スカーレットは婚約破棄される
「聞け!皆の者!パルカディア王国の王太子である我スヴェン・レオポルト・パルカディアは、本日をもってスカーレット・リベルタスとの婚約を破棄する!
そして同時に、アリシア・ハルマンとの婚約を宣言する!」
王太子が高らかにそう宣言するとしぃん、と静まり返っていた場内が一気に騒がしくなる。
「あの噂は本当だったのね」
「スカーレット様はどうなるのかしら?」
「そんなの追い出されるに決まってるじゃない」
「何もしないのに城へ置いてもらっているのでしょう?」
周りの視線が一斉にスカーレットへと集まった。
人々はヒソヒソとこのスキャンダルとしか言いようのない三角関係について囁いている。
スカーレット・リベルタス。
国王の最側近であった父ハーヴェン・リベルタスの一人娘。
先の内戦で家も家族も失った彼の忘れ形見を不憫に思い、国王が無償で王宮へ住まうことを約束した女性。
先程までは王太子の婚約者という最も高貴な地位にいた彼女には色々な噂がついて回っていた。
「アリシア様を脅していたんでしょう?」
「ただの噂だと思っていたけれど、こうなっては噂だけではなさそうね」
「彼女のドレスや装飾品にまで手を出したとか」
「私は彼女にとんでもない贈り物を送ったと聞いたわ」
チクチクと刺さる鋭い言葉を受けて尚、スカーレットは凛とした表情で王太子と、その隣に立つ男爵令嬢を見つめた。
薔薇色の唇で静かに、しかしハッキリとスカーレットは言葉を紡ぐ。
「ひとつ、お聞きしても?」
涼やかな声を聞いて、周りの飛び交う言葉は自然とおさまった。
皆、これからどうなるのか気になって仕方ないといった欲望が全面に出ている。
少しでもそれを隠そうと女性方は扇子を広げているが今更そうした所で何も隠せていない。
「ふん、仕方ない。さっきまでは婚約者だった身だ。発言を許可しよう」
スヴェンが許可するとスカーレットは深々と頭を下げた後でもう一度口を開いた。
「これは、王国としての宣言ですか?」
首を傾げると頬にかかる漆黒の髪がサラリと揺れた。
王太子を見つめる赤の瞳は、ルビーよりも色濃く深い輝きを秘めている。
それに心臓を鷲掴みされたような気になって、スヴェンは思わず半歩後ろへと下がった。
――おかしい。
ここではこんな言葉ではなく一体どうして破棄されたのかスカーレットが喚きたて、その罪状をスヴェンが高々と述べる予定だったはずである。
あの吸い込まれそうな瞳のせいだろうか、さっきまでは自信に溢れていたのに急な不安をかきたてられる。
――落ち着け。
どうせスカーレットには今更どうすることも出来ないのだ。そう自身に言い聞かせることで少し不安が和らいだ気がした。
「も、勿論だ」
「アリシア令嬢も同様ですか?」
指名された男爵令嬢がびくりと肩をふるわせる。
それを受けてハッと我に返った王太子は彼女をひしと抱きしめた。
「……っ、またお前はそうやってアリシアに圧をかけるのか!」
「はて、圧などかけた記憶は御座いませんけれど」
頬に手を当て首を傾げるスカーレットを睨みつける。
本当に覚えがないようで、不思議そうに赤の瞳が瞬いた。
「嘘をつけ!!お前は日々アリシアに嫌がらせを繰り返していただろう!!証拠は上がっているんだぞ!」
――アリシアがいつも泣いていると言うのにこの女はどこまでしらを切るつもりなんだ。
苛苛とする気持ちを隠しもせずスヴェンが声を荒らげる。そんな彼に見向きもせずスカーレットは隣のアリシアへと向き直った。
「私はアリシア様に聞いたのです。……それで、アリシア様。貴女も同じ意見ですか?」
どうしてこんなにもアリシアの意見を欲しがるのだろうかと訝しむ。
