5話
鷹槻は小夜のそばに膝をつき、机にそっとお茶と菓子を置いた。未だに食が細く痩せこけた主人には、小さくても高カロリーの菓子を差し出す。時計の針は午後3時を指していた。
「虎鉄、とは。またずいぶんと逞しい名前をつけたものですね」
お茶を1口飲み菓子をつまむと、小夜は鷹槻の目をじっと見つめた。
「鷹槻は知的そうな名前だよ」
「それはお嬢がそう望んだからでしょう」
「違う。タカがいつも冷静に判断するのは、そういうタカの本質があったから」
鷹槻は、あの新入りが心底気に食わない。
彼の主は、拾い癖があるようで、今いる小夜の直属の部下のうち5人は拾ってきたようなものだ。鷹槻を含め、構成員は7人。それぞれ個性が強く、小夜でなければ制御出来ないほどだ。
鷹槻は新入りを含めた7人のうち、1番長く小夜に仕えている。今年で32になるが、小夜に出会ったのは23の時だ。その時の小夜はもう少しで3歳という、鷹槻にとっては赤子にも等しい頃。
荒事ばかりを生業としていた鷹槻にとって、小夜の存在はどんなものよりも脆く、弱々しいものであった。
小夜がこの組に来たのは、2歳と半年ほどの時。現帷組組長が引き取り、その妻が小夜を育てた。小夜の父は帷組次期組長と期待された男であったが、自身の妻と娘に組の名前を背負わすまいと、組を離れ一般人に溶け込むように暮らしていた。
帷組と言えば、現在は関東を拠点とし、その名を轟かせている。国のための汚れ仕事や同業者同士の牽制。店の運営だって組の手が加わればうまくいく。一般市民に気付かれないように、静かに鋭利に、その力を奮っている。現組長はそれらの仕事が得意なようだ。彼が組を率いてからは、その勢力を瞬く間に伸ばし、裏社会ではその名を知らぬ者はいない。
だが、権威を持つ帷は同じぐらいの怨恨を向けられる。組に囲われない一人息子は、格好の的となっただろう。妻と共にこの世を去り、可愛がっていた娘を一人残してしまった。
そんな小夜の護衛として最初に声をかけられたのが、鷹槻であったのだ。10の頃、小夜の祖母にあたる育ての親が亡くなっても、鷹槻はそばに控え、常に小夜のことを見守り続けてきた。
30にもなった男が、娘ひとりに傅くなど情けない。そう言われることもあった。
しかし鷹槻は、小夜のために生き、小夜のために死ぬと誓った。それがせめてもの罪滅ぼしになればと願いながら。
「虎鉄、みんなと仲良くできるといいな」
「それはあいつ次第です。私共は、お嬢以外に向ける慈愛も慈悲も持ち合わせていないものでして」
「冗談ばっか」
冗談ではないが。そう思いながら、鷹槻は小夜が通る前に襖を開ける。小夜は先ほど虎鉄と名付けられた男が、去っていったであろう方向を見て不安気に瞳を揺らす。新顔ができると、いつもこの表情を浮かべていた。
「お嬢、私はいつでもあなたのそばにいます」
「うん。ありがとう」
小夜は寂しがり屋だ。1人になることが大の苦手。孤独感と寂寥感、それらに蝕まれると呼吸が苦しくなる。その姿を幾度となく見てきた。
「鷹槻、今日の宿題難しいんだ。見てくれる?」
「はい、もちろんです」
鷹槻の使命は、小夜が幸せに暮らすこと。殺伐としたこの世界でも、常に笑顔を浮かべていられるように。そのためにはどんな仕事だろうとやってみせる。強い覚悟が鷹槻にはあった。
反対側の渡り廊下で、鰐刀に手を引かれる虎鉄を見つけた。小汚い野良野郎。自分も世間的に、あれとは大差がないのだろうと鷹槻は呆れ半分に笑みを浮かべた。
違うと言えるのは、生きていく信念があるかどうか。なぜ生きて、何をして、何を思うのか。この世界でそれは、重要な糧になる。
あいつにそれがあるのか。それを持つことが出来るのか。己にはそれを判断する役目があると、鷹槻は強く感じた。
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