36話
「虎鉄……なんかお前に客が来てんだけど」
純太に会った週の土曜日、鰐刀は部屋をゆっくり開けて俺を呼んだ。困り顔の鰐刀を見て、誰が来たのかと予想する。
「こーぉた、くぅーーーん!!」
玄関の方から聞こえたのは間抜けな純太の声だった。
「なんでここに」
「お茶とか用意した方がいいのか!!?」
「いらねぇよ、追い出してくる」
お嬢も鷹槻たちも今は出かけている。たまたまなのか、狙って来たのかはわからないが、蛇水と関わりがある純太をここには入れられないだろう。
「やっほ〜」
ニマニマと笑みを浮かべる純太。その姿は昔と変わっていないように見えて、どこか不気味さを増していた。
「帰れ。お前のいる組とここは友好関係にはないだろ」
「それは親元の話でしょ〜。その傘下でしかもただの付き人の俺には何も権限ないし、敵対心もないよ〜」
「はいそうですか、って認められるものでもないだろ」
「かったいな〜。俺はただ、こーたくんにお話に来ただけなのに」
「わかった。5分やる、ここで話せ、そして帰れ」
「冷た〜い」
両手を体の前で組み、ゆらゆらと体を揺らしてみせる。なんの効果もないが、ただイラつきだけは増す。
「昔も冷たかったけどさ〜」
「30秒経つぞ」
「ええ!? もう始まってんの!? ちょちょっと待って!」
腕を掴もうとしたのだろう。純太の両手が伸ばされるが、それをサッと避けて玄関に置いてある時計を眺めた。
「まぁ今日はこーたくんを誘いに来たんだよ。また君の面白い人生を俺に見せておくれ!」
「は?」
「だーかーらー! 俺と一緒に廉さんの所に行こうよ〜」
こいつは何を言ってるんだ……。突然の事ですぐには理解が出来なかった。本当にわけがわからない。蛇水のところにいたのなら、あいつが俺を嫌っていることぐらい分かるはずだ。
「行くわけねえだろ」
「そんなこと言わずにさ〜。ここにいたってしょうがないよ! 廉さんの所なら毎日面白いことの連続だよ〜」
今度は避けきれず、純太の手が俺の手を掴んだ。ぞわりと背中が気持ち悪くなる。
「ほとんど毎日どこかで人が懇願するんだ。助けて〜、見逃して〜って。だけど、ここはそんな甘い世界じゃないもんね! 助けて欲しいならそれなりの誠意ってものを見せなきゃ。俺だってタダで入れてもらったわけじゃないもん。あ、でもあれは楽しかったな〜」
急に早口になったと思ったら、ピタリと止まり頬を染める。何かを思い出しているのか、遠くを見ながら楽しげに笑った。
「ねぇ、こーたくんは? 最近は暴れてないみたいだね、つまらなくない? もっと何も考えてないただの暴れん坊だったじゃんか〜」
「もうそういうのはしない」
「えー! そんなのダメ! 楽しくない!」
「お前を楽しませるために生きてねえよ」
次はさっきまで染めていた頬を膨らませた。昔もこうやって感情がコロコロと変わる奴だったが、ここまで人に何かを強要することはなかった。
「どうして? こーたくんはそんな理性的なつまらない人じゃないでしょ?」
「もう俺はこーたじゃない。虎鉄だ。昔のようにはしない」
「なに、それ……」
「自分勝手に生きるのはやめだ。今は従う相手がいるし、真面目に学生もやってんだよ」
「帷小夜ちゃんのこと?」
「ああ」
そう、俺はもうこーたじゃない。お嬢が俺を必要だと思うぐらい役に立ってやる。お嬢が俺を見て、心から笑って泣いて、ただの少女になれるなら、それはいつかの目標だ。
「つまんない……」
「あ?」
「そんなのつまらない、くだらない。こーたくんじゃない。最低だ、こんなの悪夢だよ」
さっきまで掴んでいた俺の手を離すと、今度は自分の頭を掻きむしり始めた。
「お前の中で俺がどういうイメージなのかは知らない。お前の理想通りにする気もない。分かったらさっさと帰れ」
無抵抗になった純太の背中を押して外の門まで行く。そこまで行って敷地の外に出ると、純太はようやく顔を上げた。
「こーたくん、本当にもう戻ってくれないの?」
「戻るもなにも、もうこーたはいない。お嬢に名前をもらった時に俺は虎鉄になったんだ」
「くだらない」
なんとでも言え。たとえ理解してくれなくても、ここの連中はこの名前を認めて大切にしてくれる。それでいい。それがあれば少なくともここでは生きていけるのだから。
門を閉める瞬間に見えた純太の顔は、しばらく頭に残るほど冷たく、憎しみがこもっていた。
・
「もしもし、廉さん?」
「なんだ」
帷の屋敷を後にして、純太は蛇水廉に電話をかけた。行くことは事前に伝えていたため、蛇水は虎鉄のことだろうと予想を立てる。
「こーたくん、もう戻らないんだって。面白いこーたくんはいなくて、つまらない虎鉄しか残ってないんだって」
「それで落ち込んでるのか?」
「ううん。落ち込んでなんかいない。でも、もうあんなのいらないや。こーたくんを消しちゃった小夜ちゃんって子も、俺は不愉快で仕方ないよ」
握っているスマホがギチギチと音を立てている。くぐもっているが、はっきりと蛇水が笑う音が聞こえてきた。
「お嬢さんはまだダメだよ、どうするか決めかねてる。その代わり、虎鉄とやらは好きなようにしなよ」
「ありがと、廉さん」
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