑えられなかった。

 しかし、つい叫んでしまった瞬間。目の前の騎士の驚きに気がついて、自分の心の声が口から飛び出てしまったことに気がついて。ローズはとてもびっくりしてしまった。

 それは、王女としてはあるまじき取り乱した言葉遣いだった。


「──ぁ……あああ……ご、ごめんなさい、突然大きな声を……」


 目の前で目をまるくしているリオンに、彼女は必死に取り繕う。だが、その顔は真っ赤。


(ひっ……ど、どうしよう……私がときめいていること……リオンにバレてしまった⁉︎)


 あわあわと振られる両手は忙しない。彼女の斜め前ではヴァルブルガが肩を揺らしているが、あれはおそらく笑いを堪えているのだろう。そんな男装の侍女に気がついたリオンは、彼女を壮絶に睨む。

 が、肝心のローズはそんな侍女には気がつかない様子。

 取り繕えば取り繕うだけ混乱していくらしく。慌てるあまりか、じんわり涙が浮かびはじめたローズを見て、リオンはまたギョッとした。


「で、殿下大丈夫です! どうか落ち着いてください」

「…………本当に……不埒で……申し訳ありません……」

「ふ、不埒⁉︎」


 落ち込んだ様子で謝罪されたリオンは、疑問でならなかった。


(不埒……とは? それに、“何それす──”? とはいったい……先程の殿下は、いったいなんとおっしゃろうとしていたのだろう……)


 それを言った彼女が現在、必死に取り繕おうとしている様子を考えると……もしやそれは自分にとってはあまり良い言葉ではなかったのだろうかと不安になった。


(……考えられるのは……“すごく迷惑”……か?)


 そう思い当たった途端、リオンの表情が落胆に曇る。と、その顔を見たローズがさらに慌てた。

 彼女には、リオンの顔色が変わった理由は分からなかったが……。


(──ちょっと待って! リオンがものすごく悲しそうな顔を──? あ、あら⁉︎ もしかして私、今ので……幻滅された⁉︎)


 いきなり感情的に叫ぶなんて、確かに王族にあるまじきはしたなさ。

 まさかこれしきで動じるような主はいらないなどと失望させてしまったのか。

 そう感じた瞬間、ローズは心臓をぎゅっと掴まれたように苦しくなった。


(そ、それは──つらい!)


 しかしとローズ。

 リオンの申し出が王太子の差金である可能性が僅かでもあることを考えると、結局自分はここでリオンの申し出を受け入れることができない。となると、ここでリオンに幻滅して申し出を撤回してもらうほうが、事は穏便にすむ。


(あら? でも──これが王太子殿下によるハニートラップならば、そんなことは関係ないのかも……)


 リオンが自分を陥れようとしているのならば、そもそもローズの王族としての資質など関係はない。


(つまり、ここでリオンが押し切ってくるならば、それはハニートラップ確定……?)


 だがそもそもリオンがそんな計画には加担していない可能性もある。結局は用心のためには断わざるを得ないが、それでも彼が真心からこう言ってくれている可能性も、ないことはない。


(──あ……あ、頭がこんがらがってきたわ…………)


 考えすぎて、もう頭がすっかり混乱してしまって。ローズはそんな自分に苦悩した。

 いつもなら、考えても結論の出ないとわかっている事象に対し、こんなに決断を惑うことなどない。だが、今は何故かそうできない。


(ど、どうしたらいいの……⁉︎)


