39話
当時、22だった私は組長の孫だという帷 小夜の護衛を任された。本邸ではなく、別邸に祖母と暮らすお嬢はまだあどけなく、両親の死も理解出来ていない様子。
組長の妻であり、お嬢の祖母になる春代さんは最初はあまりお嬢には関わらなかった。時おり、お嬢の顔を見ると憎たらしいという表情を浮かべ、話しかけることも無く立ち去っていく。
だが、お嬢が3歳になった頃だ。春代さんは、突然お嬢の教育を全て自分が行うと言い始めた。勉強、礼儀、組のこと。3歳の子供には厳しい内容を、春代さんは叩き込もうとした。上手くいかないのか、時々お嬢に対して手を上げることがある。頬を強く打たれたお嬢は、高い声で泣き声を響かせた。そうするとまた春代さんは手を高くして今にも殴りそうな雰囲気を見せるのだ。
「待ってください! お嬢はまだ3つなんです、そんなに厳しくしても何もできません!」
あまりの苛烈さに、黙っていることが出来ず倒れるお嬢を抱きかかえ、春代さんに抵抗した。春代さんは鬼のような形相で責め立て続ける。
「黙りなさい! その娘は陽一の代わりにこの組を継がねばならないのです! あの女の血が半分入っていると考えるだけでも憎たらしいのに、ここまで何も出来ないだなんて」
陽一はお嬢の父親、そしてあの女とは母親のことだろう。2人に会ったことはないが、母親の方は一般市民だったようだ。そして春代さんは、そんな母親を心底嫌っていたと聞いている。
「このまま邪魔をするなら、あなたをここから追い出します」
春代さんは私に向かって指をさし、何度も部屋を出て行けと怒鳴った。そんな私の服をこれでもかと言うほど掴み、お嬢はか細く助けてと懇願した。だれがこんな幼い子供の手を離せると言うのだろう。離すどころか、私はさらに強くお嬢を抱きしめた。
「もういいです!」
引く気配のない私にしびれを切らしたのか、春代さんが部屋を立ち去った。ようやく安心できると思ったが、お嬢は未だに私の服を掴んで体を震わせていた。
「お嬢、大丈夫です。私が絶対に守ります」
跡取りだと言うなら、もっと大切にするべきではないのか。いくらお嬢の母親が憎いと言っても、お嬢にはなんの罪もない。この別邸には、必要最低限の組員しかいない。お嬢を守れるのは、私だけだった。
春代さんに、私を解雇する権利などなく、組長も私はすでにお嬢の部下であるから、お嬢の許可がなければこの組からは抜けられないと断言したらしい。春代さんが悔しそうに私を睨みつけていたのを覚えている。なるべくお嬢の傍につき、春代さんの教育が度を超えた時、すぐに助けられるよう心がけた。
ただ、暴力は止められても、言葉を止めることは難しかった。
本当は不要の子。疫病神。なぜ生まれてきた。なぜできない。無能だ。価値などない。殺してやりたいほど憎い。
呪いよりも重い言葉をお嬢に投げ続け、私の目が届かないところで体を痛め付ける。お嬢から日に日に感情が消えていった。
お嬢を救う手段が欲しいと、かつてお嬢の父親に仕えていた組員を呼び戻した。九条という男だ。
期待した通り、九条も春代さんの暴行を諌め、お嬢を守ろうと動いてくれた。しかし、結果は虚しく、更にはしわ寄せが幼いお嬢に行ってしまった。
「お前が九条に命じたんでしょう。隆一さんに話をしにいけと。男に媚びを売って恥ずかしいとは思わないの!?」
まだ5歳にもなっていない子だ。なぜ媚びを売ることになるのか。普段春代さんがいない時間帯であるのに、お嬢の部屋から春代さんの声が聞こえ、すぐに部屋に乗り込んだ。叩かれるお嬢は何も言わず、ただ暴力に耐えていた。何とか春代さんを追い出し、お嬢の手当をする。ひとつ傷が消えると、その倍傷が増える。お嬢は見えるところも見えないところも傷だらけだった。
お嬢がこうなってしまったのは自分のせいだと、目に入った自身の太ももを殴りつけた。しかし、治療を終えた私の頬をつかみ、お嬢は小さくありがとうと言ったのだ。
私や九条が余計なことをしなければ、今日お嬢が痛めつけられることは無かった。それなのに、お嬢はただ私に感謝を伝えた。
派手に動いてしまうと、春代さんはすぐにお嬢を責める。お嬢を外に連れ出そうとしても、春代さんは怪訝な顔をして引き止める。
お嬢の心が少しでも安らぐものはないかと考えた。ある日、お嬢が中庭の花壇を眺めいる姿を見た。勝手に花が好きなのだと決めつけて、すぐに花屋に向かった。目立たない小さな花束を買い、お嬢へ届ける。
「どうですかお嬢? 綺麗でしょう?」
お嬢は虚ろな目を花に向けると、花弁に優しく触れて、ふんわりと笑みを見せた。久しぶりに見る、お嬢の笑顔だった。それから、定期的にお嬢に花を送った。なるべく長持ちするように、手入れの仕方も学んだ。
だがこの行動も、結局お嬢の傷を増やす原因となった。
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