42話
「あの日、春代さんはお嬢のことを殺そうとしたらしい」
お嬢はとっさに春代さんの短刀から逃げるように動いた。近くにあった花瓶を投げそれに驚いた春代さんが短刀を落とす。お嬢はその勢いのまま刺したと言った。
このことについて、組長はただ、そうか、とお嬢に告げたらしい。
「私が、自分の命を投げ出してでもお嬢をこの地獄から逃していれば、お嬢は祖母を殺すことなんてなかった。長い間、痛みに耐えることもなかった」
もう何をしたって手遅れなのだろう。春代さんを殺してから、お嬢はまた変わった。帷の名に恥じないように、常に自分の心に鎧を着せて自分を殺し、組長の望むままに動く。
笑顔になって欲しい、幸せになって欲しい……そう願うことなんておこがましいにもほどがある。
「私にはただ約束を守ることしか出来ない。ずっとお嬢のそばにいることだけしか」
俺の前にいるのは、冷たい視線をしたお嬢の側近ではなく、自分は無力だと嘆くひとりの男だった。いつかの自分を見ているようだ。助けたい人はすぐ側にいるのに、己の手は全く届くことがない。
「今からでも、逃がしてやればいいじゃねえか」
「そんな馬鹿みたいなこと出来るわけないだろ」
疲れたように笑う。そして1度乱れた髪をかきあげると、素早く立ち上がって座ったままの俺の胸倉を掴み持ち上げた。
「言ったはずだ。お嬢を傷つけたら殺すと、事故に見せかけてでもこの世からお前という男を消してやる」
「それに対しても言ったはずだぜ。簡単に死んでやらないってな」
強者に怯える野良犬じゃない。無力なまま逃げ出す臆病者でもない。俺は、帷小夜の護衛なのだ。
「馬鹿みたいなことは、馬鹿がやるから本当になるんだ」
俺を掴んでいる手を握った。鷹槻の手は人をたくさん殴ってきた手だ。皮膚が固くなって、よく見ると古傷がいくつもある。
「俺がお嬢に普通の幸せを見つける」
呆れた目をしながらも、どこか嬉しそうに鷹槻は微笑んだ。
「わかった。好きにしろ。だが、お嬢に迷惑でもかけたらすぐに追い出してやる」
「ああ、上等だ」
組長の答えとしてはNO。お嬢の婚約はなしだ。あくまでも組長にとっては噂程度のことだが。組長は帷の傘下として蛇水は認めることができないらしい。
だからといって、今すぐ蛇水にカチコミ、なんてことにはならない。一昔前ならば、少しでも敵対組織に疑わしい点があると、銃や刀を持って事務所に走った。しかし、現代で抗争を始めてしまえば、警察に捕まって終わりだ。
そうならないためにも、組同士の睨み合いや情報収集が必要になる。昔から名を轟かせている組はそもそも力で敵わないと恐れられるし、弱みを握れば銃以上の武器になる。案外単純なんだ。
俺はそのうちのどちらかの役目を与えられたわけじゃない。だが、いま蛇水に最も近い位置にいるのは俺だ。それも変わらない事実。直接蛇水にけしかけても、恐らく軽くあしらわれるだけだ。それなら、俺が話しかけ安い奴にいこう。
「純太」
「あれー? こーたくんじゃなくて、虎鉄くんじゃなーい。どうしたのー? お嬢さんは?」
冬休み明け初日。俺はお嬢の授業の合間に、純太を見つけた。寒い中、校門近くに突っ立っている純太に俺は自ら近付いた。
「何してんだよ、こんなところで」
「廉さんのお迎えだよ〜。早退するって連絡あったから、歩きたいって言うからわざわざ俺も歩いて来てあげたんだ〜。てか、虎鉄くん酷くない? こっちの質問には答えないのに〜」
冷えきった門のレンガに体を擦りながら、純太は不満げに顔をしかめる。
「そうだ。帷組本邸の警備がさらに厚くなったけど、虎鉄くん達が話したんでしょ? まあそれはいいけどね〜」
「お嬢にも近付けねえよ」
「……俺は君のお嬢なんてどうでもいいんだよ。今の俺の目的は、君をどう面白おかしく殺すか、それだけだよ」
両腕を勢いよく広げる。反射的に、なにかされると思って思わず身構えた。
「虎鉄くん、君はどんな風に死んでくれるの? 惨めに命乞いをする? プライドばっか高く持って無様に死ぬ? それとも、抵抗してみる?」
純太は本気だ。キラキラと好奇心に輝く目は、俺の急所を舐めるように見ていた。いまこの場で殺る気はないのだと、殺気のなさから分かってはいる。しかし、少しでも油断をすれば、純太は何か仕掛けてくる気がして、緊張が消えない。それでも、弱さを見せず純太の問いに答えた。
「全部違う。俺は、お前を地獄に一緒に落として死んでやる」
ただのひっつき虫だと思っていた。ヘラヘラとした薄っぺらい奴だと思っていた。だが、こいつは躊躇いなく人を殺せる、裏社会の住人だ。生かしていたらどんな害を成すのかわからない。こいつが俺を殺すなら、俺はこいつを道連れにするだけだ。
「いいね、いいね!! 虎鉄は生きているより死ぬほうが面白い! じゃあ、俺が虎鉄くんを殺すか、虎鉄が俺を殺せるか勝負だね、楽しみだ〜」
頬を染めてうっとりとする純太。俺は堂々と背中を向けて、学内へ戻った。刺されてもおかしくないほど無防備だっただろう。だが、純太はそんなつまらないことはしない。やるなら正面から笑いながら来る。それに俺も、そんな簡単にやられるつもりはなかった。
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