 その上心臓は、目の前のリオンと、彼の発言にドキドキし続けているのだから、ローズには余計に窮地。

 それでもかろうじて、彼女はしっかりせねばという思いに縋りつき、気力を振り絞った。

 動悸が激しすぎて今にも頭を抱えてしまいたい心境ではあったが。なんとかグッと背筋を伸ばす。

 そして精一杯の虚勢で、リオンに毅然とした顔を作って見せた。


「──お気持ちはわかりました」


 押し殺した声で言うと、ずっと不安そうだったリオンがハッと身を正す。

 ……そんな僅かな仕草一つにも、彼の己の言葉を聞き漏らすまいとする姿勢を感じ、その健気さに、またグッときた。──が、表面上はあくまでも冷静を装ってローズ。


「お申し出に感謝いたします。でも、少し検討させていただけまふ(す)か? お返事はまた後ほりょ(後ほど)いたします」


 キリッとした顔で舌を噛むローズ。また──斜め前のヴァルブルガがなんとも言えない目で彼女を見ているが……。

 ローズは、この一大事に舌を噛んでしまった己が恥ずかし過ぎて、それどころではない。


「お──お話は以上ですか? それならば、私はそろそろ失礼させていただきますね」


 ニッコリ微笑んだ──つもりで顔を引き攣らせる。

 そんな彼女のどこかチグハグな様子に、リオンは心配そうな顔をしている。

 見守っていると、颯爽と歩き出そうとする彼女の足は小刻みに震えている。それをどうにか御して歩こうと必死な彼女には、彼もハラハラし過ぎて話しかけることなどできなかった。今そんなことをしてしまうと、きっと王女は転ぶだろう。

 ……が、リオンの気遣いをよそに、やはりローズはその危機に瀕する。


「っう……⁉︎」

「⁉︎」


 いや、彼女自身にも分かっていた。こんな生まれたての子鹿のような足取りではまともに歩けないだろうと。だから重々気をつけているつもりだったのだ。

 視線の先に伸びる通い慣れたレンガの道。しかしどこに敷石の段差があると知っていたからこそ、そこに気を取られすぎて──そのだいぶ手前のレンガに躓き、バランスを崩してしまった。


「ローズ様!」


 足首を変な形に捻り、倒れゆくローズに。リオンは咄嗟に腕を伸ばす。

 かろうじて手が届き、なんとか彼女の腰を支えて転倒を引き止めるが──。


「お怪我は⁉︎」と、声をかけた瞬間。

 つい勢いで間近に迫らせてしまった彼の顔に、ローズがあからさまにギョッとした。


「ひっ(近い!)」

「⁉︎」


 途端腕の中のローズが喉の奥から短い悲鳴を吐き出して。身をすくませつつ見上げられたリオンが、ハッと青ざめる。


「も、申し訳ございません! みだりにお身体に──」


 騎士はすぐさま彼女を解放し、後ずさって平伏しようとする。が、そんなリオンに慌てたローズが駆け寄る。


「──ぁ……ち、違うの、違うのよ⁉︎ 顔を上げてリオン! 助けてくれて感謝してるの!」

「申し訳ありません!」


 助けてもらっておきながら、頭を下げさせてしまっていることに慌てるローズと、王女に触れてしまったことが無礼で悔いている……というより。恥ずかしくて顔の上げられないリオン。


 慌てふためき真っ赤な顔の二人。……の様子を、ヴァルブルガはなんとも言えない表情で眺めていた。

 その口が、ついという感じでしみじみと漏らす。


「…………こんなピュアな恋愛、ほんとに実在するんですねぇ」


 面白過ぎるやら、自分の爛れた過去との違いが感慨深いやらで。ヴァルブルガはしばし、その二人の慌てふためく様を興味深く眺めていた。

 

 ──まさに、そこにあるのは“恋愛”そのものだった。







お読みいただきありがとうございますm(_ _)m

夏休み、早く終わって欲しいあきのみどりです……。


…爛れたって、ヴァルブルガは過去にどんなことをしてきたのでしょうか。そちらも大変興味深いです笑

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんだこれは(好き……!) いや本当に二人のやり取りとすれ違いっぷりが面白可愛すぎるんですよね。何それ素敵→不埒→す…すごく迷惑のナンデヤネンぷり。 [一言] やはりヴァルブルガ目線で二…
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