35話
俺の事を、こーた、と呼ぶやつがいた。ずっと付きまとってきたウザイやつ。なんでそこまで俺にまとわりつくんだと問えば、こーたくんが面白そうだからと答えがきた。変わり者のくせに、あいつはやけに友人が多かった。今なら、あいつは人に取り入るのがうまかったのだろうと思える。話上手で聞き上手。機転も利いて、こちらの好きな路線へと話を促す。気持ち悪いぐらいに、相手の気持ちを汲み取る人間だった。
名前、なんだったっけな。もう久しく呼んでいないし、顔も見ていないから記憶が朧げだ。
「あれ? こーたくん?」
お嬢が車に乗り込んだすぐあと。背後から声をかけられた。男にしては高めの声。振り向けば、声にあった小柄な体格の男が、ジャケットを羽織り立っていた。曇り空よりも濃いねずみ色の髪。思い出すのに、数秒かかった。
「純太?」
「そーだよ。久しぶりだね、こーたくん」
先ほどまで、誰だったかと思いを馳せていた相手が目の前にいる。こいつが、唯一俺に絡んできた男、鼠我 純太だ。
ニマニマと軽い調子で笑う姿が幼い頃と重なる。
「こーたくんって、こんなすごい学校通えるぐらいお金持ちだっけ〜?」
「虎鉄、どうしたの?」
純太の問いと、お嬢の呼びかけが重なった。顔だけ見せたお嬢を捉えて、純太は納得したように首を縦に振る。
「なるほど、なるほど。要するにこーたくんは、お金持ちの犬になったんだね〜。そういえば廉さんが言ってたな〜」
廉? 誰のことだと考えるまでもなかった。純太の元にやって来たのは、最近までの悩みの種であった蛇水廉だ。
「廉さん、おかえり〜」
「なんだ、今日はお前が来たのか」
「だって廉さんが来いって言ったんじゃん」
「そうだったかな?」
蛇水はちらりとこちらを見ると、ゆっくりと歩みを進めて来た。純太のことなど、頭で処理しきれていない俺は、その場で固まった。しかし、左肩に強い力がかかったと思うと、いつの間にか車内に倒れ込んでいた。視界の端に車内の奥に詰めたお嬢が映る。
「申し訳ないですが、我々は帰路を急ぎますのでここで失礼します」
目をいつもより吊り上げた鷹槻が蛇水と純太の前に立っている。
「そうですか、それは残念です」
鷹槻はそれを聞いて、後部座席のドアを閉め助手席に乗り込むと、運転席の熊井にイラつきながら出すように告げた。
少し振り返れば、のんきに手を振る純太と怪しい笑みを浮かべる蛇水が少しずつ遠ざかっていく。
純太の蛇水に対しての発言を思い出した。今日は純太が迎えに加わるよう言ったという。偶然なのか、俺のことを調べた結果なのか。蛇水の笑みを見ると、どうしても後者が正しいように感じてしまう。
「虎鉄。詳しいことは後で聞く、大人しく座ってろ」
助手席から鷹槻の声が飛んできた。いつまでも後ろを振り返る俺にイラついているようだ。いや、俺というよりは、蛇水になのかもしれない。
・
「廉さん、来た方が面白いってこのことだったんですね〜」
「ああ」
「こーたくん、またなんか面白いことしてくれないかな〜」
蛇水の隣に腰掛けた純太は、上機嫌なまま戸惑いの表情を見せた虎鉄を思い出す。
「そういえば、こーたくん呼ばれる名前が違ったみたいですけど〜」
か細い声だが、車内からちらりと見えた少女がこーたのことを虎鉄と呼んでいた。
「今のあいつの主人のせいだな。まぁ、首輪みたいなものだと思うよ」
蛇水からそれを聞くと、純太は心底つまらなそうな顔を見せる。不機嫌に頬を膨らませ、丸い目をスっと細くした。
「なに、それつまんな。こーたくんは何も気にしないで馬鹿なまま暴れるのがいいんじゃん。生きるために必死で、せまーい居場所を作るために血を垂れ流して……そんでもってゴミみたいにそこら辺で死んだら、最高に愉快で面白いのに。道理で噂を聞かなくなったわけだよ。誰かに指示されて、ギャンギャン吠えなくなっちゃった」
間延びした声は消え、次々と文句が出てくる。
「そうだ! きっとこっちに誘えばまた楽しくなりますよ!! だって廉さんの近くにいるとたっくさん楽しいことあるんだから」
「僕はあいつ嫌いだけどね。薄汚い野良犬だ」
「でも俺だって、ばっちいドブネズミじゃないですか〜」
「お前は忠実に見せてずる賢い、とち狂ったネズミだよ」
蛇水は純太の異常さをよく知っていた。蛇水の組から金を借りていた両親を自分で殺すから自分のことは助けて欲しい、組の一員として欲しいと交渉と要求をぶつけて来た。
すぐには殺さず、少しずつ痛めつけて両親の泣き叫ぶ声を恍惚とした表情で見ていた純太を、蛇水はすぐに気に入る。それ以来、自分の側近として仕えさせていた。
「というか廉さん。俺をこーた……虎鉄くんに会わせたかったんですね〜」
純太の経歴を探っていた時、1人の男に執着していたことがわかった。名前が変わっていたからわからなかったが、写真を見せれば1発。虎鉄や純太の反応も気になり、蛇水は純太と虎鉄を鉢合わせることにした。
嫌がらせの意味もあるし、会わせたことで純太が今後なにか掻き回してくれると期待したのだ。
「また会いに行かなきゃな〜」
両手で頬を押さえ、ニヤニヤと笑う。これは純太の何かを企んでいるという証だ。ここまでは期待通りだと、蛇水は鼻でフッと笑う。
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