13 中庭の騎士
リオンたちを引き連れ、王宮内をさまよいにさまよったローズがようやく落ち着いたのは、王宮の片隅にある中庭。普段から、彼女が憩いの場としている質素な場所だった。
その中庭は人々が寛ぐためにあるというよりは、どちらかというと建物内から見える景観のために造られた場所で、いつでもひっそりしていてあまり人の姿は見られない。
ローズがここを選んだのは、慣れた場所であるということと、何より、王太子やその恋人に鉢合わせることがまずないということが大きい。
王宮には王太子が出入りできないところなど、ローズの私室を含めほとんどないと言っていい。
『部屋の主の許可が必要』という大前提や、マナーの問題があるにせよ、王宮を己の家とし、生来なんでも思い通りにしてきた彼にはそれが通用した試しがない。
ただ彼は息をするように贅沢を好む。特に、女性を連れている時は絶対に王宮の質素な場所には現れない。
ゆえに、このような王宮の隅っこの隅っこにあるような小さな庭は、ローズにとっては安全地帯。
絶対に王太子と鉢合わせしたくない時にはぴったりの安息の地だった。
さて、入り口から入るとすぐに全体が見渡せてしまう程度のその中庭は、四方を建物に囲まれ、木々が建物沿いに林のように植えられている。中央だけがぽっかり広場のようになっていて、入り口から向かい側の端にあるガゼボ(東家)までに、庭を横切るようにレンガが敷かれている。少しずつ色合いの違う赤土色のレンガ沿いには、こんもりとしたハーブの類が植えられていて、その後ろには背丈の高い花々が揺れていた。
中庭が眺められる小さなガセボは上が木製のとんがり帽子のような形。ほんの二、三名ほどが座れるベンチに柱と屋根がついた程度のものだが、その狭さがローズにとっては逆に居心地がいい。古い柱には、まるで子供が彫って作ったような素朴な小鳥の模様があって。それもとても可愛らしかった。
彼女たちがそこにたどり着いた時は、まだ午前とあってか、庭を覗き込むような者は誰もいないようだった。
一度だけ、年老いた庭丁が通りかかり、手入れ道具を抱えたままローズに向かって帽子を取って挨拶したが、人影といえばその程度。
その中庭を、ローズは時折緊張でレンガの端につまずきそうになりながら歩き。背後の二人に気遣われながら、なんとかやっとの思いでガゼボにたどり着いた。
乾いた木の座面に腰を落ち着かせた時は、ローズはもうすでにひどく疲れきっていた。ここでもしリオンが席を外したら、途端に緊張の糸が切れて泣き出してしまいそうな気すらしていた。とにかく心臓が、制御できないほどにドキドキしていてつらかった。
だが、共にきたリオンを思うと、げっそりもしていられず。必死の思いで背筋を伸ばす。
と、そんなローズに心配そうについてきたリオンは、彼女が身を正したのを見ると、ガゼボから数歩離れた場所に立ち。同じくついてきたヴァルブルガは、ローズの斜め前にスッと控えた。
リオンの目がチラリとヴァルブルガを見る。警戒しているような、彼女について何事かを思い悩んでいるような顔だった。
しかし、それを受けるヴァルブルガのほうは、うっすらと微笑んだままで。その目は暗に『二人だけにはさせられませんよ』と物語っていた。
「……それで……お話とはなんでしょうか?」
少し声が揺れたが、まずまずしっかりした言葉が出てローズは内心ホッとする。と、切り出されたリオンが表情を引き締め、ローズに向かって身を正す。
彼に改まられたローズは緊張したが、それでも強張る口の端をなんとか引き上げて微笑むと、それを受けたリオンが一瞬だけホッとしたような顔をした。
それを見たローズは、ふと、リオンのほうでも自分と同じように緊張をしていたらしいなと察した。同じ感情の共有に、親近感を感じて気持ちがやわらいだが──反面、“王太子に密命を受けているリオン”に対する憐れみも湧き上がってきた。
(それはそうよね……軽薄な方ならまだしも、リオンは真面目だもの。普段だって饒舌ではないのに、上からの命令で好きでもない相手を口説かねばならぬなんて……。きっと苦痛に違いないわね……)
そう思うと、リオンも気の毒であった。
王太子に脅されたのか、懐柔されたのか、見返りを約束されたのかは分からないが。どう考えても、ハニートラップなんていうものは彼の性分には合うまい。そう思い、つい同情の眼差しで見ていると、彼女の問いかけに一瞬だけ逡巡するような様子を見せていたリオンが、やっと思い切ったように口火を切った。
「ローズ様!」
「っ⁉︎」
──かと思うと。再びリオンがローズの前で膝を折って、それを見たローズがビクッと肩を揺らす。
ガゼボの下に敷いてあるレンガの床に、ゴッと打ちつけるように片方の膝をついて。そのまま自分に向かって身を折る青年の勢いに、王女の瞳がギョッと見開かれる。
「リ、リオン⁉︎ あ、あなた、ひ、膝が……膝は大丈夫なの⁉︎」
「ご心配には及びません!」
「で、でもすごい音がしたのよ⁉︎」
驚いたローズがガゼボのベンチから腰を浮かせ、心配されたリオンは力一杯平気だと返す。──その様子は、なんだか両者とも必死すぎて。二人の真っ赤な顔を傍目に見ていたヴァルブルガは、どうにも愉快でたまらなかった。
(…………この二人……なんか面白すぎない……?)
