33話
「死んだ?」
「ああ、どこかの組の仕業だろう。咲さんの方も手遅れだった」
定期連絡を行うため、兄貴分の部屋に入った。重苦しい空気の中、告げられたのは親友の死だ。撃たれたことによる出血死。嵐の夜、雷の音に紛れて銃声は届かなかった。
「お、お嬢は……?」
控えめで大人しい少女。恐らく母親に似たであろう正確で、よく父親の足にしがみついている姿を目にした。
「無事だ。家の奥に隠されていた。実行犯は娘まで探す余裕はなかったんだろうな」
バクバクと音を立てていた鼓動が少し落ち着いた。お嬢だけでも生き残ったことに安堵している。だが、同時に2人が死んだことが受け入れられない。
「今日は帰れ。しばらく休みにしといてやる」
「はい」
監視のために用意されたアパートと組の部屋、どちらに戻ろうか悩んだ末にアパートに向かった。組の部屋は大部屋で自分の他にも使用している人間がいる。今は、誰かに会うことは躊躇われた。
アパートにある休めの布団、それに腰掛けたまま俺はしばらく動けなかった。
陽一が死んだ後、俺は組を抜けることを伝えた。気を利かせた兄貴分は除名はせずいつでも戻って来いとあのアパートをそのまま与えた。貯金を使い、二年近く無気力な暮らしをした頃、1人の男が訪ねてきた。
「九条さん。組に戻ってください」
「俺が? なんで」
この時出会ったのは、井原 良。後に鷹槻と名乗る男だった。
「今、私はお嬢の護衛をしています。陽一さんの近くにいたあなたにもその役割をになって頂きたい」
堅苦しく話す男は、何度か見かけたことはあったが、担当する仕事が違うから話したことは無かった。断ろうとしたが、お嬢のためだと強く言われると、どうも体が井原に従ってしまった。
俺が戻った時、お嬢は4歳になっていた。組長は育児や教育に関しては春代さんに一任しているらしく、別邸の家でお嬢と共に過ごしていた。
組長や兄貴分への挨拶を済ませ、別邸に訪れる。その時最初に聞いたのは、鋭い女性の怒鳴り声だった。
「何度言えばわかるの!!」
この組にいる大人の女性は春代さんのみ。声の主など確かめるまでもなかった。初めは、誰が叱られているのだろうと疑問に思った。しかし、居間に向かえばそこにいたのはお嬢の頬を叩く春代さんだ。
「な、何をしてるんですか!」
思わず、振りかざしていた春代さんの手を掴んだ。春代さんは鋭利な視線を俺に向けると、名前を呼んで久しぶりと笑った。
「井原から聞いています。今日から、この娘の護衛に着くそうですね」
手を掴まれたまま、春代さんは話し続ける。視界の奥には、蹲るお嬢がいた。
「この子は組の厳しさも母親の罪も理解していない。だからこそこうして私が自ら、教育を行っているのです。九条、あなたも甘やかしてはいけませんよ」
「そんな……。お嬢はまだ4歳です。こんなことをしては」
「黙りなさい!!」
大声が室内に響く。お嬢の体がびくりと震えた。
「この子は産まれてきたことすら罪なのです。あの女とこの娘。2人で陽一のことを殺したのです。ならば、罪を償うためにより一層厳しく育てなければならないのです」
理不尽だ。そう強く感じた。しかし、これ以上歯向かえば、お嬢をさらに縮こまらせてしまう。今日はもう終いだと言って立ち去った春代さんを見送り、未だに震えるお嬢を見つめた。
「……お嬢。今日から護衛に着きます、九条です。もう、お祖母様はいませんよ。顔を上げてください」
そう言ってから数秒後。お嬢はゆっくりと体を起こし、俺を見る。思わず声を上げそうになった。
腫れた頬、少し切れた唇に真っ青な顔。何よりも、恐怖に震える瞳。この光景が、何年先も染み付いていく。
俺が固まっていると、後ろから井原が現れた。
「お嬢、薬と氷を持ってきました。すぐに治療をしましょう」
まるで人形のように、こくりと頷きお嬢は自室へと連れられた。その日から、俺は毎日のように轟く、春代さんの声を耳にするようになった。
勉強に作法、何においても春代さんがお嬢を褒めることは無い。たとえ言う通りに出来たとしても何かと文句をつけ、お嬢を罵り続ける。最初は組長に直接現状について話したが、春代に任せるの一点張り。むしろ、この報告が春代さんの耳に入り、そうしろと命じたのだろうと、お嬢が春代さんに責められる。
異常なこの家の雰囲気に取り残されたまま、だがだんだんと異議を申し立てる気力もなくなっていった。
何をしても、何を望んでも、お嬢はいつだって春代さんにとっての悪役だった。息子を奪った女の子供。お嬢は陽一の娘でもあるのに、憎しみを込めてお嬢を叩く、罵る。井原はいつの間にか、お嬢は泣くことも無くなったと話した。泣けばさらに春代さんの怒りが増し、大声で威圧する。お嬢は感情全てを押し殺し、春代さんの怒りに触れないよう過ごした。
悲しい話だ。お嬢は春代さんの下からは逃れられない。お嬢は何も決められない。お嬢はそんな生活の中で孤独感に苛まれた。信頼出来る人が欲しかった。だからだろうか、いつしか俺は犬太郎と呼ばれるようになった。それは、お嬢にとって大切な繋がりの証なのだろう。
分刻みで決めまれた行動をする、人形のような少女が、俺たちに繋がりを求める。その手を突き放すなんてことは、どんな薄汚い社会にいてもできなかった。
鰐刀という新人が入ってから約2年。お嬢が10歳になる年だ。あの日は、前日から雨が降り続き、夜には大きな雷が何発も空を光らせた。
お嬢の部屋から、雷に負けない声が響いた。駆けつけた先にいたのは、血に濡れるお嬢とお嬢を抱きしめる鷹槻。そして、倒れたまま動かない春代さん。
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