1 婚約者の罠
これも政略結婚の弊害だろうか。
思わず喘いだローズは、今にも彼の金の髪に伸びそうな手をグッと握り込み、なんとか己の暴走をこらえた。
しっかり正気を保っていなければ、まるで磁石に吸い寄せられるように指が彼に向かっていってしまう。
たまらぬ思いに胸が締め付けられた。愛しすぎて気が変になりそうだった。
しかし、だめなのだ。ローズは自分を戒める。
──手を出してはいけない。
──私は、騎士リオンに手を出してはいけないの!
それは重々承知している。
だが、たった今彼女が取り落としてしまった扇を拾ってくれた騎士は、そんな彼女の自戒を大きく揺るがした。
ほんのわずかな触れ合いだったのだ。
ほんのちょっと、扇を受け取ったときに、かすかに手と手が触れあって。たったそれだけのことなのに。
しかしその瞬間、騎士リオンは平静だった顔をパッと顔を赤らめた。思いがけない反応を見て、ローズは、え? と、目を点にした。王家の近衛騎士である彼は、いつでも冷たいほどに表情が変わらない。見間違いかとも思ったが──違った。
ローズが数回瞬きしたあとも、彼の表情はそのままだった。
恥入ったようにうつむいた騎士の表情は、二人の身長差もあって、ローズからはよく見えた。
額までを赤くして、ローズから目を逸らすその顔は──ちょっと気が遠くなりそうなほどに、可愛らしかった。
それを目撃してしまったローズは衝撃を受ける。
普段は、浮気者の婚約者の横暴にも上手に付き合い、恐ろしいほど我慢強いとされる彼女だが、これには動揺を隠せなかった。
相手はローズよりも背の高い美貌の青年騎士。まだ若く、切れ長の瞳はブルー。肌は透けるように白く、いつもは冷たい人形のように思える顔が、今は頬から耳までもが赤らんで、うっとりするほど魅惑的。金の猫っ毛の髪が、ふわふわと風にそよいでいて、まるでローズを誘っているようだった。
思わず欲求に腕が持ち上がる。
(ああ……さ、触りたい……リオン……かわいい……かわいすぎるっ、す、好きっ!)
許されるのなら、今すぐその身に抱きつきたいと思った。
もう、こんな陰謀を巡らせてくる王太子には諸手をあげて白旗を振り、何もかもを放り出して騎士リオン・マクブライドの髪をワシワシ撫でたい。あの真っ赤になった頬にも、キスの嵐を浴びせたい。そう思ってしまってから──恥ずかしさと共に、悔しさが胸に突き上がる。
(っ王太子殿下ったら……! まったくどうしてこう謀の腕ばかりおあげになるの⁉︎)
脳裏に己の婚約者の顔が思い浮かぶと、とても腹が立ち、情けなかった。
ローズには、リオンを自分に差し向けてきた彼の狙いは分かっていた。
最近彼女の婚約者王太子には、またローズとは別に意中の女性ができたらしい……。
いつもそうだった。彼は恋をするたびに、ローズとの婚約を破棄せんがため、こうして年頃の美男を彼女の元へ送り込んでくる。
もはや恒例行事なのである。
王太子とローズの婚約は、この国とローズの祖国の両国によって定められた国事だった。
彼女は五歳の時に隣国王家カレルヒルから同盟の約束と共にやってきた。
交換に、この国からも王女がローズの兄に嫁ぎ、両国はそれを友好の証としたというわけだ。
──それからかれこれもう十四年。
本当は、昨年婚礼の予定だったが、その直前に王太子の母たる王妃が病により亡くなった。そのため二人の婚礼は延期され、現在に至るわけだが。それでも遅くとも来年には婚礼を上げる予定で……あるにも関わらず。
恋多き王太子は、相変わらず秘密の恋愛を楽しんでは、恋路に邪魔なローズに謀を差し向けてくる。その謀がうまくいった試しはないのだが……それゆえに、彼は余計間近に迫った婚礼に焦り、こうした謀を頻繁に仕掛けてくるのだから──。ローズにとっては本当に頭の痛い問題である。
そうして。
懲りない王太子のために、その危険な罠の役目に身を投じなければならない青年がまた一人、ローズの元へやってきたらしい。
そう、現在、ローズの目の前に魅惑的な赤面顔で佇んでいる青年。王太子の護衛騎士、リオン・マクブライド。
つまり彼は、彼女を堕落させるために婚約者から送り込まれた、ハニートラップなのである。
お読みいただきありがとうございます。
今回は恋愛色強めでじれじれ。
ぼちぼち楽しく書かせていただこうと思います!(^ ^)