6話
昨日よりも柔らかい布団で目が覚めた。
医務室よりも、新しく与えられた部屋の方が布団が高い感じがする。値段って意味で。医務室にいる間に、俺はずいぶんと図太くなったのか、昨日の今日でぐっすりと眠れてしまった。
「虎鉄……」
与えられた名前を呟いてみる。
なんだか堅苦しくて強そう。気に入ったかどうかと聞かれれば、肯定するであろう。本来の親から与えられた名前はあまり好きではなかった。呼ばれることもあまりなかったし。すごく幼い頃に、誰かに『こーた』と呼ばれていた気がする。そいつとは仲が良くて沢山遊んだような……。まあ、あまり覚えていないけど。
両腕をぐっと伸ばし、一気に息を吐く。そうすると眠気が全部消えてった。俺の部屋は舎弟たちの部屋が集まる一角、20畳ぐらいあるからかなり広く感じる。風呂や複数あるトイレ、キッチンは共用スペースになるため、個室にはついていない。そのせいもあってか広々とした印象がある。
ベッドとタンス、1人用の机と椅子が用意されていてあとは自分で追加していけるみたいだ。
今までの自分の暮らしと比較するとかなり贅沢だと思う。
昨日鰐刀から伝えられたのは、これから俺が行う仕事のこと。正直、名前を貰う前にやっていたこととあまり変わらない。庭の手入れに食事の準備、洗濯それから掃除。俺はまだ16歳だから、それ以上の事はあまり任されないと鰐刀に言われた。野良だった頃の方が危ないことをしていた気がする。
「もっとなんか、危ねぇことすんのかと思ってた……」
「そのうちねー」
「うおっ!??」
突然自分以外の声が聞こえて、思ったよりも大きな声で驚いてしまった。急いで横をむくと、熊井がエプロンをつけて立っている。
「今日、僕と鰐刀と君で食事当番だから、鰐刀起こしてきて」
「はあ? なんで俺が」
「鰐刀は教育係でしょ? お世話しなきゃ」
「いや、それ立場逆……」
文句を聞かずに熊井は退出してしまった。
面倒くささを感じながらも、以前支給された私服を着て俺も部屋を後にする。
「鰐刀ー、それ砂糖。入れるのは塩」
「あ! また間違った!!」
教育係とされた鰐刀は正直言って俺よりも要領が悪いと思う。魚を焼いて、卵焼きを作る。俺は味噌汁を作るために味噌を溶かし入れた。
「お、いい匂い〜」
台所の入り口から声がかかった。
パーマがかかった白髪混じりの黒髪に、痩せ型のひょろりとした男が入り口の柱に体をもたれている。30代? もう40が近そうだ。煙草を咥えながらへらへらと笑っている。
「犬太郎さん、台所は煙草ダメ」
「おっと、ごめん熊井ちゃん」
煙草を携帯灰皿へとしまうと男は真っ直ぐ俺の方へとやって来た。
「君、新人くんでしょ? えっと……」
「虎鉄」
「そうそうこてっちゃん」
「こてっ!?」
気にしない気にしないと言いながら、男の手が俺の肩を叩いた。へらへらとした印象とは反対に、男の手は傷だらけで厚みがある。
「俺は犬太郎。お嬢の護衛の中だったら一番おっさんだよ。なんかわかんないことあったら、聞いてね」
「あ! 虎鉄の教育係は俺様だぞ!!」
「わかってるよ〜。鰐ちゃんなら安心だ」
「へへっ!」
自慢気な表情を見せるが、今のところ教育係らしさは微塵も見せられていない。心で深くため息をついて、指示されていた通りに味噌汁を盛りつける。
「ああ、そうだ。今日お嬢の送迎あるから、こてっちゃんも一緒に来て」
「送迎?」
「うん、送迎。今日鷹ぴもいないからさ、鰐ちゃんも一緒に着いてきてね」
「鷹ぴ……」
鷹ぴ、というのは鷹槻のことらしい。普段は鷹槻ともう1人で送迎を行っているらしいが、今日は例外みたいだ。てか、送迎付きってやっぱりお嬢様ってのは一般人とは違うんだな。
「ついでにこてっちゃんの日用品揃えに行くからそのつもりで」
「そっか、いろいろ買わなきゃいけないもんな!」
この買い出しも、どうやらあのガキの指示らしい。大人より気が回るようで……。
「車出してあげるから、必要なのはまとめて買っちゃいなさい」
「うす」
視界の隅で熊井がお盆にワンセット食事を載せた。どうやらそれがガキの分らしい。湯のみがえらく可愛らしかったからな。
「虎鉄、お前も自分の分準備しろ。飯はみんなで食うから」
「は? 俺も?」
「当たり前だろ! ほら早く」
誰かと飯を食うなんていつぶりだろうか。いつも、とりあえず腹を満たせればなんでもいいと味も見た目も気にしたことなかった。
テーブルに揃えられた恐らく人数分の食事。湯気を伴い、腹の虫を起こすような匂いが漂う。
それぞれ1皿ずつ渡された盆に載せ、犬太郎と鰐刀の後に続く。居間と思われる広い部屋には大きなテーブルと複数の椅子が置かれていた。
「おはよう、虎鉄」
「……おう」
「好きなところに座って。今日は仕事でもう出てる人もいるから」
どうやらこれで全員らしい。男4人が席に着くと、ガキの後に続いてみんな箸を持った。
話すのは鰐刀と犬太郎。ガキは耳を傾けながらも静かに食事を進めた。平穏で、普通で、なんも変哲もないただの食卓。こんな経験がない俺にとっては、この光景が不思議でならなかった。
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