生来世渡りを得意としてきた男装の侍女からすると、向かい合っただけでおろおろしている男女が信じられなかった。王女は尚も騎士の膝の心配しているが、どうやら動かない男に触れるわけにもいかず、顔色を赤くしたり青くしたり忙しい。ヴァルブルガからすると、そんな主人は可愛くて仕方がないが。どうしたものかと考える。
(これ……いいのかな……? ローズ様は騎士リオンがハニートラップを仕掛けてくるに違いないっておっしゃってたけど……)
このままにしておくと、同じく王女に仕えるキャスリンには怒られそうな気がするが……。
ローズが向かってくる男にここまで取り乱すのはとても珍しいこと。
王太子から差し向けられるハニートラップは、最近では強くなってきたローズと侍女たちの奮闘で防がれているが……ヴァルブルガがくる前から、それはそれはひどかったらしい。
そのせいでローズはすっかり男性不信になってしまったと、キャスリンは常々『あのクズ王太子』と呪いの言葉を吐きながら(※実際はもっと色々言ってる)、ローズを憐んでは泣いているのだった。
そんな現状もあって、ヴァルブルガは悩んだ。
確かにローズをハニートラップから守るのは大切だろう。だが、彼女の男性不信を治してやることも必要なのではないだろうか。世の中には、なにも王太子のような(キャスリンの言うところの)クズ男ばかりではないし、そのほうがローズだって気持ち安らかに過ごせるはず。
今回も、本当に騎士リオンがローズにハニートラップを仕掛けてくるのかは分からないが、彼がローズの特別な何かであることは確かだった。男性不信気味のローズにとって、そのような心に触れる相手は貴重なのではないか。
(……男性不信……治すいい機会じゃないのかな、これ)
しかし、本当にリオンに言い寄られた場合、ローズの男性不信は悪化する危険もあって。ヴァルブルガは、非常に悩んだ。
王女のためには、いったいどうするのが一番いいのだろうか。
──そんなふうに、男装の侍女が人知れず考え込んでいる間に。
「お、おやめなさいリオン! 騎士が主人以外にそう何度も跪くものではありません!」
ローズは必死の形相でリオンを立ち上がらせようとしていた。
真っ赤な顔には汗と複雑な思いが滲んでいる。こう何度も跪かれると、それがたとえ王太子の命令だとしても、彼にとって自分が特別なのではと思ってしまいそうになる。するとどうしても胸が高鳴ってしまい、もはやそれは痛いほど。だが、まだどこかにハニートラップの危険に警鐘を鳴らす自分もいて──ローズは大いに葛藤していた。
と、こうべを垂れていたリオンが、やっと顔を上げた。
「!」
目が合うと、青い瞳に真正面から見つめられ。ローズは瞬く間に身動きを封じられる。
真っ直ぐに見上げてくる瞳を見ていると、頭が真っ白になりそうだった。その頭からはもはや、王太子も、ハニートラップのことすらも追い出されてしまった。
──ただ、吸い込まれそうに青い瞳に、見入ってしまう。
耳元で心臓の音が聞こえうるさいほどだった。
そんなローズに、リオンは長年の気持ちを吐露するように、ぽつりと切実な声をこぼすのだ。
「──ならば、私の主人になってくださいませんか……」
静かな声を聞いて、リオンの瞳に見惚れていたローズの目が、え? と、点になった。一瞬、何を言われているのか理解できなかったらしい。困惑した目がリオンを凝視する。
そんな彼女にリオンは訴えた。
「お傍でお守りしたいのです」
──臣従の誓いを破らず、彼女の傍にあるための資格を失わず。彼女と、彼女の願いと、そして彼女の“王太子の婚約者”という地位を守るには、これしかないと彼は思った。
「どうか、私が貴方様にお仕えできるよう陛下にお口添え願いませんでしょうか」
「リ、リオン……?」
戸惑う娘の目を、リオンはやはり真っ直ぐに見つめる。
「──貴方様だけの騎士に、なりとうございます」
絞り出すような青年の声は、若い情熱に満ちていて、胸に迫ってくるようで……。
その熱意にあてられたローズは、目眩がするほどに苦しかった。