不安なのか、アリシアも眉根を寄せたのが見え、彼女の不安を少しでも和らげられるようスヴェンは彼女の手を優しく握った。
視線が合った一瞬、二人だけの世界に入り込んだ彼らは互いに頷き合う。
そうしてようやくスカーレットへと向き直るとアリシアは力強く頷いた。
「はい、私も同意見です。スヴェン様を苦しめるスカーレット様との婚約は、考え直すべきだと思います」
瞬間、周りからざわざわとした囁き……だけでなく、あちこちから悲鳴が上がる。
アリシアは今世の聖女とまで言われる強い神聖力の持ち主だ。
そのアリシアの言葉は彼女を庇護する教会の言葉そのものに等しい。
普通なら国王の決めた婚約を否定するなど刑罰ものだが、アリシアにはそれに反発する強い力がある。
――その気になればこの婚約も無効化出来るはずだ。
王太子は勝ち誇った顔でスカーレットを見つめる。
さぞ絶望した表情でいるだろうと思ったスヴェンだったが、実際のスカーレットはそれはもううっとりと微笑んでいた。
――あんな表情、婚約している時にだって見たことがない。
あまりにも恍惚とした表情に勝手に胸が高鳴る。アリシアという者がありながらなんということだ、と浮気していたことは棚上げにして己を叱咤するスヴェン。
スカーレットの雰囲気に違和感を感じながらもやり残したことをやらねばと彼は自身を奮い立たせる。
「そ、そういうわけだ。ほら、さっさとその指輪を返してもらおうか」
指輪とは、スカーレットの左中指にはめられたものの事だ。
国に伝わる国宝であるその指輪は、いつの間にか彼女の指にはまっていたものだった。
どうも話によると、亡くなった父親経由にて国王……つまりはスヴェンの父親から貰ったものらしい。
しかしこれは愛する二人がつけてこそ意味のある誓いの指輪だとスヴェンは王宮に仕える者たちの噂で聞いていた。
確かに、もう一組は国庫に保管してあったのを確認している。
ならばこれはアリシアの白い指にこそ相応しいだろう。
スカーレットはどうせここを出ていく身なのだ。
父親が国に貢献した身だからとこれまで十年以上王宮にタダで置いて貰えた感謝料としては安いものだろう。
「アリシア様もそうお考えなのですか……?」
何故一々アリシアに確認するのか、その意図が分からない。
一方、先程のことで少し慣れたのかアリシアは強く頷いた。
「勿論です!それはこの国の宝。婚約破棄を言い渡された以上、国にお返しするのが義務かと存じます」
「……わかりました」
それを聞いたスカーレットは大人しくスヴェンへ指を差し出す。
それに気を良くした彼は意気揚々と指輪を外そうとした。
――その時、扉が開き国王たちが血相を変えて飛び込んできた。
「止めるんだスヴェン!!!」
「ち、父上?」
雪崩れ込むように人々が飛び込んでくるのに驚いたスヴェンはそのままスカーレットの指輪を引き抜いてしまう。
するりと外れた指輪がスヴェンの手を離れてキンッ、と音を立てて床へと転がった。
「あぁ、やっと……やっと解放される」
指輪が外れた瞬間、スカーレットは零れるように長く息を吐き出す。
彼女の身体の周囲で小さな赤い稲妻がぱちぱちと音を立てて増えていった。
身体全体が赤い光に包まれるとしばらくして、小さな稲妻はようやく収まる。
煙が晴れるように辺りがハッキリしてくると、スカーレットの身体には並々ならぬ魔力が渦巻いていた。
――なんだ、これは。
スカーレットには魔力などなかったはずである。
単に王宮へ置いてもらっているだけの居候でなんの力も持っていなかったはずだ。
なのに何故、こんなにも強い力を放っているんだ――?